楽笑会 つれづれのページ

このページでは、日頃感じたことや気づいたことなどを
特にテーマを決めずに
書いていこうと思います。


  ようこそ
 楽 笑 会
 

つれづれ 2003年

結局、どうしたいん?結末を引き受ける話を聴く3つの願い
ロールプレイ(1)ロールプレイ(2)ロールプレイ(3)思い込み
アンテナ第20回アドラー心理学会総会総会の思い出(1)総会の思い出(2)









12月
総会の思い出(2)総会の思い出(3)が「つれづれ 2002年」にあります)

翌年(1992年)の総会は横浜でありました。これが、一番印象深い総会となりました。前年の楽しかった経験から、早々に学会参加を決め、友人と一緒に行くことにしていました。

学会の2週間ほど前のことです。シンポジウムに出て話をしてくれないか、と依頼されました。私の職場(塾)での生徒さんとの付き合いのあれこれを少し話してくれれば良いとのことでした。シンポジウムが何かも知らず、どんなものかも見たこともなかったのですが、恐いもの知らずとはこのことでしょうか、「いいですよ」と少し躊躇したものの引き受けていました。一緒に行く友人が「いい機会だから」と勧めてくれたのも大きな力となりました。

「何も準備しなくていい」とおっしゃった野田先生の言葉をそのまま受け取り、当日を迎えました。そこで、私は、頭に浮かんできたエピソードを一つしゃべりました。「最初に15分ぐらい話してね」と言われていたのですが、その時間で、どのくらいの話ができるのかもわからないまま、壇上に上がったのですが、話し始めたときに時計を見るのを忘れたため、結局、何分話したのかわからないままに終わりました。(トホホ)

ところが、休憩に入って、壇上から降りてきた時に、知っている人からも知らない人からも、「いい話だったよ」と言ってもらい、その日の懇親会でも、たくさんの方々に声をかけていただきました。

どちらかというと、「様子のわからないことはやめておこう」と引っ込んでしまう傾向のあった私でしたが、この経験はとても嬉しいものでした。アドラー心理学を学ぶ人々への大きな信頼感と、少しの自信と、たくさんの「仲間」をお土産にいただいて、大興奮のままに帰宅したのでした。












11月
総会の思い出(1)

総会の話が出たので、私の総会の思い出をお話したいと思います。

初めて参加した大阪の総会(1991年)。私は学会に入る前に、教育分科会の中で組織された「全国アドラー心理学教育実践連絡協議会」(全ア教連)に入会していました。1990年ごろから、アドラーネットに参加し始め(最初は専ら読むだけの会員でしたが)、全ア教連の活動に興味を持っていたのです。そうしたら、全ア教連は学会の下部組織だから、学会にも入会しておく必要があると言われ、「そんなもんかぁ」と、わけもわからないままに入会していたのでした。

たまたま、大阪で総会があると言うので、3日間のうち土曜日の午前中と日曜日だけ参加しました。当時はまだ、合宿形式をとっていませんでしたし、仕事を休んでまで参加しなくても、という気持ちが強かったので、一部に参加しただけでした。

土曜日の午前中は、分科会。当然のように教育分科会へ行きました。大きな会場で、アドラーネットでお馴染みだった先生がお2人、ネット上で発表されていた事例についてのお話をされました。ネットでしか存じ上げなかった方のお顔を拝見できたこと、直接に話を伺えたことなど、とても興味深い分科会でした。日曜日の方は、(たぶん)事例発表か何かで、専門家の先生が難しいお話をされていました。こちらの方はよく覚えていません。(ごめんなさい)

さて、総会が終わってから、友達と4人で昼食をとり、お茶を飲みに行き、そのあと夕食も一緒に食べて、さらにお茶を飲みに行きました。夜も大分遅くなってから帰宅したのだったと思います。その時に、夢中になっておしゃべりをしたこと、それが、その後学会にハマってしまったキッカケのひとつです。総会の内容そのものではなくて、きっと、その「場の雰囲気」「場の持つ力」に、とても魅力を感じたのだと思います。












10月
第20回アドラー心理学会総会

10月17日~19日の3日間、大阪南港のコスモスクエアで、日本アドラー心理学会の総会がありました。今年は、学会ができてから20周年に当たる記念の年でした。

私は、第8回総会(大阪)が初めての参加でした。それ以来、皆勤ですから、13回目の総会参加ということになります。学会では20年後はどうなっているかという話が出ました。20年後というと、私はもう60歳を超えています。ということは、今、20代後半か30代前半の若い方たちが、これからの20年を担っていくのでしょうね。そろそろ世代交代をしないと、先細っていきそうな気がします。

