育児に関して響いた言葉は
・やさしく キッパリ
この“優しく“がいつも課題なので、改めて頑張ります!
また、“宿題“の捉え方もとっても参考になりました!
エピソード、最初にざっと伺った時と、きちんと書き出した時で、印象が全然違うのが不思議でした。
どうしてだか考えていましたが、感情とともに話された場合と、冷静に思い出しながら話されてそれを書き留めたものを冷静に読んだ場合とで、違ったのかなと思いました。(大阪:H)
メンバーさんからの事例で自分の家族観について深く考えることができました。
結婚して10年くらいの時、お正月に夫の実家に行くのが億劫で一人だけ家に残ったことがありました。一人ぼっちのお正月は自由で快適でしたが
でも、今自分が子どもや孫たちを迎えるおばあちゃんになってみて振り返ると「そんなちっぽけなこと何も気にしないよ」と言ってあげたい気持ちです。「息子や孫が来てくれたんだから、それだけで十分。気にしないで自分が元気になることをすればいんだよ」って。
新米のお母さんは自分の子育てや家族のことに夢中でそれだけを一生懸命やっていればよかったんだ、なんだ!そうだったのか。
長年の罪悪感を捨てることができてありがとうございます!です。(大阪:M)
私の自己嫌悪は、いい嫁になるべき、いい人間になるべき、という理想に近づけなくて苛立っているものだとわかりました。わたしのおよその悩みは、〜〜するべき、という呪縛によるものが多いことにも改めて気づけました。
帰り道、1日放置していた義母からのお歳暮のお礼メールには、自然と返すことができました。ありがとうございました。
私の困ったときの対処法はこうなんだということも見つけることができました。
①他人にイライラするor 自分の言動に後悔して自己嫌悪に陥る
↓
②その背景には、〜〜すべきという考えがあるはずなので、それを見つける
↓
③その考えを取っ払うように努める(今の私では一人では無理)
↓
④楽笑会で相談する
↓
⑤みなさんの経験談などから納得する言葉に出会い解決へ
実際姑の立場にいる方からは、お嫁さん時代に私と同じように一人反抗心を抱え戦っていたけど、姑側はきっとなんとも思ってなかった、ということを教えていただき、また、こちらが相手へ致命傷レベルの言動をしてしまった…と自己嫌悪に陥っていても、姑はかすり傷にも思ってないとおもうよ、とも。人生経験が違うし、器が違うと。
その言葉でかなり救われました。
また、いくら家族になったからといって、人と人、相性というものがあるのだから、無理に好きになったり、会いに行ったりしなくていいと。実際そういう方が、身近にいるお話を聞き、肩の力が抜けました。
みなさんの経験談を語っていただいたことが、勇気づけになりました。
〜〜すべきということに囚われがちな私のこれまでの生き方は、今回のような苦しみも産むけれど、アドラーを学び始める前のような、こんな自分最悪、嫌い…!と落ち込んだりせず、逆に、私はこの性格で得たものがたくさんあるはずだし、こんなに頑張った自分を誇りに思いたいと思っています(これは以前した早期回想で過去の自分を抱きしめてあげた経験が生きていると思います)
今回の悩みに関しては、みなさんに道筋を示していただき、新たな一歩が踏みだせそうです。
また、そのほかに、とても興味深かったのが、小学生一年生の宿題のお話です。お母さんは、〜〜すべき(宿題は子供が自分でやるべき)という思いで真剣に向きあってらっしゃると感じました。
宿題を教えるのは先生の課題。だから、親は教えない。
宿題をするのはこどもの課題。だけど、こどもに選択肢を与えるのはOK。お母さんがほかの用事を済ませられるように、また、お母さんと子供がイライラせずに良い関係を築けるように、そして、子供が勉強のモチベーションを維持できるように…、こどもの課題の選択肢に、お母さんがかわり正解を書いてマルする方法もありなんだな、と。
苦労することで成長できるように思いがちですが、こんな方法もありなんだな〜と、とても勉強になりました。
久々の楽笑会で、本当に有意義な時間を過ごさせてもらいました。ありがとうございました。(兵庫:C)
先日もありがとうございました。
私はなんと言っても、子どもの学校準備のことを相談出来て良かったです。「答えを教えていい!」と「30分はしっかり傍にいる」で2〜3日、気持ちは楽。欲しがって買ったかけ算(2年生ので習ってないので答えを聞いてくる)なんかまさに暗記!と思い、ガンガン返答してます。
が、宿題プリントに関しては 自分で考えると言うんです‥‥。なんて、ステキな!の筈が 昨日も簡単な引き算がなかなか出来ず、だんだん無表情、呆れる、将来不安とかマイナス感情満載で声も低くなり、イラつき出まくり、みたいになってしまいました‥‥。
結局、昨日は夫が対応してくれて、間違ったところに×をつけたら、夫には言わずに、プリントは学校に持って行かないそうです 笑
◯がつくまでやろうとするけど、答えがトンチンカンすぎて理解出来ずに沸く大量の負の感情、どうしたらいいでしょう‥‥(兵庫:H)
トイレから出る時にオムツを履くのを嫌がり、毎回大変だと相談をしました。
アドバイス通り、トイレから出る時にオムツをしなくてもいいのはオムツが外れた子だけだと話し、トイレから出る時はオムツを履く約束をしました。
そしていざトイレの後、やっぱりかなりの抵抗がありました。
2日間はかなり抵抗がありましたが、3日目にはすんなり履いてくれました。
それと、最近子供かキーキー怒ったり、キツイ言い方をするのは私のせいじゃないか… 自分の悪い所ばかり似てる気がするし、自分と同じような性格になるのではないかと心配だと話をしました。
目から鱗でした。
11月の楽笑会
11月の楽笑会、10時半になってもどなたも来られません。「今日はお休みします」とか「1時間余り、遅れていきます」などの連絡をいただいていたのですが、さて、今日は「遅れるよ」と言ってくださった方だけかも?と思っていた所へ、お一人来てくださいました。わ~い!!
「えっ!私一人ですか」と言いながら、なんとなく、おしゃべりを始めました。すると、外出先できょうだいがもめて、上の子が拗ねてしまった、その時の対応についてどうだったのかな、というお話を出してくださいました。
きょうだい順位は、自分のライフスタイル(性格)を作るのに、結構影響がある、とアドラー心理学では考えています。ですから、こっちの家族の長子(一番上)と、あっちの家族の長子がよく似たライフスタイルを持っている、というようなことが起こります。
以前、長子、中間子(上にも下にもきょうだいがいる)、末子(一番下)、単独子(一人っ子)の4つのグループに分かれて、そのメリットやデメリットについて話し合う、というワークショップに参加したことがあります。
そこでは、自分のきょうだい順位についてだけではなく、パートナーとの関係でグループに分かれての話し合いもしました。私は、夫婦とも長子なので、そのグループに入りました。長子同士の夫婦では、何か事が起こった時に、協力して解決にあたることができるね、とメリットが出されましたが、一方で、どちらが主導権を取るかでもめることもある、とデメリットが話されました。とても印象に残るワークショップでした。
そんな話もしながら、メンバーさんのお子さんたちの出来事について考えました。きっと上のお子さんは、自分より下の子の方が優先されたと感じて、ヘソを曲げてしまったんじゃないかな、と思いました。このメンバーさんは末子さんでしたので、長子である上のお子さんの気持ちが、少し分かりにくかったのかもしれません。(私は、とてもよく分かる気がしました、長子ですからね(笑))
そういう話をしているところへ、お二人目のメンバーさんが来てくださいました。わ~い!!!
