楽笑会 つれづれのページ

このページでは、日頃感じたことや気づいたことなどを
特にテーマを決めずに
書いていこうと思います。


  ようこそ
 楽 笑 会
 

つれづれ 2009年
世界に組み込まれた存在ひな祭り私の場所私の場所2私の場所3
クッションカバー成人式楽しみな時間熊田千佳慕展海釣り初体験!
クリスマスツリーあこがれのツインリーダー









12月
あこがれのツインリーダー

熊野(三重県)の松田郁子リーダーが誘ってくださって、
「パセージ」をしました。初のツインリーダー体験でした。イク(松田さん)は私の中学校時代の同級生です。私をアドラー心理学の世界に誘ってくれたのもイクでした。そうやって、ウン十年の付き合いの私たちが2人で「パセージ」をすることに決まった時、とても嬉しく、きっと楽しいだろうとワクワクしていました。

集中コースだったので4回熊野に行きました。終わってみると、予想以上に楽しいコースとなりました。奇数の章を私が担当し、偶数コースをイクが担当しました。ひとりリーダーと比べると半分だけに集中すればいいので、精神的にも肉体的にもとても楽でした。段々とリラックスしていって、イクがリーダーの時には、完全にメンバーとして参加している気分でした。(自分の事例を出したくてうずうずしたものです)

回が進むにつれて、2人の息も合ってきました。ホワイトボードに書いた方が分かりやすいなと思ったら、一方が立ち上がって書き始めたり、もう少し付け加えが要るなと思うと、説明を始めたりします。あるいは、ここではもう少し勇気づけを、と思う時には、「こんな所もあるかも?」などと発表したり、事例が出にくかった時に助けてもらったこともありました。

2人でお互いに助け合ったこともありましたが、メンバーさんたちや単発で入ってくださった先輩メンバーさんたちにも大いに助けられました。何よりも皆さんが良い雰囲気を作ってくださいましたし、欠席者が一人も出ず、最後まで全員で学ぶことが出来ました。

打ち上げの時に出た話があります。
「パセージ」は、コース中にどんな話(事例)が出るか、その時にならないとわかりません。当然のことながら、その話によって流れが変わって行きます。リーダーは進め方について一応の予定を立てているのですが(2人で打ち合わせもしたのですが)、ほとんどの場合、その予定通りになりませんでした。そういう意味では、リーダーと言えども、何が起こるかを知らないままに、その場に居ることになります。つまり、リーダーとメンバーは同じ条件、同じ立場で、「パセージ」という「場」を作っていくのですね。それが、「パセージ」のおもしろさであり、醍醐味です。

熊野で新しいメンバーさんたちと出会えました。これからもKAG(熊野アドラーグループ)で学び続けていかれるでしょう。また機会があれば、皆さんと一緒にいろんな学びをしていきたいと思っています。ありがとうございました。(「パセージ」は一般財団法人野田俊作顕彰財団 Adler Institute Japanの商標です。)












11月
クリスマスツリー

函館の友人夫婦が呼んでくれました。半分は観光、半分はワークショップをするためです。11月の函館です。きっと寒いに違いないと覚悟して出かけました。行ったのは全国的に寒い時で、2日目の朝起きてみると一面の銀世界でした。

雪は朝のうちに止み、ワークショップ会場の庭の木に積もった雪が徐々に解けてきていました。会場の窓から、解けたしずくを眺めていると、お日さまの光にキラキラとしずくが光ります。しかも、赤や黄色、緑に紫、青にオレンジに、それはそれは美しく光るのです。

こんな光景は見たことがなかったので、大阪から一緒に行った友だちと「わー、きれい!感動!!」と大騒ぎをして見ていました。(地元の人達は、いつもの光景よと、いたってクール)

雨のしずくではこうはなりません。きっと気温が低いとか、雪が解けたしずくであることとか、何か条件があるのでしょう。あっちが赤に光ったかと思うと、今度はこっちが緑になり、あそこは黄色、ここは紫と次々と光っているのを見ているうちに、それらがクリスマスツリーの丸い球に見えてきました。そうか!ツリーの球は、きっとこれを真似したのでしょう。ヨーロッパの雪景色(写真でしか見たことない)が頭に浮かびました。

11月の函館はそんなに雪は積もらないのだそうですが、大阪からせっかく来たのだからとサービスしてくれたのかもしれません。天然の美しいクリスマスツリーを、ひと足早く見せてもらいました。ありがとう(^_-)-☆












10月
海釣り初体験!