私(たち?)が先生や先輩方から受け継いだものを、確実に次の方々に渡していかなければなりません。そのためには、自分自身の勉強もしていかないと、と思います。また、今までの動きとは違う動きも必要になってきそうです。

そんなことをつらつらと考えながら、それと共に、いつもの学会と同じようにたくさんのエネルギーを皆さんからいただいて、帰ってきました。












9月
アンテナ

9月の楽笑会で、夫さんのことを話されたメンバーさんがおられました。いろいろと話を聞いていると、夫さんがこのメンバーさんのことを全面的に信頼して任せてらっしゃるのだということがよくわかりました。話を聞いていた参加者たちがそのことを伝えたのですが、メンバーさんは怪訝な顔をされます。

さて、私たち(と、一般化してはいけませんね)、--私自身を振り返ってみた時、夫からの「信頼」や「尊敬」や、もうちょっと言うと「愛情」などを受信するアンテナを、ちゃんと立てているだろうか?と、考えさせられました。

「子どもたちに対してはアンテナを立てているんやけどなぁ」とあるメンバーさん。「夫に対するアンテナは、穴が錆びついていて、アンテナが出てこないかも?」というメンバーさんもおられました。本当に、そうですね。私もあわてて、アンテナを探さないと、と思いました。

「君を信頼しているよ」だとか、「尊敬してます」だとか、ましてや「愛してるよ」なんて、そんな言葉は聞けないかもしれませんが、折に触れ、行動で、あるいは別の言葉や態度で、それを表してくれているのかもしれません。ところが、それに対して、「うっとうしい」だの、「ふざけてる」だの、「無責任やん」だのと、何だか、ヒドイ名前をつけてしまっているのはこちらかもしれないのですよね。

「鬼ママ」ならぬ「鬼つま」の角(つの)ばかりを出していないで、アンテナを出しておかなければ、それを感じることができません。(あ~、もったいない!) さっそく感度が上がるように、穴の錆を落とし、アンテナもメイッパイあげられるように、磨いているところです。

皆さんのアンテナはいかがでしょうか?












8月
思い込み

ある日、夫とうちにあるマグカップのことで、言い合いになりました。そのカップは、どこかのおまけでもらった物で、青とピンクの2つありました。私が、「ピンクの方がね…」と言うと、夫が「あれがピンクなわけない。あれはベージュや」と言うのです。「それはおかしいわ。絶対にピンクやって」と私。(どっちでもいい事なんですけどね)

さて、帰ってから早速確かめてみました。絶対にベージュであるわけはないと固く信じていた私でしたが、見ようによっては、ベージュに見えないこともありません。そんな感じの色だったんです。でも、私の中ではそれは絶対にピンクでした。なぜかと言うと、それは、青いカップとペアーで考えていたからです。青いカップと並べると、ピンクと言った方がいいような色に見えます。私は青とペアーで色を考え、夫はそのカップを単独で見ていたんだと思います。

こんなふうに、私たちは同じものを見ているのに、片方は「ピンク」と言い、もう一方は「ベージュ」と言います。このことは、単にカップの色にとどまらず、生活のあらゆる場面で、またあらゆる人との間で起こっていることだと思うのです。

そして、私たち夫婦がお互いの主張を譲らなかったように、一旦こうだと思い込んだら、なかなかそれを修正することは難しそうです。だって、私にとっては「ピンク」が正しくって、「ベージュ」は間違っているのですから。実際のカップの色を見てさえ、「やっぱりこれってピンクやん」と思いましたからねぇ。結構頑固なんですね、私って(今ごろ言うなって?)。

ですから、「これって、絶対こうなんだ」と思った時には、ちょっと見方を変えてみるとか、ホントかな?とちょっと疑ってみるとか、そんなバランス感覚とでもいう様なものを持ちたいな、と最近思っているところです。












7月
ロールプレイ(3)

次の記事は2001年1月の楽笑会だよりからです。

お2人の方から返事がありました。ありがとうございました。

「1番が、(7)お茶、一緒に飲む? で、2番、3番がなくて、4番目に(5)お母さん、今からご飯食べるけど、あなたはどうする? かな?」(Sさんより)

「仲間だなあと強く思えるのは、(5)お母さん、今からご飯食べるけど、あなたはどうする?。開いた質問のように思うので。いろんな答えがかえってきそうです」(Tさんより)