このメンバーさんからは、子どもさんとのこと、夫さんとのことなどのお話が出されました。お子さんのひと言、夫さんのひと言に動揺したり、腹を立てたり・・・また、そんな風になってしまった自分にがっかりしたり、というようなお話でした。
お子さんの言葉は本当の気持ちだろうかとか、お母さんのことが大好きだからこそ出た言葉じゃないのかななどと話し合いました。あるいは、アドラー心理学を学ぶと頭で分かってもちゃんとできない自分にがっかりしてしまうことがあるけれど、それは進歩のひとつだよねとか、自分が変わったと感じられるには年単位の時間が必要よねとか、そんなことも・・・。
メンバーさん二人と私の3人で、思いつくことを思いつくままに、じっくり話せた会でした。たくさん参加してくださるのも嬉しいですが、少しの人数でじっくり!というのも嬉しい私でした。ありがとうございました。
感想
子供が毎晩布団で暴れて困ってる相談をしたら、いいアドバイスを教えてもらいました。
と思っていたのですが、またまた忘れて怒ってしまいました。今日楽笑会の振り返りをしてまた思い出したので、次は忘れないように思い出したいと思います。
なかなか出来ないことばかりですが、根気強く教えてくれる仲間がいる事でたくさん救われています。いつもありがとうございます。(兵庫:S)
10月の楽笑会
7名(+お子さん2名)の方が来てくださった10月の楽笑会。いつもの「ミニ講座」(テキストの右ページを読み終わったので)どうしようかなと考えて、思いついたのが「パセージ」・カードを使うことでした。これは倉吉エンカレッジの会の方々が作ってくださったカードです。
まずは、参加してくださったメンバーさん達に、1枚ずつカードを引いてもらいました。
出たのは、5ページ「勇気づけをはじめよう」「勇気づけってなに?」、10ページ「ふたたび勇気づけ」「勇気づけと勇気くじき」、13ページ「子どもの課題と親の課題」「子どもはなにを学ぶか」、14ページ「子どもの課題に口を出す弊害」「親の課題を子どもに肩代わりさせない」、15ページ「みたび勇気づけ」「感情は身体にあらわれる」、30ページ「感情的になったときは」「気分がよくなる工夫をする」の6ヶ所でした。(こうやって並べてみると、勇気づけのページと課題の分離のページと感情のページですね。打ち合わせたわけじゃないのに、不思議です)
まず、カードを読んでもらい、出てきたテキストのページを読み、右のページも左のページも読んでみました。それから、カードを引いたメンバーさんに、「何かひと言ありませんか」と尋ねました。
すると、感想をおっしゃってくださる方がいたり、今気になっていることをお話しくださる方がいたり・・・、で、たくさんの話題について話し合うことができました。そのうちのいくつかをご紹介します。
例えば、大学生の子どもさんが友だちとの間でちょっとしたトラブルになり、急いで対処しないといけないことが起きた時に、親としてお手伝いをしたが、そのやり方で良かったのか、というお話を出してくださいました。ちょうど「課題の分離」のところを読んだので、誰の課題か点検したり、どうやって共同の課題を作ればいいかについて、みんなで復習できました。
また、私は家族を仲間だと思っているけれど、夫は思ってくれていないような気がする、というお話をしてくださったメンバーさんもいました。実際のエピソードを聞いて、夫さんの適切な側面を探しているうちに、少し「仲間」を感じられるようになったメンバーさん、「今日は少しは優しくなれそう!」と言ってくださいました。
「勇気づけ」という言葉は、良く知っていますが、改めてテキストを読みながら、いろいろなお話を伺っていると、実際にどうすればいいか、どのように考えればいいかが、具体的に分かってきたように思います。
1人ではなかなか開かないテキストですが、みんなと一緒に読み返すことができて良かったなと思いました。みなさんも、時々テキストを手に取ってみてはいかがでしょう。
感想
「自分自身の機嫌をとる」覚えておきたい(というか、必要な時に思い出したい)言葉です。(大阪:H)
今日もありがとうございました(^ ^)
●子どもは何を学ぶか
「教える内容は正しくても、教える方法がちがう」こと、私もよくあるなぁと振り返りました。
楽笑会、ありがとうございました。
「パセージ」カードを引いて、ページを読むのもいいですね! 今の自分にぴったりなカードが出て、びっくりしました、笑。
今回もメンバーさんに感謝です。
けど、1人でどうこうしようと思わないで、子供と一緒に練習しよう、解決すればいいと教えてもらって、気持ちが楽になりました。私が出来ないんだから、子供もできなくて当たり前ですね。
それと夫との喧嘩の事例から、自分の思考パターンを考えてみました。
それと、自分がどうすればいいか悩んだ時はメリットもデメリットも受け入れるということ。
それではまた次回も楽しみにしています。(兵庫:S)
語られたエピソードの中で、大きくなられた子どもさんとのやりとりがありました。子どもさんが友だちのために買ってあげた新幹線のチケットが不要になってしまった、というものでした。母親としてついつい介入したくなる気持ちがよく分かりました。子どもが成長しても与えられる課題は次々と生まれてくることを具体的に感じられるお話でした。
私は皆さんのお話を聞きながらも、私に相手してもらうために、あれこれと愚図ってくる娘と何度か部屋を退出して、部屋の外では3歳の娘に無茶な注文を出していました。「約束したよね?」とか「終わったら公園もう行かないで?」とか。。
楽笑会に来ておきながら、その場でエピソード作っている私だったのですが、皆さんがぶったまげるような、自宅でしてしまっている言動はとらずに過ごせました(笑)
それだけに、私と娘のヤリトリに勇気づけてくださる声かけを頂いて、嬉しい気持ちもありましたが、かなり恥ずかしくもありました。「普段、すんごいこわい母親ですよ~」と娘が私のことで言いたいこといっぱいあるでしょうから。。
楽笑会はいろんな地域から皆さん集われていて、私にとってなんだか寺子屋みたいに感じます。また参加するのが楽しみです。 ありがとうございました!(兵庫:T)
今回は「パセージ」のテキストからカードを引き、その箇所に関するコメントを拾いながらテキストを振り返る形で進行しました。
夫婦喧嘩のエピソードで、「不適切な中の適切な行動への正の注目をしよう!」 喧嘩なので勝負の世界、勝たなくてはならないと(私もそうでした)攻撃の手を緩める訳にはいかない…ところですが、長時間喧嘩ができる関係、というところに「パセージ」の視点がある、ご夫婦が向き合いたいという強い思いがあることがよくわかりました。
勇気づけの言葉、私の息子への感謝の言葉は、皮肉だと取られないかと思って、ためらってしまう…ということも、受け取り方は相手の領分、こちらにはどうしようもできないので、うまくいかなければ謝るなど、とにかく言葉に出してみないとわからない、ということ。改めて私自身が「パセージ」に勇気付けられた感じがしました。
感情のコントロールを学ぶということ。タイムアウト、と小さいうちから子どもに教え、できるようになっていると聞き、さすがだなぁと思いました。自分の不機嫌を人に振りまくこと、家族でも受け止めてばかりは辛いですから。大人に対しては、タイムアウトをもう教えられなくなるので、どうしたらよいのでしょう?
今回はたくさんの項目の振り返りがあって、日頃頭に入れてないこともあったので、広く学べました。ありがとうござました。(兵庫:S)
9月の楽笑会
9月の楽笑会に来て下さったのは、6人の方々でした。久しぶりに参加してくださった方や、初めて楽笑会に来てくださった方(しかも、ちっちゃなお子さん連れ!!)もいらして、にぎやかに始まりました。
いつもの「ミニ講座」では39-R「子育てっておもしろい」を読みました。右のページは、実質このページが最後ですね。3年前(2016年)の4月から右のページを読み始めたのですが、めでたく(!)今回で終了です。来月からはどうしましょう。また、1ページに戻りましょうか・・・。
で、このページに何が書いてあるかと言うと……。「アドラー心理学では、Passageのような子育てのコースを、よく自動車の運転にたとえるんだ。どちらも、無免許だと事故をおこしてしまう。免許をとるための教習の最中は、とても不自然なことをしなくてはならなくて大変なんだけれど、やがて身について、楽しみながらできるようになる。」というところ、本当にそうだなぁ、と読むたびに思います。(でも「楽しみながら」というのが、なかなかなのですけれどね・・・)
さらに、「やっぱり、子育てを楽しまなくっちゃいけないと思うんですよ」と続きます。本当に、本当にそうですね。子育ては大変だけれど、でも嬉しいこと、おもしろいこともたくさんあるはずです。ですから、お母さんたちにもお父さんたちにも、子育てをうんと楽しんでもらいたいなと思います。そのお手伝いが少しでもできれば嬉しいです。
その後、お話を出してくださったのは、夫さんとのやり取りでした。駐車場に車を停めるのに、もう少し左側を空けた方がいいと思ったメンバーさんが夫さんにそれを言ったところ、ケンカになってしまった、というお話でした。
まず、やり取りを聞いて、ロールプレイをしてみました。次にロールチェンジもしてみました。メンバーさんに夫さん役をしてもらうと、夫さん側の気持ちがよく伝わったようでした。
ホワイトボードに書かれたやり取りを見ていると、内容はそんなにマズくなさそうに思いました。にもかかわらず、夫さんの反応が怒っているように感じられ、「なんで、そんなに怒るのか」「いや、怒ってない」……と、だんだん違うことでのケンカになっていく、というのは、私自身にもよくありがちだなぁ、と思いながら聞いていました。
メンバーさんは、仲良くしたいのに、とおっしゃいましたが、夫さんの方も仲良くしたいんだな、ということが伝わってくるやり取りで、きっと最初にボタンを掛け違えちゃったのかもしれないなとも思いました。
メンバーさんの適切な所と夫さんの適切な所を探してから、代替案を考えました。そこで、最初のセリフを言う時の感情が問題だったということに気づかれました。
一生懸命に、どうやって言えばいいかな、と考えて言ったセリフだったので、内容は問題なかったんです。でも、「これを言うと、きっと怒りだすだろうな」と思ったまま(つまり、マイナスの感情のまま)伝えてしまったので、やはりというか、案の定というか、夫さんは怒ってしまったんですね。
それで、最初のセリフをプラスの感情で、明るい声色で、言ってみる練習をしてみました。聞いている他のメンバーさん達も「良い感じ!」となりました。
相手の実際のセリフを聞く前に、きっと相手はこう言うに違いないと思い込んでしまって、その「思い込み」に対して怒ってしまい、マイナス感情がバリバリになる、というようなことが私にもよくあります。ということは、問題を作っているのは、結局私自身なのですね。結構思い当たることがあって、心の中で冷や汗をかいていました(笑)!
素敵な事例を出してくださってありがとうございました。私自身にとっても、学びになるお話でした(^o^)/
感想
初めてなのに、とても居心地がいいステキな会でした!
心に一番残ったのは、
今回もありがとうございました。
出される事例がいつもどこか我が家と重なって、他の方の事例で我が家のことがよく分かります。
子育ては最近、ほんとに楽になってきました!以前は言うこと聞いてる時と寝てる時だけ かわいいと感じてるような気がしてましたが、最近は怒っててもかわいく思える時が増えて、権力争いをしても、どっか楽しんでる気がします。また来月、伺う予定なのでよろしくお願いします。(兵庫:H)
今月はメンバーさんの相談がとても心に残りました。「そもそも、『人々は仲間だ』と親が思えていないのに、子どもにそんな信念を持ってもらおうなんてとても、、、」。その話を聞いて、「わかる!わかるーー!!」と思いました。私もアドラーを学びはじめた時は強くそう思っていたし、今でもそう思うこともあります。でも、アドラーを学び始めた時より、そんな風に思うことは確実に減ってるなぁとも気づきました。
振り返ってみると、楽笑会や他の自助グループで学ぶうちに、周りの人から沢山の勇気づけをもらい、私も相手を勇気づけする機会をもらって、また勇気づけられて、、仲間で学ぶことがとてもいいことなんだと自然と思えるようになりました。そして、少しずつ、少しずつ、周りの人を仲間と思っていいんだと、思えるようになってきたんだと思います。アドラー心理学を学ぶようになって、いろんな人に出会えて、仲間が見つかり、仲間でいることの良さがわかったことは、アドラー心理学を学んできてよかった!と思うことの大きなひとつです。
今回はそんなことを振り返ることができた例会でした。ありがとうございました。(大阪:I)
8月の楽笑会
今月の楽笑会には7名の方が参加してくださいました。夏休み中だということもあって、お子さんも3人(小学生2人と年少さん)来てくださいました。お子さんたちは長時間おとなしくしてくれていましたし、小学生のお姉ちゃん、お兄ちゃんが年少さんと遊んでくれたりして、メンバーさんも安心して話ができたのでは?と思いました。ありがたかったです。
さて、「ミニ講座」で読んだのは、38-R「わがままのままで他の人の役に立つ」です。ここには、子どもだけでなく、親も男も女も若い人も年寄も、みんな、わがままで自分勝手だと書いてあります。「つまり、人間って、どこまでもわがままで、自分中心で、自分の利益のことしか考えないものみたいです。」と。
「パセージ」で子育ての新しい方法を学ぶと、これだ!と思って、一生懸命に実践してみます。子どもが勇気づけられて、適切な行動をたくさんしてくれるようになると嬉しいし、「やっぱりこれだ!」と親の方も勇気づけられます。
ところが、しばらくするうちに、私が子どもの行動に正の注目をするのは、私自身がやりたいようにしたいからじゃないのかとか、単に私のわがままを通しているだけなのだろうかとか、子どもを自分の思い通りに動かそうとしているんじゃないかとか、・・・そんな不安にかられることがあります。
それって、「素敵な」不安だなと私は思います。誰しも、そんな時期を過ごすものだなぁとも思います。私も、一時期、視線を動かすだけで相手に何かをさせようとしているんだ!と感じて、体が固まってしまったことがありました。
でも、テキストも言っている通り、私たちはどこまでいっても「わがままを捨てることなどできない」のです。だったらどうすればいいのか?
