楽笑会 つれづれのページ

このページでは、日頃感じたことや気づいたことなどを
特にテーマを決めずに
書いていこうと思います。


  ようこそ
 楽 笑 会
 

つれづれ2005年
相手の関心に関心を持つ個人の好みカワイイ妹バージョン楽笑会だより200号
ステキだった笑顔・・・手を合わせるということカウンセラーになりたい/
楽しんでる?
アドラーコール豊かであること









12月
豊かであること

最近あるエッセイを読んでいたら、「生き方の選択肢が豊かであること」が幸せだというようなことが書いてありました。例えば、豪華なレストランで食事をすることもできるが、コンビニのおにぎりで済ますこともできるとか、飛行機で旅行することもできるし、テクテク歩いたり普通電車を乗り継ぐ旅も楽しむことができるとか、医者にも政治家にも小説家にも、なりたい職業につくことができるとか。それは、「小金を持っている庶民」に許されているのだ、とも書いてありました。

テレビでお金持ちの人たちの話を聞くと「宝くじでも当たらへんかなぁ」と思い、株で大金を得た話を聞くと「私も株をやってみようか」とチラッと考え、貯金が増えへんなぁと通帳を見ながらため息をつくこともある私です。でも、よくよく考えてみると、普段の生活はちゃんとできていて、貯金はできなくても、1年に1度ぐらい旅行もし、欲しいものもある程度は手に入れることができています。小金があるかどうかは別にしても、庶民として生活を楽しんでいるなとも思います。

住みたいところに住み、行きたいところへ行き、したい事をしている。それは、あまりにも当たり前のことで、意識することすらなかったと気づきました。国によっては、自由にならないところもあるでしょうに。

選択肢が豊かであるということが幸せだとすれば、自分自身にも選択肢がたくさんあってほしいし、周りの人たちにも、うんとたくさんあってほしいと思います。どうも世の中は反対の方向へ進みつつあるような気もするのですが、せめて身近な人たちはそうであってほしいですね。06年はそんな1年になるといいな。












10月
アドラーコール

毎年10月は日本アドラー心理学会総会があります。今年は大分でありました。2泊3日、今年のホテルはもちろん(大分ですもの)ステキな温泉がついていました。プログラムは、講演会やシンポジウム、分科会などです。

懇親会もあります。何年か前に、アドラーコールというコーラスグループが出来ました。活動は年に1回、懇親会のときに5~6曲を、アカペラ(混声4部合唱)で歌います。合唱経験の有無は問わず、上手下手も問わず、とにかく歌いたい人がその時に集まって歌います。前もって楽譜をもらい、自宅で練習をしてから行くのですが、当日参加される方もいます。というわけで、誰がメンバーで、何人いらっしゃるのかも、私はよく知りません。(たぶん、誰も知らない)

揃って練習するのは、総会の合い間のごく短い時間です。今年は4~5回、1回につき30分ほど練習したでしょうか。それも、みんな忙しいので、全員が集まっていたのかどうか?

それでも、懇親会の本番では、美しいハーモニーが生まれます。きれいにハーモニーが出来た時は、自分で歌いながら、うっとりとしてしまいます。(自画自賛!)

私は高校生の時に1年間だけコーラス部に所属していました。まだハーモニーの美しさなど知らず、遊びの延長のように歌っていただけでした。また、大人になってから市民合唱団に入って、「第九」を歌ったこともあります。この時は毎週1回3ヶ月以上、時には合宿までして練習を続けました。が、ハーモニーの美しさより、ゲネプロの時の指揮者の先生が恐かったことしか覚えてないなぁ。(情けない・・・)

でも、アドラーコールでは、とても楽しいし、とても美しい音が出ているなぁ、と思います。(私の耳が聞くのですから、大した評価ではないでしょうが)多くの時間を割かなくても、みんなで集まって練習しなくても、コーラスって出来るのですね。












9月
楽しんでる?