「パセージ」
@浅口(岡山県)をお世話くださった「あるふぁの会」の田中新一さん、佳子さん夫妻が、第3回目の「パセージ」の翌日、海釣り&クルージングに誘ってくださいました。(あるふぁの会のホームページも是非ご覧下さいね)(「パセージ」は一般財団法人野田俊作顕彰財団 Adler Institute Japanの商標です。)

夫と共に新一さんの船に乗せてもらいました。「釣り」と言っても、「お殿様の釣り」そのもので、仕掛けや餌ををつけた竿を渡してもらい、釣れたら針をはずしてもらい、また餌をつけてもらい・・・準備からあとの世話まで全て新一さんがしてくださいました。

海釣りは初めての私。夫も初めてと言っていいくらいの初心者です。夫は餌を上げたり下げたりしながら、魚を誘ったりしています。私はといえば、竿の持ち方から伝授してもらい、餌を投げ入れたまま、のんびんりと海を眺めていました。夫は早々と太刀魚を釣り上げました。わーい、釣れた、釣れた!!私としては、もうそれだけで楽しさ倍増、大はしゃぎ。

しばらくして、「餌を変えましょうか」と言われ、そろそろとリールを巻き上げました。すると、海に近づいてきた餌が、なんだか大きくなっているような、増えているような・・・・・・。そんなバカな? ・・・よぉく見てみると、太刀魚クンがついて来ているではありませんか。うわー、釣れたぁ!(こういうのは普通「釣った」とは言わない)

佳子さんは「ウケルー!!」と大笑い、私はキツネにつままれたみたい。夫は「釣れたんが分からんかったんか?」と言うし(全く分からんかった鈍い私・・・)、新一さんは「よく逃げなかったなー」と感心しきり。というわけで、私の初獲物は、心優しい太刀魚クンが餌についてきてくれてのゲットとなりました。ヤッタネ(^_^)v

この日の釣果は、太刀魚が3尾とベラが4尾でした。新一船長は、「もっと釣れると思ってたのにー」と残念そうでしたが、私たちはもう、大漁も大漁!で大満足。瀬戸大橋を下から眺めながらゆらゆら、のんびりも出来て、とても楽しいクルージングとなりました。

お土産に頂いてきたベラも太刀魚も、とてもおいしく頂きました。「自分で釣ったからよねー」と本当は釣ったのではない私が何度も言って、夫の顰蹙を買うおまけつき!・・・ホンマに、たのしかったなぁ~!












9月
熊田千佳慕展

熊田千佳慕(くまだちかぼ)さんの展覧会があったので行ってきました。

熊田さんはプチファーブルと言われている細密画家で、展覧会の案内には「白寿の画家」とあったのですが、実は今年8月13日に満98歳で亡くなったことを展覧会場で知りました。

会場には絵本の原画をはじめ、虫や花や動物を描いた絵と、生前の熊田さんを映したビデオがありました。ビデオの中で熊田さんは、家の近くの野原へ行って、虫と同じ位置に視線を下げて(ねっころがるようにして)虫たちを見つめていました。また、窓を開け放った和室のアトリエでは、明かりに集まってきた虫たちを愛おしそうに眺めてらっしゃいます。

ああ、こんなに虫も花も愛してらしたんだなぁと思いました。一つ一つの絵は、それはそれは細かい所までリアルに描かれていて、それにも感動しますが、小さな虫たちが画面いっぱいに描かれていて、時には妖精が一緒に描かれていたり、蜂が帽子をかぶっていたりして、リアルなのにおとぎ話のような雰囲気は、ため息が出るほど美しかったです。

最初のうちは、「どうやったらこんなふうに描けるのかなぁ」という興味も半分あって見ていましたが、そのうち絵に惹き込まれていって、どうやって描くかなどという意識はすっかり吹っ飛んでいました。