それもテキストに書いてあります。「同じ目標を達成するためにさまざまの違う道筋を考えれば、その中には自分だけじゃなくて、他の人々にも利益があるものがあるのではないか。そういう道筋をみつけて、共存共栄すること、それをめざしているのです。子どもに、そういうことを教えていきたいのです。」
親がわがままを通した結果、子どもが勇気をもって生きていけるようになるなら、「それはそれでいいことだと思うんですよ。」ということですね。
体が固まってしまった私は、ここを読んで、心底ほっとしたのでした。わがままな自分はダメだ!と思っていても何も起こらないけれど、わがままな自分を活かして子どもを勇気づけよう!と思えれば、少しは何かが起こり、何かが変わっていくだろうなと思えます。
楽笑会に参加してくださったメンバーさんの中にも、「私がやりたいようにやっているだけで、それを子どもに押しつけているんじゃないかと思って、それでいいのかな、これじゃよくないのかな、と思ってしまう」とおっしゃる方がいらっしゃいました。
これも、素敵な悩みだなぁと思いました。自分はわがままだとか、これは私のわがままでしかないとか、自覚していることはとても大切なことだと思います。その上で、他の人(=例えば、子ども)の役に立つような道筋を考えていきましょう。自分で見つけられれば素敵だけれど、見つからない時は、是非、楽笑会で仲間の力を借りてくださいね。今月もありがとうございました!!
感想
8歳の孫娘と一緒に参加しました。
彼女と5歳の弟が最近の「パセージ」の実践相手です。平日の夕食から2時間ほど一緒に過ごしています。
翌朝の孫娘との会話です。
私「昨日きょうだいげんかの話が出てたけどどう思った?」
孫「どうって?」
私「弟とよくけんかしてるやん」
孫「うん、してるしてる!」
私「ケンカって楽しいの?」
孫「楽しくは…ない…」
私「じゃあ楽しいのはどんなとき?」
孫「ふつうに一緒に遊んでるときとか、おかあさんも一緒になんかしてる時」
孫「私は上手じゃない、弟が終わらしてくれる」
私「どうやって?」
孫「『仲直りしよう』って言ってくる」
私「ケンカしてるときに大人にしてほしいこととかしてほしくないことは?」
孫「大人が何するとかはあんま関係ない」
聞いてみるもんですね。彼女はケンカを終わらしてくれる弟を尊敬してるんだ!
今回、38-Rをみなさんと読んで、「子どもの不適切な行動が不愉快なので、叱るかわりにアドラー心理学の方法を使ってそれをやめさせて、自分が快適になろうとしているだけ」の文章に、痛いところを突かれた気持ちになりました。
アドラー育児を実践しようとしていても、基本である「仲間・能力」のことは忘れ、目先の対応ばかりにとらわれて、自分の快適さを求めていることが多々あることに反省です。結局、アドラー心理学を学ばせてもらっているのも、アドラーの育児をさせてもらっているのも、わたしのわがままからだなぁとわかり、このことは、夫・子どもに感謝することなのだと思い至ることができました。夫・子どもの協力的な姿勢にありがとう!!です。わたしのわがままを徹して、これからもアドラーを学ばせてもらいますが、家族の幸せに貢献できるように学んでいきたいです。
今月もありがとうございました。(大阪:I)
楽笑会へは 多分一年半ぶりの参加です。全く 発言出来ませんでしたが、しっかり学んで帰れました! かぜサンから、ベージュと青色の物探しのお話。
ここの所、一人息子へ負の注目ばかり。そうなっている自分にも あまり気づいておらずでした。しんどいなぁとは思っていました。夏休みに入り、一緒に過ごす時間が一気に多くなったからかな?(笑)
私を仲間だと思えないし、息子もきっと辛かったと思います。いいトコ探し、新鮮な気持ちでまた楽しみます! ありがとうございました!(大阪:H)
今回は「わがままのままで他の人の役に立つ」でした。「わがまま」という言葉に今回はとても強く印象付けられました。今まで、「わがままを言ってはいけません」「わがままを言って困らせてはいけません」というように、育てられ育ててきたので、この考え方には目から鱗が落ちるようでした。
周りがわがままを言うから「我慢ばかり」って、誰かがいつも「我慢」しているみたいな環境、おかしい!わがまま=その人の意志、こだわり?
自分自身の心の声を聴いて、自分のわがままも叶えてあげてなくては。そうすれば、人のわがままにも寛容になれるような気がします。(なれるようになってきた!)
でも、アドラーはわがままだけ通せばいいと言ってません。「子どもがわがままを通しながら、しかもあなたや家族や社会のために有益になる方法はないかを、一緒に考えるしか、解決策はないんです。」一緒に考えながら、みんなのわがままを叶えあう関係を築けたらいいなと思いました。
メンバーさんのお孫さんの話で、弟くんの願いをお姉ちゃんの意志も尊重しながら折り合いをつけるにはどうするか?
弟くんが選べる選択肢を3つ提示され、うまく解決したのにはさすがだなあと思いました。弟くん、お姉ちゃんどちらに対しても中立であるためには・・・という意識の持ち方も選択肢を考えるうえて大切なんですね。
我が家は相変わらず「お片付け」「食事のとり方」など、一緒に考えて解決しなくてはいけない問題がありますが、いつかうまくできるといいなあと思います。(兵庫:S)
7月の楽笑会
今年はずいぶんと梅雨入りが遅かったですが、そんな中楽笑会に8人のメンバーさんが来てくださいました。まずは、いつもの「ミニ講座」でテキストの右ページを読みました。今月は37-R「子どもの居場所」です。
ここに、私の大好きな文章があります。「人間一人ひとりは、それほど意味のある存在じゃないんだけれど、社会というかな、世界というかな、全体の文脈の中で、自分の役割が決まってきて、それが自分が生きる意味を作るんだっていうことを言いたいんです。」
「全体の文脈の中で決まる自分の役割」って、いったい何だろう…と、ここを読むたびに考えます。子どもたちにもその役割について考えてもらえるといいなと思います。
さて、あるメンバーさんがここを読んで、「ちょっといいですか」とお話をしてくださいました。小学生の子どもさんとのやり取りです。
朝、玄関まで行った時、「今日は傘を持っていく!」と子どもさんが言い出しました。今日は晴れているのに、と思って聞くと、「お日様のために傘をさす」というのです。そういえば、私たち大人は日傘をさしますね。きっとそれを、どこかで見ていたのでしょう。
なかなかおもしろいことを思いつくなぁ、と思ったものの、メンバーさんの頭の中に別の心配がよぎります。・・・雨も降っていないのに傘を持っていくと、ひょっとしたら傘を振り回すなどして、他の人たちの迷惑になるんじゃないだろうか・・・。
その後、傘を持って行くとか行かないとかのやり取りがあって、突然「学校へ行かない~!」などとぐずり始めました。
いったい何が起こったのでしょう。メンバーさんは「傘を持って行く/行かない」のところではなく、「学校へ一人で行く/行かない」のところの方を悩んでらっしゃったので、まずそちらの話を伺ったのですが、別のメンバーさんから、傘のやり取りがなければ、学校のやり取りもないんじゃないかしら?との指摘があり、傘のやり取りのところのロールプレイをしてみました。
分かったのは、子どもなりに素敵なアイデア(お日様のために傘をさす)を思いついたのに、雨が降っていないから傘は持って行かない方がいいと言われて、何か納得がいかない、と思ったんじゃないかということでした。
また、メンバーさんにとっては、突然学校に行かないと言い出したように思えていたことも、実はその前のやり取りで「仲間じゃない」(=居場所がない)と思った子どもさんが、どうすることもできなくて、そう言いだしたんじゃないかということにも気づきました。
このやり取りの中で、メンバーさんは「子どものアイデアは素敵だな」とも思ってらっしゃったし、最終的には「学校へ行く行かないは、あなたが決めていいんだよ」と決断を任せた結果、お子さんは自分で決心して一人で学校に行くことができました。それを伺って私は、これまでメンバーさんが「パセージ」を一生懸命学んでこられたからだなぁ、さすがだなぁと思いました。
その後、皆さんの協力で代替案を出してもらいました。もし、また次の機会があれば、雨が降っていなくても傘を持って行ってもらうことにしよう、そして、振り回さないか心配なら、一度晴れの日に持って出かけて、傘の扱い方を見てみるのはどうかしら、などのアイデアが出されました。
私たち大人は、子どもの不適切な行動は、ある時突然起こる!と思うことが多いですが、実はその前に、自分が子どもの仲間じゃなくなるようなことを言ったりしたりしていることって、結構あるようです。今回のように、その出来事についてじっくりと考えてみると、いろいろなことに気づけていいなと思いました。
それもこれも、一緒に学ぶ仲間がいるからこそですね。今月もありがとうございました。
感想
今回は、私のエピソードを時間をかけて扱ってもらい、ありがとうございました。
小1の子どもが、朝、急に、「学校に行きたくない!行くならお母さんと行きたい!」と泣きじゃくりながら、かんしゃくを起こしました。