週に1回テニススクールに通っています。長くやっているのですが、なかなか思うように上手になりません。それに、もう、歳やしねぇ。

この間、スクールの方と話をしていたら、「でもね、テニスをしている時が、いっちばん楽しいのよねぇ~」とおっしゃいました。彼女のテニスの腕前は、まあ、私と、どっこいどっこいというところで、失礼ながら、特別に上手というわけでもありません。それに、ひざを痛めてらっしゃるので、ずっとサポーターをしていて、時には痛さで足を引きずりながら、でも、休まずに通ってらっしゃるのです。

本当に楽しくて仕方ない、というようにおっしゃった彼女の言葉に、私は「はぁ~、そうですねぇ~」と、あいまいに答えることしかできませんでした。

私はテニスを楽しんでいるだろうか。しんどいなと思ったり、なんでこんなに下手なんやろうと落ち込んだり、○○さんは上手やなぁ~とうらやんだりで、心の底から楽しいと思えていないことに気がつきました。好きで始めたテニスやのになぁ。「趣味は?」と聞かれたら、必ず「テニス!」と答えているのになぁ。

そうして、毎日の生活を振り返ってみても、私は自分の仕事を楽しんでいるかしら? 好きで始めたことなのに、いつの間にか、うまく行かないことやしんどいことばかりに目がいってしまっているようです。どんな仕事でも、仕事は仕事ですから、100%楽しいということはないにしても、せめて趣味のテニスぐらい楽しまないと! 彼女のひと言を聞いて、ちょっと眼が覚めた気がしました。












7月
カウンセラーになりたい

今年、東京でアドラー心理学練成講座があり参加しました。夫が、ついでだからと言って、東京にいる友だちといっしょに食事でもしないかと誘ってくれました。その友だちは子どもさんと一緒に来られていました。話を聞いてみると、将来カウンセラーになりたいのだけれど…ということでした。

私がこんな勉強をしているので、何か参考になることがあるのでは、と思われたのでしょう。若い方がカウンセラーになりたいと言ってくださることはとても嬉しいことではあるのですが、こんな時いつも考えるのが、「カウンセラーをして生活が成り立つか?」ということです。

もし、カウンセラーになりたいのなら、まずは大学へ行って心理学の勉強をするのが良いかもしれません。そして、臨床心理士の資格を取ることがお勧めです、とお話しました。資格があるからと言って、それで生活できるとも思えないのですが、ないよりは良いでしょうし、そのうち国家資格になるという話もあります。

また、カウンセラーでは食べていけないかもしれないので、教師とか、保健師とか、ケースワーカーとか、そういう職業に就いて、その上でアドラー心理学を勉強し、生かすというのも良いかもしれません、とお話しました。

アメリカなどのように、カウンセリングをするための事務所を構えて、それで食べていけるようになると良いなと思いますが、一朝一夕には無理そうです。一般に、お金を払ってカウンセリングを受けるという意識も、まだまだ、なさそうですしね。でも、せっかく興味を持ってくださったのですから、将来人々の相談にあずかるような仕事につけるといいなと、強く思いました。












6月
手を合わせるということ

私の育った家は、ご先祖さまや神さまとは縁遠い家でした。お仏壇も神棚も家にありませんでしたし、お盆やお正月、またお彼岸のお墓参りもしたことがありませんでした。

一方、夫の家には立派なお仏壇があり、夫は父親の月命日(前後)にはたいていお墓参りをします。私もたいてい一緒にお参りに行きます。夫の実家へ行くと、義母(はは)が「お父さん、お墓に参ってくれたよ」だの、「お父さん、こんな物を頂いたよ」だの、いつもお仏壇の義父(ちち)に向かって話しかけています。

私は義父のことを、写真でしか見たことがありません。あとは夫から、義母から、話を聞いているだけです。ところが、いつも義母が話しかけているのを聞いていると、まるでそこに義父がいるような錯覚に陥ることがあります。そしてある時、義母は今でも確かに、義父と一緒に暮らしているのだろうと、突然に思いました。半年ほど前のことでした。