8月
楽しみな時間

何度か母(義母)の所へ部屋の片付けをしに行きました。

母が今のマンションに引っ越したのは約10年前でした。ところが、今でもダンボール箱を開けないで積んだままの荷物もあります。その上、物が結構増えてきて、一部屋を占領してしまうようになりました。「片付けなアカンなぁと思いながら、なかなか片付けられへんねん」と言う母。昭和一桁生まれの母ですから、「もったいない」が染み付いているんですね。それは、とても良いことなんだけれど、そのために狭い部屋で窮屈な思いをして暮らすのも、それはそれでもったいない気がしないでもありません。そこで私が行って一緒に片付けることにしました。

さて、8月の末にも行ったのですが、これが3回目。まだまだたくさんのダンボール箱が積んであります。引越しの時に持って来たダンボール箱に加えて、どこかから送られてきた荷物が入っていた箱や、もらい物が入っていた箱、買い物をしたときの紙袋やビニールの袋が山ほど出てきました。今までの2回も、たくさんの袋類を捨てたはずなのに、なんだか袋がまた増えているようにも思います(う~ん、いたちごっこかも?)。それらを処分してから、別に積んであったダンボールを開けると、亡くなった父(義父)が残して逝った服地がたくさん入っていました。父は仕立て屋さんでした。

背広の上下ができるくらいたっぷりの上等な服地がいくつもあります。また、変わった模様の入った裏地や襟などの芯も出てきました。「これ(服地)は、どうする?」と母に尋ねると、「これはなぁ、お父さんがなぁ・・・」と思い出話が始まります。そして、最後には「誰か、こんなん(洋裁)が好きな人が居るから、その人にもろてもらうわ(もらってもらうわ)」と言うのです。具体的に差し上げる方が分かっている場合は置いておくことにし、一般の人向きでない裏地などは、「お父さん、ごめんなさい」と手を合わせて、処分することにしました。こうやって、ひとつひとつについて、どうするか一緒に決めていきます。

訪ねる日が決まると、母は、私のためにお昼ご飯を用意して待っていてくれます。2時間から3時間くらい片づけをしながら、また、お昼ご飯を頂きながら、あれこれおしゃべりをします。母の毎日の暮らしの話や思い出話を聞き、私もたくさん話します。そういう時間を、母は楽しみにしていてくれているようですし、私もとても楽しんでいます。・・・こんなですから、片付けの方は遅々として進みません。(^_-)-☆・・・












7月
成人式

1989年に始めた楽笑会が、20年になりました。人間でいうと成人式ですね。(ということは、私も20才年をとったということですか?・・・きゃぁ~!)

一人のメンバーとして、スマイル(
「パセージ」→現在「えくと」)の同窓会のつもりで始めた楽笑会です。そのうち全国にもフォローの会もたくさんできました。「パセージ」の復習をしたり、ロールプレイをしてみたり、最近ではおもしろそうなワークを取り入れて、皆さんと一緒に楽しんだり、時には私の悩みも聞いてもらったりしています。

郵送するおたよりは、もうほとんどその役目を終えようとしています。まだ、紙のたよりを送ってほしいという方が居られますので、ほんの2~3人の方にはお送りしています。

今月の楽笑会では初心に戻って
「パセージ」のテキストをあちこち繰りました。「パセージ」ができてからもう10年以上経ちますが、もっともっと実生活の中で練習し、工夫を重ねていきたいと改めて思いました。

楽笑会に来られるメンバーさんたちに支えられながら、ここまでやってきました。いちばん学べて得したのは、きっと私自身だったろうなと思います。これからも、どうぞよろしくお願いします。<m(__)m>(「パセージ」は一般財団法人野田俊作顕彰財団 Adler Institute Japanの商標です。)












6月
クッションカバー

午後から夜までの仕事がなくなると、体がとても楽になりました。夕食の時間が早くなったことも、体のためには良かったと思います。そして、精神的には、「○時までに**をしておかないと・・・」と、いつも時間に追われているような感じから解放されて、とてものんびりと優雅に暮らしています。それが、何にも増して贅沢な気がします。

4月になってから、新たに始めたことがいくつかありますが、その内のひとつにミシンがあります。

ねっころがるのに楽なように、部屋にビーズクッションを置いているのですが、そのカバーが擦り切れてぼろぼろになってきました。「カバーだけ売ってるやろ」と夫が言うので、見に行ったのですが、中身なしのは売っていません。カバーくらいなら自分で作れるかもしれないと思い、実家にミシンを借りに行きました。