今まで学んだアドラーの対応を総動員して、やりとりしてみましたが、これでよかったのか、もう少し癇癪の時間を短くする対応はなかったのか、相談しました。みなさんからのアイデアや勇気づけのおかげで、例会が終わる頃にはずいぶん気持ちも軽くなりました。
ーその後談ですー学校から帰ってきた子どもに、朝にかんしゃくを起こした理由を聞いてみました。みなさんから言われた通り、傘の事が理由だったようです(直前に傘のことで私とやりとりがありました)。そして次の日は、家を出る前に一緒について来てと事前にお願いをしてくれました。また、下校時刻は雨の予報だったので、傘を持っていきました。メンバーさんのアドバイスの通り、どんな風に傘を扱っているか、こっそり後をつけて様子を見ると、意外にも傘を振り回すことなく、持っていました。
この件で、傘の扱いに対する不安は杞憂だったこと、突然のかんしゃくだと思っていたのに、ちゃんと理由があったこと、学校に行く行かないではなく、傘の出来事を丁寧に対応すればよかったことなどがわかり、かんしゃくも、私との間で居場所がなくなったから起こしたのだろうなと今なら思えます。そして子どもを信頼してお任せできることが増えました。みなさま、たくさんのアイデアと勇気づけをありがとうございました。(大阪:I)
仲間はずれされると、不適切な行動に繋がる…というテキストの言葉にドキッとしました。
外の世界で居心地の悪い息子を、家庭で勇気付けられず、邪魔者扱いして、随分傷つけてしまいました。息子の躓きに、いつもハラハラ…。援助しなくてはいけないという強迫観念が、息子との関係を損なってしまったのかなと。
今は(かなり)温かい気持ちで、向き合えるようになりました。
傘を日傘がわりに持っていきたい息子さんとのやりとり。傘を持っていきたい子供の素朴な考え、ちょっとした気持ちの行き違いで、子供の不適切な行動を引き出してましたが、その後、子供への選択肢の与え方や、決定権を委ねる言葉かけが、さすがだなぁと、思いました。
失敗したやり取りも、アドラーの考え方に従って、修正できる素晴らしいモデルだったと思います。(兵庫:S)
先日も居心地よく勉強させてもらい、ありがとうございました(^^)
今回は、2つの気づきを得られました。こどもが友達に怪我をさせることは、親が止められるものではない、ということ。本人が思いがけずする時もあるし、わざとの時もあるし、ただ、自分がこどもの立場だったとき、味方であるはずの親が、相手の方ばかりみて謝ってしまうのは、置いてけぼりな気分になるだろうな、と思いました。
もう1つは、こどもが不適切な行動をするときは、こどもが親のことを仲間と思っていないときだ、ということ。
その後、生活する中で、わがこが、帰る時間になってもゲームセンターでもっと遊びたいと駄々をこね始めました。その時、これは、ただ単にわがままを言っているのか、それとも、何か私の発言で心が折れてしまったのか、考えました。でも、結局その場では答えは見つけられませんでした。
数日間考えてみて、ふと、会の中で、1つ前の場面(親子の会話)を思い出すことで、そこにこどもの不適切な行動のキッカケが見つかっていたことを思い出しました。
泣き叫ぶ場面の前、そもそもゲームセンター近くの広場に連れて行ったのは、待ち合わせまでの時間つぶしのため、私から広場へ誘導していました。つまり、私(大人)の都合だったんです…子供目線でみると、誘われるがままに連れてこられ、大人の事情で切り上げられたわけですね。
こどもに、"じゃあ、こうすれば?"というのではなく、"どうしたいの?あなたが決められるよ"と声掛けをするということを学んだのですが、私は、先ほどのゲームセンターの場面で、それを言う勇気がありません。
私は、こどもがもっと遊びたいという選択をしたら、それに付き合う自信がないですし、自由に選択をして、めんどくさいことになったら嫌だなぁ、という気持ちが捨てきれていません。どちらになっても自分が困らない選択肢2つを与えたほうが、自分が楽だからです。めんどうになっても受け止められる心構えと寛容さが私にはまだ無いということに気づきました。
果たしてあのゲームセンターの場面で私はどう声かけすればよかったのか。今度メンバーさんの意見を伺ってみたいと思いました。(兵庫:M)
小学一年生の子供さんとお母さんの朝の登校時のエピソードでした。紙に言葉のやり取りを書いていくと、お母さんの 子供さんに学んでほしい事と
あなたが決めていいんだよ!とメッセージ がしっかりとはいってました。子供さんとのやりとりの中で 丁寧に そして冷静にお母さんのメッセージを伝えておられるのが 今も残ってます。
で、私は と言うと
メンバーさんのエピソードを忘れずに 1ヶ月やってみますね。ありがとうございました。(大阪:M)
子供の傘の事例、人の話だったら子供の気持ちがよく分かりました。
他人事だとよく分かるのに、不思議と自分の事や我が子になると全く見えません。
そして兄弟喧嘩の相談をした事ですが、とても参考になりました。声かけやキーキーなってイライラした時の対応など、できる時は実践しています。こういう時はこうしようというやり方があると、実践しやすいなぁと感じています。が…気持ちに余裕がないとダメですね。まだまだ練習の日々です。(兵庫:S)
6月の楽笑会
6月の楽笑会には、初参加の方2名を含めて9名の大人と可愛いお子さんお一人が参加してくださいました。久しぶりに来てくださったメンバーさんもいらして、とても嬉しかったです。
最初の「ミニ講座」で読んだのは、36-R「タテの関係とヨコの関係」でした。ここに「男性は男性として、女性は女性として、大人は大人として、子どもは子どもとして、おのおのの違いを認めあいながら、しかも対等で平等に暮らさなければならないんです。それが、アドラー心理学が勧める新しい育児です。」と書いてあって、これが私たちが目標とする暮らしなんだなぁ、素敵だなぁ…、と改めて感じました。
それはそうなんですけれど、では、日々の暮らしの中で対等・平等って、どう考えればいいんだろう、とも思います。
例えば、子どもが居間に自分の持ち物を持って来て置きっ放しにしているとします。親から見ると、邪魔ですよね。掃除する時困るのに!とか、自分の部屋があるのにどうしてここに置くの!とか、お客さんが来たら恥ずかしいじゃない!って思いますよね。でも、「片づけて!」と言っても、なかなか片づけてくれません。
こんな時に、タテの関係とかヨコの関係とか、あるいは対等・平等って・・・?、と考えてみました。テキストにある「おのおのの違いを認めあいながら」ということを、この場面に当てはめてみるとどうなるでしょう。
居間が散らかっているとか、自分の物は自分の部屋に置くべきとか、お客さんに恥ずかしいとか、そういうふうに感じるのは、私です。私の好みですね。では、子どもはどう感じているでしょうか。散らかっていると思っていないかもしれません。また、自分の物を居間に置いてもいいよね、と思っている可能性もあります。
この事例は、あるメンバーさんが出してくださったお話だったのですが、お子さんはお客さんが来るとなると、私物をちゃんと自分の部屋に持っていってくれるのだそうです。
ということは、これって対等・平等ってことなのかしら?と思えてきました。部屋が片づいているとか片づいていないとかという感じ方は、人それぞれです。ですから、親が散らかっていると感じている場所も、子どもはそんなに散らかってないと思っていることもあります。
もし、お客さんが来るという理由で片づけてくれるとすれば、それは、子どもが親に譲ってくれているということになります。ならば、お客さんが来ていない時は、少し親の方が譲って、少々散らかっていても(散らかっていると感じても)そのままにしておく、という手もあります。それが、対等・平等ということなのではないでしょうか。
おのおのの違いを認めると、お互いに「自分の方が正しい」と押しつけなくて済むかもしれません。少しずつ譲り合って、妥協し合って、それでうまく、楽しく、幸せに暮らせるといいですね。
今回は、出してくださったお話のお蔭で具体的にどう考えればいいかが分かりやすかったなと思いました。ありがとうございました。
その後、お子さんが学校の宿題(特に音読)を嫌がっているのだけれど…というお話が出されました。別のメンバーさんからは、「音読の宿題って必要なのかしら」という意見も出ました。学校の宿題は、とりあえず一律にみんなに出されるものですから、その宿題が必要な子どももいれば、不要な子どももいるでしょう。私自身は、勉強って楽しいな、分かるってすごく嬉しいことだな、と感じてくれるといいなと思っています(特に小学生の間は!)し、そのうち、子ども自身が自分に必要な宿題はどれかを選んでできるようになるといいなとも思っています。
本当は、楽しくできる宿題を先生が出してくれることが一番いいのですが、それは望んでも無理かもしれません。そこで、親としてできることは何かな、と考えてみるといいですね。子ども達が楽しんで宿題ができるようにするには、どんなお手伝いができるでしょう?何か素敵な工夫があるといいなと思います。子どもと一緒に、どうやったら楽しくできるか相談するのもいいかもしれません。工夫が見つかったら、是非教えてくださいね !(^^)!