私にとっては、未知の人であるはずの義父の方が、実の祖父母よりも、いまやずっと身近に感じられるのです。それは、夫の実家へ行くたびに、お仏壇に向かって「こんにちは」と挨拶をし、お墓に行ったら「見守っていてください」とお願いをし、そうして、義母の「お父さん」という呼びかけを聞いているうちに、そうなったのだろうと思います。

お仏壇やお墓に手を合わせるというのは、こういうことなのかと、こんな年齢になって初めて知ったのでした。そして、そういう(夫との)縁に恵まれたことに、改めて感謝したいと思いました。












5月
ステキだった笑顔・・・

去年、友人が病気で亡くなりました。ちょうど一周忌だったその日、たまたま彼女の納骨堂の近くへ行く用があったので、帰りに寄ってみました。朝から降り出した雨が、その時間には本降りになっていたのですが、駅からお寺まで歩きました。30分ほどの道のり(道に迷ったので本当は1時間ぐらい歩いたかな?)のあいだ、彼女とのあれこれを思い出していました。

お寺の奥さんが、「まあまあ、雨の中を」と丁寧に迎えてくださいました。その日は命日の供養がいとなまれたそうですが、もちろんその時間にはもう終わっていました。

お仏壇を開けてくださったので、お焼香をさせてもらい、手を合わせました。何年も前に、彼女が蒔いたアドラー心理学の種が芽吹き、確実に根を下ろし、大きく育っていることを報告しました。縁あって、今年、再びその地へ行くことになり、実際に大きな花が咲いていることを、目の当たりにしたばかりでした。そうして、その地のアドラーの活動のことや、これからの私たちのことを見守っていてくれるように、お願いしました。

アドラー心理学に出会えてなければ、私は彼女と知り合うこともなかったでしょう。とはいえ、自宅は遠く離れていましたので、知り合わないままだったかもしれません。それでも、おそらく深い縁があったのでしょう。彼女には本当に仲良くしてもらいました。もっともっと話したかったことがたくさんあります。お礼も言いたかったし、謝りたいこともそのままになってしまいました。

彼女のことですから、きっと、「洋子さん、何言ってんの」と言ってくれるでしょうね、あのステキな笑顔で・・・ね。












4月
楽笑会だより200号

楽笑会を作ったのが、1989年7月でした。それ以来、毎月おたよりを発行してきました。年に12号(時には13号)ずつ出してきたのですが、それが今月で200号となりました。感無量です。

どうやら私は、決まったことを続けていくことは、あまり嫌じゃないようです。ですから、こうやって、1ヶ月に1度アドラーギルドに通い、おたよりを出してきたのでしょう。もちろん、その間に、たくさんのメンバーさんたちに勇気づけられてきました。「いつも読んでいます」とおっしゃってくださる方。あの記事は面白かったわ、と感想を聞かせてくださる方。こうしたら良いんじゃない?と提案してくださる方。その他、さまざまな方法で勇気づけてくださったあの方、この方の顔が浮かびます。

今では、こうやってホームページという便利なものもでき、先日ある方が「HPをいつも読んでいます」と声をかけてくださいました。少し恥ずかしいですが、でも、とても嬉しいです。また、楽笑会だよりも、アドラーネットの中でご紹介できるようになり、郵送しなくても、今までよりたくさんの方に読んでいただけるようにもなりました。

「石の上にも3年」と言うので、まずは3年やってみようと思って始めたのですが、16年目に入り、200号です。200だからといって、どうということもないのですが、私も、何かと節目の好きな日本人の一人です。今夜はこっそり祝杯でもあげることにしましょうか。












3月
カワイイ妹バージョン

「うちのだんなは、『お前は、何もわかってへんな~!』って、何かって言うと、私をバカにするんよ~~。」・・・とは、私の友人の愚痴です。とても仲のいい夫婦なんですけどね。よく話を聞いてみると、この夫さん、こんなふうに言いながら、何くれとなく友人の世話をしてくれるのだそうです。

「へぇ~、じゃあ、そういう『何もわかってないカワイイ妻』が大好きなんじゃないの?」と聞いたら、えぇーーーっ!!と驚いてから、しばらく考えた友人は「そうやねぇ、そうかもしれんわ」・・・・・・。