実家の押入れの奥から出てきたミシンは、私が小学生だった頃に母が買ったもので、私が使った初めてのミシンでした。当時、ようやく電動ミシンが出始めた頃で、現在のものとは比べ物にならないぐらい大きくて重たいミシンです。モーターで動き、足元にペダルがあって、それを踏んで動かします。まだ、以前の足踏み式のミシンの形を引きずっていたのですね。

うちに持って帰ってきて、汚れをきれいに落とし、モーターなどに油をさしてみると、ちゃんと動きます(感動!)。中学の家庭科の授業では、パジャマやワンピースを作りましたし、長じてからはテニスラケットを入れるかばんやブラウスなども作りました。もう長いこと、ミシンには触っていなかったけれど、糸のかけ方などは、ちゃんと体が覚えているんですね。

以前に買ったまま放ってあった生地を使って、←クッションカバーが出来上がりました。
中身を入れて、おお~、なかなかの出来やなぁ~、とひとり悦に入っておりました。

次に作ったのは、紅茶ポット用の保温カバー(クッションカバーの余り布を利用)→、

←そして、扇子を入れる袋(風呂敷を利用)でした。

\(^o^)/
















5月
私の場所3

ようやくスペースを確保した私は、そこに置く机をもらってきました。甥っ子のお古を使うことにしたのです。ところが、幅が広すぎて入りません。あらら~!・・・幅はちゃんと確認したはずなのに・・・。ここで、初めて気づきました。甥と姪は同じ机を使っていたと思い込んでいたのですが、違ってたんですねぇ。(幅を計ったのは姪の机でした)そこで、今度は姪っ子にお願いをして、机を交換してもらいました。

さあ、机を置いて、前に本棚を置きました。隙間家具ってヤツですね。そこにお気に入りのCDを入れ、辞書や本を並べました。小説は読みたくなったら図書館に行くことにし、この機会に文庫本などは全て処分してありました。ですから、残った本を入れても、まだ少しは余裕があります。

使わずに置いてあった小さなスピーカーを夫にもらってパソコンにつなげてもらいました。これで、音楽を聞くこともできます。筆記用具などを置くスペースも作り、大好きなカエルグッズを並べました。

ようやく、私の場所が出来上がりました!!(^_-)-☆
机の右にあるのは冷蔵庫でマグネットがくっつくので便利です。左は窓です。














4月
私の場所2

さて、あちこちの家具屋さんを見て回りました。以前の食器棚は、食器だけしか収納できませんでしたが、最近はそこに電子レンジや炊飯器などを置く場所があるものが出ています。そこで、うちにあるレンジ台を処分して、そこに私の机を置くことにし、レンジが置ける食器棚を購入しました。

左の食器棚が右のように新しくなりました。幅が5~6cm狭くなった程度で大きさはあまり変わりません。でも、食器を置けるスペースは半分くらいになりましたから、要らない食器を処分しました。

何かのおまけで貰ったものや、買ったもののあまり使っていなかったもの、別の食器で代用できるものなどです。

震災の時にほとんどの食器が割れてしまったのに、この14年の間に、やはり食器って増えていくものなのですね。

その他シンクやコンロの下、シンクの上の棚なども整理し、台を入れて、スペースを作っていきました。

ずいぶんとたくさんのスペースを使わないままにしていたのだなぁと、改めて思ったことでした。












3月
私の場所

今年3月末で長年やってきた塾の仕事を辞めました。

さて、今まで働いていた時間をどう過ごそうかと考えた時、例えばパソコンを打ったり、書き物をしたり、本を読んだりする(私専用の)場所が、うちにはないことに気がつきました。これらのことは、今まで塾にある私の机でしていたんですね。自宅には大きなパソコンデスクがあるのですが、それは主に夫が使っており、そのひと隅を借りても良かったのですが、なんとなく使いにくそうです。

そこで夫に「机がほしい」とおねだりしました。うちに来たことのある方はご存知でしょうが、狭い我が家のこと、私専用のスペースを作ろうと思うと、何かを処分する必要があります。