感想
先日はありがとうごさいました。初めてでもスッと仲間に入れてもらえて嬉しかったです。
①「こちらから頼んだ時だけでも片付けをしてくれるのは、相手が“譲ってくれた”という事である」というお話を受けて、「言わなきゃやってくれない」と思っていたのを反省しました。
年少の息子には帰宅後、お弁当箱を流しに置く事をお願いしていますが、まだ自分からする事はほとんどありません。いつもイライラしながら(早くして!は良くないと思ってはいるが、不機嫌丸出しで)「いつやるの?」と言っていました。楽笑会の後からは、マイナスの感情はなるべく使わずに「いつならやってもらえる?」と尋ね、息子が決めた時まで何も言わずに待ち、その時間になったら声をかけるようにしています。声をかけても時間はかかりますが、息子が実行してくれた時には(今のは譲ってくれたんだな)と思い「ありがとう、助かる〜」と言っています。自分のイライラが少し減りました。
②息子は最近、登園渋りがあります。特にスイミングは施設内の音がワンワンするのが嫌なようで「うるさいからお休みしたい」と言います。先週は初めて自主的に見学しました。
私は小さい頃から、言われた事はそんなもんかとこなしてきたタイプなので、「みんな違っていい」と思いながらも、みんながやってる事はやって当然だという考えが抜けません。
しかし、「その子にしかできないことがある」「好きなこと、楽しいことから始めたらいい」「(勉強の)楽しさを感じられることが一番大事」というお話を聞き、毎回見学という手もナシではないけれど、どうしたらスイミングが少しでも楽しくなるか、どんな工夫をしたら入ってもいいと思えるかを息子と考えているところです。「音が聞こえない方がいい」と言っているので、耳栓を試してみるか?などと話しました。(夫は耳栓はないでしょ、と難色を示していますが(*_*))今後どうなるかわかりませんが、まずは味方でいることを決め、息子が納得できる道を探したいと思います。
まだまだ1日の中で縦の関係を見せつけて威圧しまう場面がたくさんあります。人は対等であること、それぞれの違いを認めることを意識して、少しずつ変えていきたいと思います。ぜひ、また参加させてください。(大阪:O)
今回は36Rの「タテの関係」「ヨコの関係」でした。
今まで「パセージ」でマイナスの感情や自分にとって厄介な人について考えてきました
こどもや身近な人に対して、自分の価値観や生活スタイルの違いからくる摩擦がある
テキストに「おのおのの違いを認めあいながら、しかも対等で平等に暮らさなければ
ほかに、小学校に入学されたばかりの子供さんの宿題についての話もありました。学
今回も行って良かったです。凝り固まった視点がいつも広がって軽い気持ちになります。
おかげさまで宿題や学校の準備に対しては大分肩の力が抜けたと思えたところでしたが、今日の授業参観‥‥1人別のことをしていたり、先生の話を聞いてなくて、私に今から何をするのか聞いてきたり、話の意図を掴めてなかったりで、自分や友達のいいところを見つけましょう!という道徳の授業なのに、子どものいいところになかなか目がやれずイライラして帰ってきました (T ^ T)
久しぶりの楽笑会、いつもながら、とてもステキな時間でした。
以前より、Tさんから楽笑会のことは聞いていました。
一人で色々思っても負のループに陥ったり、自分を責めたり
子供の片付けは永遠の課題ですね。それぞれの気になる部分が違うため
子育て中のママさんも多く参加されていて
アドラー心理学を学ぶなかで、「大人と子どもは対等だ」は知識として知っていることでしたが、いざ実生活の子どもとの関係の中では、なかなかそういう風に思って対応できてはいませんでした。今ひとつ、対等とはどういうことなのかが理解できていなかったんだと思います。今回参加して、今まで、親・大人の力とマイナスの感情を振りかざして、注意したり、怒ったりしてきたなと反省しました。テキストの中にあった、「マイナスの感情っていうのは、タテの関係の中で、相手に投げつける武器なんですよ」の一文にさらに衝撃を受け、「仲間・能力」を念頭に子どもを勇気づけながら、私も勇気づけながら子育てしていきたいと思いました。(大阪:I)
今回の楽笑会で、私がヒットしたのは、「子供のカンシャクは感情のコントロールの練習をしてる」と低学年の子供さんの エピソードに 北風さんが コメントされてたところです。娘、息子の子供の頃は どうやったかな?と…。
まあ、それより これから小さい子供さんを冷静に観察できそうです。
大人もまだまだ発展途上のようにも思います。
5月の楽笑会
7名+かわいいお子さんが参加してくださった5月の楽笑会。最初の「ミニ講座」では、35-R「感情は信念からおこる」を読みました。ここには、「感情的になっているときに、(略)感情が高ぶるようなことを、くりかえしくりかえし考えているんです。」と書かれています。・・・う~ん、どうだろう?・・・と自分が感情的になっている場面を思い出してみると・・・そう、そう、そうです! 確かに考えています。「なんで、あんな言い方するかなぁ、私だって○○のことを配慮して自分なりにちゃんとやったのになぁ。ほんま、ひどいよなぁ」・・・なんてことを、ね(笑)。
で、この考えは、信念にもとづいて出てくると書いてあります。つまり、その信念が変わらない限り、同じ考えが出てきて、同じ考えがある限り、同じ感情が起こる・・・というわけです。
「アドラー心理学でいう<信念>というのは、個人独特の法則のことです。」と説明があり、この法則があるからこそ、その人らしさがあり、一方でその法則があるが故に、人とトラブルになる時もある、と私は思っています。
その法則を見つけ出すために、ちょっとしたワークをしてみました。ある日ある所でのエピソードを記入してもらった後、自分の行動(セリフ)の中で一番感情的になった部分を取り出して、何故そう思うのか、どこがそんなに嫌なのかを、書いてもらいました。なるべくたくさん書いてね、とお願いしました。
そして、たくさん書いた中から、ここははずせない!と思うポイントの所に線を引いて(or 円で囲んで)もらいました。そこから、何か自分の<信念>らしきものが見えてきませんか?・・・
テキストは、「あなたが自分の信念にこだわっているかぎり、あなたは感情的なままで生きていくことになりますし、信念を変える決心をすれば、感情は制御できるようになります。」と続くのですが、・・・いやぁ、簡単に言ってくれるよねぇ(笑)。「そのためには、いくらかの訓練がいります。」とも書いてあるので、まぁ、ぼちぼちと訓練をしていきましょうか。それには、仲間の存在って大切です。仲間と一緒なら、少しずつ前に進んでいけると信じています。(^o^)/皆さんも、是非仲間の力を借りに来てくださいね。お待ちしています。
感想
今日聞いた便利ワード
昨日も温かく迎えていただき、ありがとうございました。
イライラしたり、嫌なことを言われて落ち込んだり、自分の性格がいやに思う時、まず大事なのが、大前提として、そのライフスタイルのお陰で、いままで上手くいったところに光をあてて探しだし、卑屈にならないこと。
①自分のライフスタイルは何なのか、エピソード分析を行い、そして、相手にぶつける形で、心の中の文句をつらつら沢山書き連ねる。※この作業が重要※
②ライフスタイル(信念)が判明したら、その信念は本当に正しいのか、自問する。
③その信念は、大前提のとおり、変える必要はなく、ただ、さまざな考え方を取り入れ幅を広げることにトライする。他人に対しては、その信念を少し緩めてみることをトライする。
わたしは、子育てにおいて、夫に、自分と同じマインドを求め、自分と同じレベルを求めています。
すると、いままでの人生でイライラしていた内容が、この心の叫びによるものが多いことに気づきます。先日お話しした、理不尽な依頼をしてきた同僚に対して、"私だったらそんな依頼はしない!"という心の叫びがありましたし、ほかにもドンドンあてはまっていきます。私のイライラの根源は、自分と同じようなマインド(こだわり)でやらない人に対するもの、という気づきがありました。
正直、主観的にはまだ納得できない部分もありますが、客観的に考えると、いろいろな考え方や働き方をする人間がいて当然だから、他人が自分と同じマインドで動くのは無理だな、と思えます。
実際その場面になると、イライラしてしまいそうですが、イライラの根源は、自分がこれまで培ってきた大切なライフスタイルによるものなんだと思うと、そのイライラもそんなに嫌なものでもないかもな、とも思えてきます。
"私だったら、こうするのに"という信念は、私が培ってきたものであり、自信でもあると思いました。
先日メールで相談したとおり、評価を気にしたり、仕事に没頭しすぎて家族にあたったり、そういうところが本当に嫌でしたが、そのおかげで勉強頑張ったり、仕事頑張ったり、家族や友人に愚痴って甘えたり、共感してもらえて安心感を得られたし、たくさんの励ましをもらえたし、それはとても有難いことだなぁ、恵まれているなぁ、と振り返りました。
最後のステップ③のように、北風さんがおっしゃっていたような、たくさんの人の意見を聞くことで幅を広げていきたいです。昨日の場ではできなかったので、今度北風さんはじめみなさんの意見を伺ってみたいです。(兵庫:M)
今日の楽笑会もたくさんの学びがありました。
物事を一つの面からではなく他の見方をすると、起きてる出来事が良くないことから、良いことに変わるということ、その通りだなぁと思いました。
それと私は人の悩みをつい自分に置き換えてアドバイスしてしまうのですが、北風さんは話をきちんと聞いてその人に会う解決策を見つけてるのが凄いなぁと思いました。
そして、自分の考えに《それって正しい?》と疑問を持つということ。
5月もたくさんの人にアドバイスを頂いて、たくさんの勇気づけをいただきました。
今回は、「感情は信念からおこる」でした。
ワークシートを使って、「最近起こった、人との不快なやり取りについて書く」というワークでは、はじめは思いつかなかったのですが、
「自立すること」「周りの人を助けること」を私は自分の中のライフスタイルとしてきたこともわかり、そうでない人が許せなかったのだと
私のエピソードを会で話したときは、「親身になってあげられない自分」にふがいなさを感じましたが、今は自分の理想ばかりを
自分の考え方の癖、を知る有意義な会でした。
先日もありがとうございました。
帰宅後、鞄の置く位置等準備がしやすい工夫について話をしようとしましたが、聞きたくないといった感じで話にならず。ただ、必ず一回は声をかけてほしいと言うので声はかけてます。鞄は2年生から持つ、起きるのも2年生からということだったので、書いて貼りました。
宿題に関しては結局、先生の方から学童でするようにと声かけがあったり、学童の先生が注意してみてくれるようになり、宿題が終わったら◯◯しよう!と楽しみが待ってるような声かけをしてくれているようです。
家で準備をするのは私が声をかけていても夫が帰宅時にもう一度声をかけてから始まり、就寝22時以降が続いてますが、グズグズは減り、準備に関して以前よりお互いに嫌な気分になることは減りました。
が、私の方は最近また一言多い、罰になる言い方が増える逆行状態です。夫の過保護っぷりにもイライラが態度に出てしまって関係悪化中!6月以降、また開催あれば「パセージ」受けようかなと思います。
なかなかですー‥‥
楽笑会、来月もまた参加しますのでよろしくお願いします。(兵庫:H)
今月の事例で、事例を出してくださった方やメンバーさんの意見を聞いて、同じ状況でも、受け取り方や感じ方は人それぞれ違うんだなと改めて思いました。
今まで、なんとなく感覚的(「パセージ」を習って身につけたのかもしれませんが、、)に、自分の受け取り方や思い込みがあってるかどうかを「それって正しい?」「それって本当?」と自問自答して、考えを改めてたり、別の見方を探していましたが、、ちゃんとテキストに方法が書いてありました!さすがは「パセージ」のテキストです。
あながち自分のやり方が間違ってはいなかったことがわかり、少し自信がもてました。
そして、かぜさんが会の中で話されてたように、いろんな受け取り方や感じ方を出し合えるメンバーさんの存在は、とてもいいものだと思いました。アドラー心理学を学ぶようになって、本当にたくさんの方と出会えました。いつもいろんなことに気づかせてもらえます。かぜさん、メンバーのみなさん、これからもよろしくお願いします。(大阪:I)
4月の楽笑会
4月の楽笑会には、9人の方が参加してくださいました。そして、先月来てくれたお子さん2人も、今月またお母さんと一緒に来てくださいました。ありがとう!