さて、ロールプレイをする前に、私はこれらの代替案を見て、(4)今日、どうやった?  とか、 (7)お茶、一緒に飲む? とかがいいかもしれない、と感じていました。 (2)テレビ、おもしろい? もいいかもしれない。  (5)お母さん、今からご飯食べるけど、あなたはどうする? は、少しセリフが長いかも?などとも思っていました。

そして、実際に娘役になって、お母さんの言葉を聞いてみると、私は次のような反応をしました。

(1)(あなたは)ご飯食べた? → うん。  (2)テレビ、おもしろい? → 別に。  (3)何、やってるの? → 別に。  (4)今日、どうやった? → ……。  (5)お母さん、今からご飯食べるけど、あなたはどうする? → せやなぁ、、、。(と身体がお母さんの方を向く)   (6)(お母さんを)待ってた? → 別に。  (7)お茶、一緒に飲む? → う~ん。   (8)電話なかった? → さぁ?   (9)今日、寒かったでぇ。 → ……。

かなり、ふてくされた娘をしたつもりです。ところが、(5)お母さん、今からご飯食べるけど、あなたはどうする?を言われた時だけ、身体がお母さんの方を向いたのです。それ以外の時には、お母さんに背を向けたまま答えていました。気分的にも(5)が一番仲間だなぁという感じが強くしました。お母さんが食事をしているところへ行ってもいいかな?と思えました。

頭で考えていた時と違ったのでびっくりしました。他のメンバーさんの感想を聞いても、やはり、(5)が一番嬉しかったという方が多かったのです。もちろん、(7)お茶、一緒に飲む? なども嬉しいという感想もありました。

ところで、1月の楽笑会にも、このお母さんがいらっしゃっていて、その後の様子をうかがうことができました。最近は、もし、子どもが(習い事などに)行かないでと言ってきたら、そうするつもりで、話をすることにしたのだそうです。そうすると、楽笑会のこの日、「行ってきてもいいよ」と言ってくれたとおっしゃっていました。

また、習い事から帰ってきた時に、「あなたも一緒にどう?」と声をかけると、一緒にお茶を飲んだりするようになったということでした。とても嬉しそうにお話してくださり、私も聞いていて心がホカホカしてきました。ありがとうございました。












6月
ロールプレイ(2)

ロールプレイを実際にしてみて、とてもおもしろかった経験があります。2000年12月の楽笑会だよりからご紹介します。(事例を出してくださったメンバーさんには了解済みです)

あるメンバーさんが出してくださった娘さん(19歳)とのやりとりをロールプレイで確かめてみました。娘さんは家族の中で孤立しがちであり、話をできるのはお母さんだけです。外へ出かけることも少なく、家にじっとしていることが多いそうです。

ある日、習い事から帰ってくると、娘さんはテレビを見ていました。お母さんには機嫌がよさそうだと映りました。お母さんは「ただいま」とだけ言い、夕食を一人で食べ始めます。すると、急に娘さんが怒り始めます。お母さんはかなり冷静に対処をされていましたが、もう少しうまく対応ができなかったのか、という相談でした。

ロールプレイを使って、お母さんが帰ってきたところを再現してみると、「ただいま」としか言わずに、すぐに食事をし始めたお母さんに対して、すでに寂しく思ったのかもしれないことがわかりました。(実は、習い事には行かないでと言われていました)

そこで、代替案を募りました。お母さんが「ただいま」と言った後で、もうひと言声をかけるとしたら?と考えてみました。

(1)(あなたは)ご飯食べた?   (2)テレビ、おもしろい?   (3)何、やってるの?   (4)今日、どうやった?   (5)お母さん、今からご飯食べるけど、あなたはどうする?   (6)(お母さんを)待ってた?   (7)お茶、一緒に飲む?   (8)電話なかった?   (9)今日、寒かったでぇ。(寒かったよ)

さて、皆さん、(1)~(9)のうちでお母さんが仲間だなぁと一番強く思えるのはどれだと思いますか?また、それぞれのセリフを言われた時の感じを想像してみてください。実際のロールプレイの結果は ロールプレイ(3)↑ で。












5月
ロールプレイ(1)

「パセージ」
や楽笑会では、時々ロールプレイをします。親役、子ども役を決めて、互いにセリフを言ってみます。初めての時には、ちょっと気恥ずかしいですし、親として暮らしているのに、なかなか子どもの気持ちになれないこともあります。ところが、慣れてくると、これが面白くて病み付きになることもあります。また、意外な方(かた)が意外な才能を発揮されて、思わず目を見張るようなこともあります。(「パセージ」は一般財団法人野田俊作顕彰財団 Adler Institute Japanの商標です。)