ここへ引っ越してきた時から感じていたのは、食器棚が大きすぎるということでした。震災でつぶれた食器棚の代わりを探していた時、とても気に入った食器棚があったのですが、それは震災で少し傷がついていました。「傷があるから値引きする」と店の人は言ってくれましたが、洋服ダンスなどさまざまなものに傷がついてしまっていた当時、新しく買うものに傷があるのは悲しくて、それを買うことを見送りました。次に気に入った食器棚は、少し大きかったのですが、「大は小を兼ねるよね」と購入しました。ところが、引っ越してみると、以前の部屋に比べて収納場所もたくさんあり、2人で使うには大きすぎる食器棚となりました。(でも、使ってきたのですが)

夫は「この食器棚をもう少し小さいのに買い替えて、できたスペースに机を置こう」と提案してくれました。わ~い!私の場所ができるぅ~\(^o^)/と大喜びした私は、早くも自分の机をどう使おうか、そこで何をしようかばかり考えています(ワクワク!!)。でも、その前に食器棚を買わないといけないのよねぇ。・・・物入りですぅ・・・・・・。












2月
ひな祭り

ひな祭りの思い出です。
まだ幼稚園に通い始めたばかりのころだったと思います。四角い机の上に、ガラスケースに入った市松人形と自分がかわいがっていた人形を並べておひな様に見立てて「ひな祭り」をしていた記憶があります。机の上にはひなアラレと白酒があったかもしれません。

小学校に上がったころに家は2階建てに建て変わり、五段飾りのひな人形がやってきました。段を組み立て赤い毛氈を敷いて、おひな様とお内裏様、五人囃子に、三人官女、右大臣も左大臣も、牛車やお道具なども並べました。飾ったのはいつ頃までだったでしょうか。最初は楽しかったものの、そのうち出し入れが面倒になってしまいました。今はどうなってしまったかなぁ?
中学2年生のとき、家庭科の授業でひな人形を作りました。それが、これ→。おひな様の高さは8cmほどです。

ボール紙を円錐形にして、それに着物の生地を貼り袖をつけています。頭はストッキングで綿をくるみ、毛糸で髪を作りました。目鼻を刺繍し出来上がり。

授業では、確かここまでを教えてもらったのでしたが、屏風も作ろう、ぼんぼりもできるかな?ひし餅も作っちゃえ!・・・と楽しく作りました。

屏風とひし餅はボール紙で形を作り色紙を貼っています。ぼんぼりは、針金2本を丸く十字に合わせ、そこに赤い模様(実はエビの模様です)の入った布を貼り、倒れないように底には粘土をつめてあります。黒い色紙を貼り、正面には金色の色紙を四角く切って貼っています。(つくづく眺めて見ると、なんとまぁ細かいことを!と我ながら感心してしまいました!)

さて、家にはもうひとつひな人形があります。結婚してから、小さなひな人形を買いました。毎年、両方とも飾っています。












1月
世界に組み込まれた存在

和歌山県の周参見(すさみ)というところでスピリチュアル・ワークがありました。このワークでは、野田先生の講義を聞いたり、グループで話し合ったり、皆さんの意見を聞いたり、カウンセリングを見せていただいたりしながら、私たちが世界に組み込まれた存在であるということについて考えていきました。

「世界に組み込まれた存在」と言う時の「世界」は、私にとっては日本人が古来から信じている神々とか、ご先祖さまとかをイメージすると理解しやすいと思いました。それは、恐らく「手を合わせるということ」(つれづれ2005参照)に書いたように、義母(はは)、あるいは夫の影響が大きいと思いました。

夫には両親がいて、そのまた両親たちがいて、遠い遠い昔からの縁が続いてきて、今ここに夫がいます。同じように私にも両親がいて、そのまた両親たちがいて、長い長い間の縁が続いて、今ここに私がいます。そういう夫とそういう私がここに共に居られることは、「神々(世界、ご先祖さま、流れ、宇宙)の恵み」以外の何物でもない気がします。そう思うと、感謝の気持ちが自然にわいてきます。

1月15日に近くの神社の「どんど」に行った時、そこには確かにこの土地の神々が居られるように感じましたし、また月末に義父(ちち)のお墓参りに行った時にも深いご縁を感じました。そして、神社でもお墓でも、初めて「ありがとうございます」と感謝の気持ちを伝えました。

こういうさまざまなものとの縁と切り離しては、私は存在することができないのですね。私のように神々との縁の薄い家庭に育った者に、夫のようにご先祖さまを大切にする人との深い縁ができたことも、必然だったのだろうと思います。