まずは、テキストの右ページを読みました。今月は34-R「権利と責任」です。ここには、アドラー心理学の中でも最も扱いにくい『論理的結末』について書いてあります。「人は、ある権利を主張するためには、そのための責任を取らなければなりません。」ということの例として、電車の中で静かにしない子どもへの対応が挙げられています。
テキストにもあるように、「残念ながら、この方法は、すぐに罰になってしまって、きわめて使いにくい」のです。その代わりに、ということで左のページ34-L「社会的結末」があるのですね。「先に話し合っておくことで、罰になることを避けることができます。」とテキストは続きます。
とはいうものの、「社会的結末」も感情的になってしまうとたちまち罰になってしまいます。アドラー心理学では、いつもマイナスの感情をどうするかが問題になるなぁ、と改めて思いました。
ここであるメンバーさんから事例が出されました。ここのページにぴったりの事例でした。
お孫さんとのやり取りだったのですが、ちょっと失敗だったかも?と言いながら話してくださいました。道でもらったチラシを自分で持ちたいというお孫さんと「もし落としたらばぁばが持つね」と約束をした。それで、落としてしまったのでメンバーさんが持つことにしたら、すごく泣いた、というお話です。
事例を聞いてロールプレイをしてみると、お孫さんが落とさないようにしよう!と、頑張っていたことが見えてきました。また、最初からこちらにマイナスの感情が少しあったということにも気づきました。みんなで話し合った結果、道でチラシを落とすと何がどう危ないかについて、最初にゆっくりと話し合っておくのがいいなとか、頑張ってチラシを持っていたお孫さんに正の注目ができたよね、などの意見が出されました。
その後、きょうだい喧嘩はどうすればいいのだろう、という話が出されました。きょうだい喧嘩は、1歳と3歳の喧嘩であっても、20歳と22歳の喧嘩であっても、結局は同じなんだなぁということがよく分かりました。ひょっとしたら、私の年齢になっても同じことかもしれない、とひそかに思いながら聴いていました。
自分より弟(あるいは、妹、姉、兄)の方が親の注目を得ているとか、弟の方が構ってもらってるとか、弟の方が甘やかされているとか、弟の方が愛されているとか…。ひょっとしたら全部自分の思い込みかもしれないのですけれどね。
でも、そう思い込んでしまったら、相手に対して意地悪をしてみたり、怒ってみたり、大切にしているものを取り上げてみたり、いろいろやりたくなってしまいます。けれど、もし弟が誰か他の人に意地悪されている場面に出会ったら、猛然と庇いに行くのでしょう。それが、きょうだいの良い所ですね。
きょうだいは、喧嘩したり仲直りしたりしながら、人とのつき合い方を学びます。また、きょうだいがいることで、全てが親に向かってこなくなるというメリットもあります。きょうだい喧嘩ができることもありがたいことの一つですね。というわけで、アドラー心理学では、きょうだい喧嘩には介入しないことをお勧めしています。先輩メンバーさんからも、「(介入しなくても)大丈夫よ」という力強いアドバイスも出たりして、嬉しかったです。ありがとうございました。
感想
3か月ぶりの参加でした。
小さいお子さん連れの若いお母さんたちが学びに来られていました。
34-R「権利と責任」を読みました。34-L「社会的結末」をしっかり理解した上での右のページです。ナカナカ難しいです。
事例をロールプレイしていろんな意見が出ました。事例を提供された方にも新たな気付きがあったようでよかったです。
子どもさんの小さいお母さんからは、いつも繰り返される兄弟ケンカの事例でした。
先輩メンバーさんからは体験談が出て少しは、安心されたのではないでしょうか。
今まで事例を出されていたメンバーさんが、先輩として体験を話されアドバイスされている姿に、オー素晴らしいと感動したのでした。
そして、いくつになっても親の関心を向けて欲しい子ども。アドラーを学んでいくうえで、相手を変えたいのではなく、自分が変わる勇気と覚悟が必要なのだと改めて実感しました。(大阪:Y)
久しぶりの楽笑会でした。
今回のテーマにぴったりの事例を出させてもらいました。
5歳の孫とお出かけをしているときにイベントのチラシをもらいました。
私が「家まで預かってあげようか?」と言ったのに「自分で持つ」と言いました。
「落とさずに持てるの?」「うん、持てる」「じゃあ落としてしまったらばぁばが持つよ。それでいい?」「いいよ!」そのあと人通りの多い交差点で落としてしまいました。ずぐに私が拾って「家まで預かるね」と言って自分のカバンに入れて歩き始めました。
それでうまくいくはずだったのに孫は「自分でもつ! 返して!」と怒る、泣く、座り込む、と抵抗しました。
どこがまずかったんだろう?? と気になっていました。
孫の立場でロールプレイをして気づいたのは「落としたらばぁばが持つ」ということにあまり納得はしてないけど「がんばって自分で持とう!」と決心をして「いいよ!」と言ったのかもしれない、落とした時に激しく抵抗したのは、落としてしまった(失敗した)ことが悔しかったのかもしれない、ということです。
このページでは「親については、子どもが責任をもってふるまうように勇気づける責任があると思います」が印象に残りました。 やはり・・勇気づけ・・ですね。そういえば彼はいつもより長い時間ビラを持って歩いていました。
いずれにせよ「論理的結末」はすぐ罰になってしまってきわめて使いにくい、と書いてあるのでこれからは他のやりかたを探してみようと思います。(大阪:M)
先日の楽笑会では沢山の励ましをいただき、ありがとうございました。
その後、数日間であった出来事と合わせて感想を送らせていただきます。
主人の買ってきたジャンクフードやお菓子をみて、"また買ってきたん"と呆れたように言うのが口癖になっています。しかし、最近は、私が口うるさいので、主人なりに考えて、極力、体に良さそうなものを買うようになってきていました。それを知っているものの、どうしても一言言ってしまう癖が抜けません。
また、主人はよく息子の寝かしつけをしてくれます。それなのに、息子の寝ている横でスマホのゲームをしていたら、それが気になって、ありがとうと声をかける前に、つい、"またゲームしてるん"と、言ってしまいます。
どちらの時も、主人は、"放っておいて"と怒ります。
この二つの口癖を言った後、わたしはハッとしました。これは、主人のやる気を削いでいると気づきました。この前の楽笑会で習ったことだ!と。
そして、将来、息子にも同じように小言を言って疎まれている自分の姿が、思い浮かび、ゾクゾクっとしました…
楽笑会では、お孫さんに"またもらったん"と発した例がありましたが、ほんのささいな一言で、相手の気持ちは変わりますね。
北風さんは、勇気付け出来なかったとき、具体的になんて声かけするかシミュレーションすることが大事と教えてくれました。
早速やってみました。
主人のお菓子を見たときは、
寝かしつけをした横でゲームしてるのを見たときは、
まずはこの二つを意識して、実践してみようと思います。
また、会の終わりの方で悩みを話されていた方に、複数のメンバーさんがアドバイスされていたのがとても印象的で、アドラーの教えを自分のものにされているからこそ出来ることだなぁと思いました。北風さんはじめ、素敵なメンバーの方と時間を共にできて、幸せです。
また今後ともよろしくお願いいたします。(兵庫:M)
今回みんなで読んだ「権利と責任」は、アドラーを学ぶ時間が長くなるほど、たくさんの失敗を経験して、難しいものなんだと理解できるようになりました。子どもに責任を取ってもらうには、話し合いをしなければなりません。が、私の場合、その話し合いの時点でうまくいってない事が多いような気がします。そして多分に罰の要素を入れてしまっている。
楽笑会に参加させてもらうと、いつもいろんな気づきをもらえ、また少しでもアドラーの育児ができるよう、がんばりたいと思わせてもらえます。
今回もいろんなお話を聞かせていただき、ありがとうございました!(大阪:I)
4月の楽笑会で、新しいメンバーさんが 子供さんの兄弟喧嘩を見ているのが嫌で、なるべく喧嘩をしないように 公園に出掛けたりと 工夫されて、お母さん自体が疲れておられるエピソードを出されました。その時、一人っ子さんのお母さんが、兄弟喧嘩されてるのが、うらやましいし、兄弟喧嘩で
いろんな事を学んでると話されました。その時、兄弟の居てはるお母さんの表情が 明るくなられました。ちがう角度からの意見って、なかなか一人では気がつかないものですね。
しかし、兄弟喧嘩を見ているのが嫌、というのは親の課題ですよね。
3月の楽笑会
メンバーさん6名+可愛いお子さんが2人、参加してくださった3月の楽笑会。今月も初めてのメンバーさんが来てくださって賑やかな会となりました。
ミニ講座では、「パセージ」のテキスト右ページを読むのですが、まだ「パセージ」を受講されてない方もいらっしゃったので、まずは1-L「子育ての二種類の目標」を読んでみました。何かご質問は?と尋ねたら、あるメンバーさんが手を挙げてくださいました。
例えば、子どもが危ないことをした時、叱ってしまうと仲間じゃないと思われるし、だからと言って何も言わないのもダメだし、でも、そんな時に仲間だと思ってもらえるように言うのって、どうすればいいか分からない…というご質問でした。
それって、どんな時かしら?と聞いてみると、お子さんが公園の滑り台の上から石を投げてしまった、というお話を出してくださいました。思わず「何やってんの!危ないでしょ」と言ってしまったとおっしゃるメンバーさん。そりゃあ、そう言いたくなりますよね。
ここで、ロースプレイをしてみました。「私は能力がある」「人々は私の仲間だ」とは感じられないな、ということはロースプレイをしてみなくても分かったのですが、ロールプレイで感じてみると、親が伝えたかったことがうまく伝わっていないということが分かりました。
子どもになって聞いてみると、お母さんに叱られたので、何かまずかったんだろうとは思いますが、じゃあ、何がどういけなかったんだろう、代わりにどうすればいいんだろう、ということが分からないまま、とりあえず今の行動をストップした、という感じです。・・・あらら、これはマズいですね。
じゃあ、他にどう言えそうかを考えてみると・・・。お話を出してくださったメンバーさんからは「静かに、“石を投げないでね” と言うのがいいのかな?」と代替案が出されました。いいアイデアですね。実際にロールプレイをしてみると、ちゃんとお母さんの言いたいことが伝わってきた、という感想も出されました。
でもなぁ・・・。まだ気になることがあります。それは、公園にいる他のお母さんたちの視線です。あら、あのお母さん、子どもが石を投げたのに怒らないのね、なんてヒソヒソ(笑)言われているような気がしないでもないし・・・。
はい。そういう心配も分かります。だったら、まずは子どものそばに駆け寄ってみましょうか。そうすれば、ちゃんと対応している、ということが周りにも伝わりそうです。それから、そっと「石を投げないでね」と言ってみるのはどうでしょう。
それから、子どもさんの年齢によっては、どんなことが分かりましたか?とか、どんなことが起こりそうですか?とか、こんな時にはどうすればいいかな?とか、話を聴いてみるのもいいかもしれません。