最初に、事例を出されたメンバーさんに、実際のやりとりをしてもらいます。親役をする方はもちろん、子ども役をする方も、迫真の演技をしてくださる場合もあります。そうして、子ども役になってみて、どんなふうに感じるかを、皆さんにシェアーしていただきます。

この時に面白いなと思うのが、同じセリフを聞いているのに、「ちょっと引いてしまった」とか、「本当にそう思ってるの?」と疑いが出てきたとか、「くじかれちゃった」という感想があるかと思うと、「とても嬉しかった」、「すごく勇気づけられました」という感想もあるということです。

初めて
「パセージ」を受けた方は、「私は、皆さんと違うのですが…」と遠慮がちに、おっしゃってくださるのですが、受け止め方、感じ方は、違っていて当たり前です。「十人十色と言いますよね」などと言って、なるべくいろいろな意見をおっしゃっていただけるように心がけています。

さて、次に、事例を出されたメンバーさんに、子ども役をしてもらいます。そうすると、今までわからなかった子どもの側の気持ちがわかる場合があります。私たちは、言われた時のことの方が良く記憶に残る場合が多く、自分が言った時のことは、なかなかわかりにくいものです。でも、こうやって、立場を変えて、実際に言われた側に立って見ると、「なるほどな~」と思えることもしばしばです。

それから、代替案(代わりの対応の仕方)をみんなで考えて、それもロールプレイをしてみます。ここでも、不思議なことが起こります。それは、それぞれの代替案を一つずつ試してみると、頭で考えていたのとは違う感想が出てくるという事です。これについては、また、来月に、実際の例をご紹介したいと思います。↑












4月
3つの願い

3月に行われたカウンセラー練成講座で「3つの願い」というワークをしました。“もし、魔法使いが来て、3つだけ願いを叶えてくれると言ったら、どんなことを願いますか?”という質問に答えて、そこからライフスタイルを考えてみようというものでした。

私も考えてみたのですが、なかなか浮かびません。それで、やっと出てきたのが、「このままの暮らしが続いて、普通に歳をとって、普通に死んで行く」というようなもので、それだと別に魔法使いにお願いしなくてもいいよなぁ、と思ったのでした。

ところで、楽笑会だよりをぱらぱらと見ていたら、1992年7月号に次のような記事を見つけました。前の号で「5年後、10年後……どんなふうに暮らしていたいか、どんな自分になっていたいか…など、聞かせて下さい」という質問に、自分で答えています。「5年後の私。今の生活がとても気に入っているので、同じように暮らしていたい。塾の仕事を続けていて、…そうですね、できれば、もう少しアドラーギルドやアスミなどにも参加できるよう、仕事の時間を減らしたい」と。

92年というと、アドラー心理学に出会って3年目のことです。この頃に既にこう思っていたんですね。そして、振り返ってみれば、この時に望んだように、今も暮らしているのだなぁと思えます。それは、とても幸せなことだな、と改めて嬉しく感じます。

アドラー心理学を勉強すると、いつも「今の私にできることは?」と考える癖がついているので、非現実的な願いがなかなか出てこなくなるのだそうです。ワークの時には、あんまり夢のない願いだったので、もうひと頑張りしてひねり出したのが、「空を飛びたい」でした。ここから推測できる私のライフスタイルは何だったでしょう?(それはナイショ) さて、皆さんだったら、どんなことをお願いしますか?












3月
話を聴く

この間、うちの塾に通ってきている高校生とこれから1年の勉強をどうしていくかという話をしました。こういう時には、相手の話を聴かなくては…と思い、そうそう、「開いた質問やね!」と、じっくりと話をしました。

将来どうしたいと思っているのか、何か具体的に就きたい仕事はあるのか、また、そのために大学へ行こうと思っているのか、あるいは専門学校の方がいいのか。もし、大学へ行くとしたら、文系なのか理系なのか。自宅から通いたいのか、下宿をしたいのか。浪人は可能か。具体的にどこの大学へ行きたいか決まっているのか。……とにかく、ゆっくりと話を聴きました。そうして、こういう方向で勉強をしていきたいから、さっそく準備を始めましょう、という事で、その日は終わったのです。

ところが、明くる日、お母さんから電話がかかってきました。実はうちの塾をやめて予備校に通うつもりである、と。

ガ~~~~ン!そ、そうだったのかぁ。一瞬、「もう高校生なんだから、それならそうと言ってくれればよかったのに!」と思いました。でも、冷静になって考えてみると、その生徒さんは、言い出せなかったのではないのだろうか、と気づきました。