私たちは、相手によっていろいろなパターンの自分を使い分けています。相手が目上の人のときと、我が子のときとでは、これが同一人物か(!)と思うほど、言葉つきから何から変わりますよね。だから、こんな夫さんとつき合うときには、「かわいい妹バージョン」などはいかがでしょうか。「いや~!私、全然わからんかったわ~。ゴメンネ~。」とカワイク言ってみると、何か夫さんとの関係が変わるかもしれません。

どちらかというとお姉さんタイプの友人は、いつも「もうっ!!そんなこと言うんだったら、私のことには構わんとってよ!」と怒っていたそうですが、次には試しにやってみようかな~?と言ってました。はてさて、どんなことになるでしょうね。












2月
個人の好み

最近友人と話していて、「台所というのは私の領域だから、他の家族にはあまり入ってほしくないし、そこを勝手に使われて汚されると嫌だ」と聞きました。

へぇ~、そういうふうに思う人もいるのですね。私には「私の領域」と思える場所は・・・ないですねぇ。特に台所はまったく違います。(いいのやら、悪いのやら…?)夕食はたいてい夫と2人で作りますし、洗い物も2人ですることが多いです。それは、結婚以来何となくそういうふうに決まってきたことで、それが、私たちにとっては便利だったのか、そのまま続いています。

そんな話をすると、「『水の出し方』や『食器の洗い方』が違うということはないの?」と質問されました。確かにそれはあります。でも、そこの所(私から見ると「不適切な」所)に注目すると、ケンカになるか、一緒にするのが嫌になります。それに、夫だって私のやり方が「不適切だ」と感じることがあるかもしれません。

こういうことは、どちらが適切でどちらが不適切だとか、どちらが正しくてどちらが間違っているか、ということではなくて、単なる個人の好みの問題なのですよね。(ということは、夫と私、だけではなく、母親と私、妹と私、でも違うはずです)ですから、「好みだわ」と思えば、そんなに気にならないかもしれません。こういうときに、「あなたのやり方は間違っている(つまり、私のやり方が正しい)」と口に出したりすると、ケンカになりそうです。

今必要なのは、どちらが正しいかを決めることではなくて、目の前の料理(あるいは、片づけ物)を協力して仕上げてしまうということです。それを意識していれば、少々のことには目をつぶることができるかもしれません。












1月
相手の関心に関心を持つ

最近、仲のいい夫婦ってどんなだろうと考える機会がありました。そういえば、身近にモデルがいました。私の両親です。

両親はともに昭和一桁の生まれですが、今も元気です。本当に仲がいい夫婦だと思います。何故かなと考えて最初に思ったのが、「相手の関心に関心を持つ」と言うことでした。

父は根っからの野球好きで、テレビでは野球中継を欠かさず見ています。母は、結婚するまで野球のヤの字も知りませんでしたが、いつも黙って一緒にテレビを見ていました。そのうち、野球のルールを覚え、贔屓のチームの選手名も覚え、今では球場に足を運ぶほどになっています。

一方、母の趣味は演劇で、芝居や歌舞伎、バレエなどの公演によく行きました。そういうとき、父は必ず、劇場に一緒に出かけました。歌舞伎などまったくわからなかった父が、演目を覚え、役者の名前を覚え、面白いと言うようになっていきました。

両親が最初どんな気持ちで、相手に付き合っていたのかはわかりませんが、「そんなの面白いはずがない!」と否定したり不満を言ったりしないで、なんとなく付き合っているうちに、その面白さがわかってきて、そうして、共通の趣味となっていったのでしょう。

私たちは(と一般化してはいけませんね)-- 私は、時に相手の趣味をけなしたり、見もしないで「頭が痛くなる」などと排除してしまったりすることがあります。そうではなく、どんなことでも、付き合ってみるのも悪くないな、と思ったことでした。だって、私が大好きなこと(例えばアドラーね)に、夫が関心を示してくれたら、やっぱり嬉しいですものね。