さて、次に読んだのは、33-R「守られるルール・守られないルール」です。私はこのページの「まったくルールがなくても家庭が円滑に動いていて、みんながしあわせに暮らしているなら、それがいちばんいいことだと思います。」というところが大好きです。もし、ルールを作るなら、ルールを守って暮らすことって素敵ね、と子どもたちが思ってくれるといいなと改めて思いました。
その後、お嫁さんとの関係について、お話してくださったメンバーさん。子どもとの関係よりも、少し難しく感じるかもしれませんが、原則は同じですね。今回復習したのは、2章と3章にある「子どもの話を聴く」(9-L)と「さらに子どもの話を聴く」(11-L)の所でした。「パセージ」では解決できそうにないわ、と思ってらっしゃったメンバーさんも、そうかぁ!と気づかれました。良かったですぅ。
その他には、家計について夫さんに理解してほしいなというお話や、子どもさんの学校の宿題についてのお話が出されました。
子どもさんとの関係だけでなく、お嫁さんとの関係、夫さんとの関係など、さまざまな話題について話すことができるのが、とても嬉しい思っています。バラエティーに富んだメンバーさんたちのお蔭ですね。これからもよろしくお願いします。
感想
今月もたくさんの学びがありました。
石を投げる子供に対して怒鳴ったこと、それ以外の対応が思いつかなかったのですが、大きな声を出しても子供はびっくりして動きは止まるけど、こちらの言いたいことは伝わらない。
これまで乱暴を繰り返していて、なんども同じことを繰り返すのは、怒られてる意味がわかってなかったのだなぁと思いました。私の言いたかった事が伝わるような声かけをしていきたいと思いました。(兵庫:S)
3月11日(月)楽笑会に参加させていただきました。
私は2歳児を連れていったので、途中から子どもがガサガサし始めて、あまり私から発言させてもらうところまで体が動かなかったのですが、勉強会で私自身の中で新たな発見がありました。
勉強会とかと関係ない所で、皆がそれぞれに語ってる場であれば、内容を追いかけることが難しかったはずです。ですが、「「パセージ」に戻る」という前提があることが分かっていると、子どもを相手にしていても皆さんの話になんとかついていけることに昨日初めて気づきました。
メンバーさん達がお話を提供してくれて、どの話も私であったり、私の家族や親族で共通の悩みのあるお話でした。
それによって、石を投げることも、子どものケンカについても、その場の声の大きい人の価値観で決まっていたように思います。
でも、「パセージ」に戻ると、課題がどこにあるのか、迷惑が心理的なのか、実体的なのか、など、まだ拙いながら私の頭の中でグルグル回ってるのが分かりました。
メンバーさんとかぜさんのやり取りを聞きながら、たくさん学ばせて頂いていることを実感していました。
かぜさんが、お一人ずつのお話を最後までじっくり聞き、決して途中で遮らず、必ず最終的に「パセージ」に帰っていく、という姿勢に心打たれました。
「子どもの話を聴く」が実践しきれていない私には、これがまさに「聴く」なんだと思えました。
他にも皆さんがお話を出してくれる中、どのお話もやはり「パセージ」へと戻っていきました。複雑なお話も結局シンプルに「パセージ」へ当てはめていくと、おのずと自分が自分と向き合う場所が見えてくるのだな、と思えました。ありがとうございました。(兵庫:T)
先日は貴重な会に参加させていただき、誠に有難うございました。
今回もとても楽しく、あっという間に時間が過ぎていきました。息子もはじめ泣いていたのが嘘のように、心地よく、過ごしていました。
今回も、メンバーの方々がお子さんの気持ちに寄り添っていることに、とても感動しました。ふと、自分の小学生時代の、ある旅先での一場面を思い出しました。お土産屋さんでキーホルダーを選んでいた私は、癇癪を起こし、もうこの後どこにもいかないと言い張り、結果、いとこ家族や自分の家族とは別れ、祖母と二人で、ふてくされたまま過ごしました。今や家族の中でそれは笑い話になっていて、私自身も単なるワガママだと思っていましたが、楽笑会での話し合いが、"それは違うのかも?"と思うキッカケとなりました。もしかすると、私にとっての大事な"こだわり"がそこにはあって、それが誰かに破壊され、それをまわりにうまく伝えることができなかったのかも…?もしくは、注目を集めようとしていたのかも…?
そう考えはじめると、昔の自分が、とても健気に思えてきて、よしよししてあげたくなりました。さらに、癇癪起こした我が子も、また愛おしく思えました。
短い人生しか歩んでいなくとも、立派な個人であり、こどもの考えを勝手に予測したり、こだわりは単なるワガママだ、と決めつけたりすることは、避けていこうと思いました。
その具体的手法を、北風さんがひとつひとつ紐解くように、丁寧に教えてくれるので、本当に有難いです。そして、メンバーの方々のこどもさんへ勇気づけのエピソードや、勇気づけようと試行錯誤している姿が、私の子育てのモチベーションと勇気と自信につながっています。勇気と自信は、伝染していくものなのですね。
私も家で、自分一人で相手の立場を考えることにトライしましたが、そううまくいかないですね。時間をかけていくしかないのでしょうね。自分が否定されるような恐怖感、否定された自分を認めたくないプライドも出てきます。逃げたくなります…できるなら自分の考えは正しかったことにして、蓋をしたい…情けないことに、だんだん何で悩んでいるのかもよくわからなくなってきています。課題の分離ができていないのかも?他人の代わりに悩んでる?単に足を突っ込んでるだけかも?
きっと、この過程は、前進だと信じたいです。これからも、よろしくお願いします。(兵庫:M)
今日は お嫁さんとの関わりで 相談をさせてもらいました。
孫ができて 色々な行事があるなかで お嫁さんから不満がでてきました。
私は 話を聞いたつもりだったんやけど 実は世間話しか聞いてなかったようでした。
肝心な どうしたいのか?どう思っているのか?を聞かずに 世間一般は こうするもの。こうしてくれるもの。と決めつけてたようです。
「パセージ」には いつも全部書いてあるのに 実践が出来てないこの実態を深く反省します。若いお母さん方からの意見も参考になりました。皆さん、ありがとうございます。
嫁姑の間に いい空気が流れるように意識していきたいと思います。
2月の楽笑会
2月の楽笑会には楽喜ママの会より2名のメンバーさんが、そして、えがおの風より1名のメンバーさんが参加してくださいました。また先月初参加のメンバーさんがまた来てくださったりして、みんなで7名の方々と一緒にいろいろ話し合いました。
今月の「ミニ講座」では、32-R「子どもと家族の仲が悪いとき」を読みました。皆さんにおなじみの三角形の図のあるページです。「私とAさんとBさんの3人が三角関係になっているときには、私は、私とAさん、私とBさんの関係は共同の課題にできるが、AさんとBさんの関係は、私との間では共同の課題にできない。」というアレです。
ここを読んだ時、あるメンバーさんが、うちの子どもは父親と全くしゃべりません、と話を出してくださいました。このことについては、テキストにも書いてあるように共同の課題になりませんので、見守るしかありませんね。
ただ、このメンバーさんが心配されているのは、子どもさんの受験のこと(1年後にあります)。お父さんにはお父さんの考えがあって、受験校はここがいい(ここでないとダメだ)、とおっしゃるのだそうです。一応子どもさんも、そちらを目指して頑張っているそうですが、メンバーさんは、子どもさんへのプレッシャーのことも考え、今から受験校を絞らないで、もう少し幅を持たせてもいいのではないか、と思っています。
今、子どもさんがお父さんの希望通りに受験するのは嫌だ、と言っているのなら、お父さんに分かってもらうよう一緒に考えてもいいかもしれません(もちろん、子どもさんが望めば、ですが)。でも、今のところは子どもさんもお父さんの希望通りの受験をしようと頑張ってらっしゃるので、さしあたってメンバーさんができることはなさそうです。もし、この先、子どもさんが困ったなぁと思ったり、あるいはお父さんの希望が変わったりしたときには、また親子で相談することもあるでしょう。でも、それまでは「何か手伝ってほしいことがあったらいつでも言ってね」と子どもさんに伝えておくだけでいいかなと思います。
それはそれとして、このお父さんは、どうして「ここでないとダメ」とおっしゃるのでしょうね。子どもさんにプレッシャーをかけようとか、意地悪をしようとか思っているわけではありませんよね。・・・きっと、そう宣言することで、子どもさんがもっと奮起すればいいとか、実力をうんと上げられるだろうとか、しっかり勉強できるだろうとか、考えてらっしゃるんでしょうね。それって、親の愛情ですよね。母親から見ると、そんな風に言うと余計にしんどくなるかもしれない、と心配なこともあるでしょうが、子どもを思う親心だと思えば、お父さんの気持ちも理解できそうな気がします。
さて、例会では、初参加の方もいらっしゃったので、自己紹介をしていただきました。その間にもいろいろお話を出してくださいました。
何かをし始めたら途中でやめないで続けなさい、と言われて育ってきたので、すぐにやめてしまうことになかなかOKを出しにくいとおっしゃるメンバーさん。よく聞いてみると、子どもの頃やめさせてもらえなかったこともあれば、1年くらいでやめたこともあるのだそうです。子どもの習い事の悩みもこれですよね。やりたいと言った時にはすぐに習わせようと思うけれど、しばらくしてやめたいと言った時に、やめていいよと言いにくい……。
でも、あらゆる出来事には「良い面」が必ずあります。「やめないで続けることの良い面」もあるし、「すぐにやめて、また次を始めることの良い面」もあります。子どもたちは、続けたら続けることで、やめたらやめることで、さまざまなことを学んでいくでしょう。ですから、「どっちも素敵!」と思って、子どもが望むようにさせてあげるのもいいなと思います。
その他には、お料理大好きな高校生の話(お母さんの影響ですよ!)や、きょうだい喧嘩の話、学校を休みたいと子どもが言った時の対応についての話などが出されました。
いつも、私のこの対応から子どもは何を学ぶかな、あるいは、私の対応から何を学んでほしいかな、と考えながら、自分の対応を選べればいいなと思いました。今回もさまざまなお話をありがとうございました。
感想
何年勉強しても悩みは尽きないですが、「螺旋」状に、ちょっとは身について上に上がって来てるかなと、ここに来て気づいたりします。(大阪:H)
先日は、ご自宅にお邪魔させていただきどうも有難うございました。初めて訪れたのにもかかわらず、まるで実家のように寛がせていただきました。旦那さまお手製の、出来立てホヤホヤのアップルパイも美味しかった♪
私は「パセージ」を学ぶことにより、思ってもみなかった素晴らしい副産物を、たくさん得ることが出来ました。
かぜさんは、メンバーさんたちを決して急かさないし、一緒に走るぞ‼ みたいな勢いではなくて、いつも隣で応援しているような、優しくて温かくて、陽だまりのような存在です☀
かぜさんの自助会に参加させていただいて、感じたことは
・人に行動してもらう為には、無理矢理に手っ取り早く、強引に自分の意見を押し付けては駄目だということ。
・着実に、相手の気持ちを考えて行けば
Mさんの悩みに一生懸命アドバイスして、勇気づけしているかぜさんや
改めて、アドラー心理学というのは、自分の悩みだけではなく、他の方の悩みからでも得ることは有るんだな~
これからも、アドラー心理学を通して、学校では学ばない《心のお勉強》を
かぜさん、先日はありがとうございました!