この話をポントクラージュ(フォローの会)で、皆さんに聞いてもらったところ、「私は高校生になって話を聞いてたんやけど、ちょっと聞いてみたいこともあったし、質問してみようと思ってもいたけど、あんまり一生懸命に話をしてくれるので、なんか、『はい』としか言えなくなってしまった」とあるメンバーさんがおっしゃってくださいました。

そうやろうなぁ、と深~く納得しました。私としては、「話を聴く」の実践をしていたつもりだったけれど、実は、根本のところで「思い込み」で話をしていて、結局は全然聴けてなかったということだったのですね。ちょっとショックでしたが、ポントクラージュの皆さんは、「そうやって、将来の話をできたのは、その生徒さんにとって、良かったんじゃない?」と優しく勇気づけてくださいました。本当に、そうだといいんだけど・・・。

というわけで、まだまだ、シュギョウの道は続くのでありました。












2月
結末を引き受ける

アドラー心理学を勉強していて、「一番好きな考え方は何?」と聞かれたら、皆さんはどう答えるのでしょう。

私は、「責任」ということです。これは、勉強しはじめてから割に早い段階で、「いいなぁ」と思いました。私はもともと我がままで、言い訳がましくて、どちらかというと責任転嫁の好きな人間でした。(今でもそうですネ) ですから、何か具合の悪いことが起こると、「それは、○○さんが××したから」とか、「こういうわけで、避けられなかったのだ」とか、言いたくなります。

ところが、「自分の言ったこと、したことは、全部自分に返ってくる」と習いました。えっ?!そうなん?--初めのうちは信じられなかったのですが、だんだんと、そうらしいと分かってくるようになってきました。

「相手が○○と言ったから」ではなくて、その前に私が相手にしたこと(あるいは、言ったこと)が、相手にそう言わせている部分もあるということです。つまり、私が違うことをしていれば(言っていれば)、○○などとは言わなかったかもしれないということなんですね。だから、相手のせいにせず、まずは自分がどうすれば良かったのか考え、そして、もし今後同じことが起こったら、どうすればいいのかを考えよう、と教わりました。

それは、私にとってはすごい発見でした。そのことが、きちんと胸落ちして納得できるようになると、ものすごくすっきりして、覚悟のようなものができたように思いました。なんか、背筋がピンと伸びる感じです。そして、相手のせいにせずに、自分がしたこと(言ったこと)だから、その結末を引き受けよう、と思えるようになってきました。それが、「責任をとる」ということだと、私は理解しています。

まだまだ、たくさんの言い訳が頭の中をめぐります。だけれども、少なくとも、その言い訳に自分がだまされないように・・・少しはなってきたかもしれません。本当に、ほんの少しですが。












1月
結局、どうしたいん?

アドラー心理学には、目的という考え方があります。例えば、マイナスの感情が出てきた時、「その感情の目的は?」などと聞かれます。「結局、どうしたいん?」ということですネ。

夫と意見が食い違って、ちょっと感情的になって、言い合ってしまうことがあります。クールダウンのため(ということにしておきましょう)に、別の部屋に移動したりします。それでも、夫に対していろいろと考えています。その間はマイナスの感情は消えてくれません。そのうち、頭の右上、後ろの方から、「それで、あなたはどうしたいん?」と誰かが尋ねてきます。(いつまでも「かわいそうな私」をしていられないのですよねぇ。便利なんだか不便なんだか……)

そうして、例えば、「何をしてもらいたかったのか」とか、「どう言ってもらいたかったのか」とか、あるいは、究極的には「これから彼と仲良くしたいのか、けんかをしていたいのか?」とか、「んで、結局はどうしたいねん?」などと、質問が飛んでくるわけです。(誰なんやろうなぁ、私の頭の中で勝手に質問するヤツは?)

それに、いちいち答えている間に、クールダウンしてくるし、次に自分がしなければならない行動、あるいは、したい行動が見えてくることが多いのです。別の部屋に行かなくてもこんなことができるようになればいいのに、と思わないでもないですが、それには、まだまだ修行が必要のようです。今のところ、感情的になったときに一人になって、ごちゃごちゃと考える時間が必要で、それもまた楽し、というところでしょうか。

一人で答えが見つからないとき?、もちろん、結構ありますが、そんな時は、まずは、自分で文章に書いてみます。それから、仲間の手を借ります。一番、手っ取り早いのは、アドラーネットかな? メールで相談もしますね。便利な世の中になりました。