かぜさんの「パセージ」を受講させて貰ってから、今回初めて楽笑会に参加させて頂きました。第一印象はまさに日だまりみたいなあったかい場所!かぜさんの太陽みたいな笑顔!かぜさんを始め、楽笑会に何年も通われている大先輩方は「パセージ」が体に染み付いた本当に素敵な考え方をお持ちの方ばかりで、継続は力なりって本当なんだなと実感させて貰いました。まだまだ「パセージ」1年生のひよっこですが、「パセージ」を学びながら娘と共に自分も成長していきたいと思います。
なかでも今回心に残ったのは子どもさんが親を困らせることを言って親を動かそうとする内容のエピソードでした。
行動の目的を考えると、今回のエピソードで子どもの行動って親にわかって欲しいためにとっているものが大半なんじゃないかということに気付かされました。子どもって健気ですね!!(大阪:O)
約2年ぶりに楽笑会に参加しました。
最近、小4の長男が少し学校に行き渋っているのが悩みでしたが、みなさんの話を聴いているだけで、とても勇気づけられました。
1回目は、仕事の途中で抜けて学校に送って行きました。でも、2回目に頼まれたときは仕事を抜けるのは良くないから、送って行かないと答えました。そうしたら、長男は「学校を休む」と言い、欠席しました。
かぜさんに「そのことから子どもに何を学んでほしいですか?」と、言われました。その目標を見つけると、そこへのアプローチがわかるよと教えてもらいました。
私が出した目標は【困ったときにはしっかり言葉で頼むことを覚えてほしい】です。そして、ボクには頼む能力があると感じてほしいと。
理由は学校に行きたがらないときに、何度か『何かお手伝いできる?』と注文をとっているからです。
いま答えが出てからは、「少しサポートをすることで学校に行けるなら、もちろんそちらを選ぶよな〜」と思っています。
今回は32-Rの「子どもと家族の仲が悪いとき」について学びました。受験を1年後に控える子供さんと夫さんの関係についての話があり、夫さんの子供さんに対する受験の条件が、一見無茶に見え、妻としては同意しかねるものでしたが、かぜさんの問いかけ「どうして夫さんはそんなことを言われると思いますか?」に、参加者で考えてみることになりました。そうすると、夫さんの娘さんへの思いを理解することができ、それに応えようとする娘さんの姿に、仲が悪いと思われる二人の関係にも、信頼関係があることを感じることができました。自分と異なる考え、それが子供の壁になっているときには、ついつい反発してしまいがちですが、それぞれの思いを理解する大切さを気づかされました。
「嫌だった習い事を続けさせられた」という話の中で、習い事を続ける利点をみんなで考え、その出来事の肯定的な面も見ることができました。物事を両面から、特に良い面から見る習慣を意識したいものだなあと思います。
今回の内容は、私の家族にも当てはまることですが、具体的な出来事に対して、どう対応すればいいのか、正直まだよくわかりません。ただ、「子どもが逆境にある時には子どもの味方でいること」という部分を意識しようと思います。
それと、いつも指摘される子どもへの「正の注目」を毎日の貯金のようにしていきたいと思います。(兵庫:S)
1月の楽笑会
2019年初めての楽笑会には、7名のメンバーさん+小さなお子さんが3名、参加してくださいました。初めて来てくださった2名の方が、それぞれお子さんと一緒でした。お母さんに長い時間付き合って、いい子にしていてくれました。ありがとう~~~♪♪♪
さて、いつもはミニ講座で「パセージ」のテキストの右ページを読んでいるのですが、今月は初めてのメンバーさんたちもいらっしゃったので、復習を兼ねて1-Lを読みました。「パセージ」をされた方にはおなじみ!「私は能力がある」「人々は私の仲間だ」を改めて確認しました。
まず、お話を出してくださったのは、きょうだい喧嘩をした時のお話です。上の子の方が下の子を叩いたりすると、力の差もあるのでつい、上の子に「ダメ!」と言いがちになるとおっしゃいます。こんな時にどうすればいいか、と考える前に点検をしましょう、と習います。「ダメ!」と言うと、子どもは「私は能力がある」と思うかな?「人々(=お母さん)は仲間だ」と思うかな?……どちらも余り感じなさそうです。
では、何と言えば子どもに「能力」「仲間」を感じてもらえるでしょうか。例えば、上の子に「どうしたかったのかな?」と聞いてみるのはどうでしょう?言葉を上手に使えない幼児さんの場合、口で言うより手や足(叩くとか蹴るとか)の方が早いと思っていることが多いものです。ですから、その「手」が何を言おうとしていたのか、言葉にするお手伝いができるといいなと思います。
また、先輩メンバーさんからは、きょうだい喧嘩に入らない(口を出さない)ようにしていると、喧嘩の回数が減ったし、喧嘩の時間も短くなったよ、というアドバイスも聞けました。ありがとうございます。危険なことが起こらないようであれば、何も言わずに見守っていてもいいのかもしれませんね。
次に出してくださったのは、やはりきょうだい関係のお話でした。もう二人とも成人されているのですが、それでも、こっちを向いて、と思う気持ちに変わりはなさそうです。自分より兄(弟、あるいは姉、もしくは妹)の方がいつも優遇されているような気がするとか、あっちの方が親に甘やかされていると感じるとか、私ばかりが叱られているように思うとか…。親にそのつもりがなくても、子どもの感じ方は、また違うこともあります。
で、最終的に、「パセージ」の基本である「正の注目」を丁寧にするのがいいのね、という結論に至りました。適切な行動を、当たり前と思わずに注目していく、と言うことですね。・・・なんか、いつもおんなじねぇ~。
他には、就学前のお子さんとお店の方とのやり取りがうまくいかなかったお話や、高校生のお子さんの勉強があまり進んでいないようで心配だというお話などが出されました。これらの場合も、お子さんの「適切な行動」や「適切な側面」が見つかれば、勇気づけができて、子どもたちは「能力」「仲間」を感じ、ひいては「自立」し「社会と調和」していくようになるのでしょう。
久しぶりに1-Lの復習ができて、その大切さを改めて感じました。ありがとうございました。
感想
本日は、はじめての私と息子を暖かく迎えていただき、ありがとうございました。
みなさんの体験を聴きながら考えてディスカッションするのが、とても楽しかったです。その発言は、能力があると感じられるか?仲間と感じられるか?というシミュレーションは、とても参考になりました。自分が言われたらどうだろう?と考えるきっかけにもなりました。子供のことをつい上から目線でみているのだと思い知らされました。
今日はいつもと違う雰囲気でしたが、ほんとに怒る必要がないんだなということが実践でわかる感じでした。
だから どうしたいのかということがハッキリしてなくて、これを話してもな‥‥と思ってることでも話すとやっぱりちゃんと解決してスッキリ。今日も行って良かったです。
身体のことですがあまり自分で生理周期とかきちんと把握してないまま適当にこの歳までやってきてしまったのですが、なんとなく私のイライラし始めるのと生理前が重なってる感じがします。
今年に入って「パセージ」実践出来たと思う日にはトイレトレーニングのようにシールを貼っているので、今さらですが身体の方もちゃんと記録して、重なってるようなら子どもに前もってこのくらいの時期はイライラしやすくなるので‥‥と伝えておくのもありかなと思いました。
せっかく「パセージ」を習っても思ったほど実践出来ないときは産後の栄養不足とか身体のケアをまず考えた方がいい場合があるかもと感じています。セルフケアももうちょっと意識してやってみようと思います。
また来月お伺いするのを楽しみにしています。(兵庫:H)
数ヶ月ぶりの楽笑会でした。
今回は、兄弟ゲンカに介入しなくなると、ケンカが減ったり、時間が短くなったというお話や、家族で妹をお祝いする席に兄が参加しなかった話、妹が話し始めると兄が遮って話しの邪魔をする話、赤ちゃんが泣き始めると上の2歳の子も泣き始めるという話がありました。
登場人物やシチュエーションは違えど、どの話も、子どもは親からの関心・注目にはとても敏感で、いつも誰よりも親からの関心を得たいと思ってるんだと、改めて強く感じました。
うちでは、夫と私が話しをし始めると、たいてい子どもが割って入って邪魔をします。
関心が自分に向いてないことがわかると、すぐに!です、笑。
私も、子どもが関心を得たいための不適切な行動に注目してしまい、こどもの戦略にまんまとはまってしまうことが多いのですが、不適切な行動を基にしたコミュニケーションではなく、適切な行動を基にしたコミュニケーションを増やしていきたいと思いました。ありがとうございました。(大阪:I)
今回は、初めて参加される方がお2人と小さいゲストさんが3人居られました。「パセージ」のテキストの1-Lの「子育ての二種類の目標」を読みました。ついつい忘れがちな「私は能力がある」「人々は私の仲間だ」を再確認しました。今の私の対応で、子どもは自分には能力があると思えただろうか。母は、仲間だと感じてくれただろうか。毎日を丁寧に暮らしたいと改めて思いました。(大阪:Y)
今回は小さな男の子を連れた若いお母さんの初めての参加があったので、1ーLの子育ての2種類の目標について学びました。「パセージ」で8週間学んだ復習でもありましたが、いろいろな具体例に対してどう対応すべきかという点では、まだまだ即答できない!と実感しました。
①子供自身が能力があると思うこと
②人々は私の仲間だと思うこと
があって、行動面の自立が促されるということ、改めて身に沁みました。
そのためには課題を分離して勇気づけること。もう一度しっかり復習しなくては…と思っています。
元気な男の子たちが、楽しもうと部屋中を探索、みんなに「お名前は?」と声をかけて回ったり、賑やか会でしたが、決して「不適切な行動への注目をしない」で、問題を回避されるかぜさんの対応が、そのまま「パセージ」の実践だ!!と思って、とても印象的な会になりました。
元気なお兄ちゃんと1歳ほど下の弟くん、お兄ちゃんの下の子への気遣いも時折見られて、自分の子供が小さかった時も同じようなことがあったなあと思いました。お兄ちゃんなりの気遣い、見落としがちだけれどしっかり注目してあげたい!してあげてたんかな?(私がかつて)と。
「注目されたい」ということ、子供も大人も一緒ですね。(兵庫:S)