楽笑会の様子のページ
平日版・楽笑会の様子をお伝えしています。
例会で出されたお話や
皆さんから寄せられた感想などを載せています。


  ようこそ 
 楽 笑 会
 


楽笑会 2018年

1月2月3月4月5月6月7月8月9月10月11月12月





(この記事の中に出てくる「パセージ」、「パセージ・プラス」は一般財団法人野田俊作顕彰財団 Adler Institute Japanの商標です。
青字は「パセージ」(野田俊作著)または「パセージ・プラス」(野田俊作著)からの引用です)




12月の楽笑会

今月の楽笑会には、6人の方が来てくださいました。ありがとうございます。

今月読んだテキストは
31-R「夫婦が家族の軸」です。日本人は夫婦よりも親子の関係が密で、子どもができると夫婦関係は二の次になってしまうことが多いようです。でも、「夫婦が家族の軸であって、親子は家族の軸ではありません。まずそのことをしっかりとわかってください。」とテキストは言っています。そして、「夫婦の遊びには3つのレベルがあります。」と続きます。

まず、第1のレベル
「子どもを交えないで、夫婦二人で遊べますか?」です。メンバーさんたちにも聞いてみました。例えば、映画をに見行くとか、ハイキングに出かけるとか、買い物にも二人で行くとか、この間もみじ狩りに行った・・・など、おっしゃってくださいました。ただ、お子さんが小さいとなかなか夫婦二人で出かけることは難しいものです。そんな時も、1時間でも2時間でもお子さんを預けられればいいなと思います。二人きりで過ごすことで、また子どもたちとの時間も過ごしやすくなるような気がします。

第2のレベルは「
夫婦が別々に、自分の友だちと遊べることです。」アドラー心理学を学んでらっしゃるメンバーさんたちは、仲間のところに出かけていますし、友だちと遊ぶことは得意そうです。パートナーさんはどうでしょうか?できれば、仕事関係以外の友だちや仲間がいるといいですね。

最後の段階が
「子どもも交えて、家族全員で遊べること」。これは、皆さんやっておられると思います。お子さんが大きくなっても、家族みんなで遊べるといいですね。

「遊ぶことと、話し合うことができて、はじめて協力して問題を解決することができます。」というところを初めて読んだ時、すごく納得したことを思い出しました。一緒に遊んだり話し合ったりするためには、家族を勇気づけなければなりませんね。「パセージ」もここまで学んでくると、子どもだけでなく家族みんなを勇気づけましょう、とテキストが私たちを勇気づけてくれます。少しずつでも意識していければ、と改めて思いました。

例会では、子どもさんが食事の時に、自分の好きな音楽を大きな音でかけるので困っている、というお話が出されました。特に「静かにしてほしい」とおっしゃる夫さんと子どもさんの間でトラブルになることがあり、メンバーさんはトラブルにならないように気を遣って疲れてしまうとおっしゃいます。

解決法がいくつか出されました。例えば、ヘッドホンを使ってほしいとお願いする(話によってはこちらで代金を負担してもいいかな)、あるいは、家族みんなが楽しく食事ができるように協力をお願いする、もしくは、夫さんと子どもさんの課題なので二人にお任せする・・・などなど。

できれば話し合いをして、子どもさんだけが快適に食事をするのではなく、家族全員で快適に食事ができるよう協力してもらえるといいですね。ある程度大きくなった子どもさんだと、話し合いを拒否される場合があるかもしれません。ですからまず、そういう話し合いができる関係を作っていくことも大切です。ゆっくりと時間をかけて、少しずつ解決していけるといいなと思いました。

今年1年も、皆さんと一緒に学ぶことができて本当に楽しかったです。来年もどうぞよろしくお願いします。



感想


「夫婦が家族の軸」の話になりました。夫婦で遊べるかどうか?三つのレベルについて話がありました。ちょうど1年前初めて楽笑会に来たころ、夫に対しての不満を、自分のマイナスの感情を吐き出すことで、 相手にぶつけたことがあったという話をしたことを思い出しました。その時に「感情はあなたが、必要があって作り出したのですよ」といわれて、びっくりしたものでした。
 当時は、夫が一人でゴルフの練習を始めたり、夫は職場の方が楽しい、家族(私)のために時間を作ろうとしないことに不満がたまっっていましたが、その後、夫と外出する機会が増え、1月に一度くらいは二人で出かけるようになりました。子供たちが成人し、夫婦の生活に戻っていくタイミングなので、よかったなと思います。最終的には、家族で出かけるようになりたいなと思っています。
 成人してしまった子供は、もう「しつけ」や「学び」を必要としない、といった言葉が印象的でした。子供たちが小さかった頃「しつけ」ができていなかったのかな?「しつけ」とは難しい言葉です。
 成人してしまった子供が、自分と違うペースで生活するのを許容するには、距離が必要ですね。許容するのが苦しく感じるときは、場を離れるなど、物理的な距離をとるのがいいのですね。
 私自身の課題をどう解決するか、メンバーの方々のアドバイスを聞いて、「なるほどそういうこともありなのか」と考えされられました。
 ちょうど若いメンバーさんが、私と同じように、子供さんの一方との関係に悩んでおられ、自分自身のかつての姿とたぶりました。ずっと悩んで、マイナスの感情を育ててしまったなあと。
 さて、反省は必要ないとのかぜさんの言葉ですから、これからは「勇気づけ」=「話を聴く」こと、「適切な行動への注目」を意識した日々を過ごしたいと思います。
 来年もよろしくお願いいたします。 (兵庫:S)












11月の楽笑会

今月の楽笑会には7名の方が参加くださいました。

いつもの「ミニ講座」で、
「パセージ」のテキスト30-R「気分がよくなる工夫をする」を読みました。ここには、「感情的になれば、ともあれその場を離れることですが、離れてからなにをするかが問題です。」と書かれています。音楽を聴くとか、紅茶を飲むとか、散歩に行くなどの例が挙げられています。

そして、子どもたちにもこの方法を伝えておくといいとテキストが勧めています。感情的になった時に、部屋に行って(あるいは、部屋のコーナーに行って)、お人形と遊んだり、枕に抱きついたり、ゲームをしたり…と、それぞれの方法を考えておくといいですね。

この方法は、
「積極的タイムアウト」と言って、ジェーン・ネルセン博士が発見した方法です。とてもいい方法だと、私も思います。

ここを読んで、お話をしてくださったのが、子どもさんが(バイト先などの)愚痴をこぼす、という事例でした。自分が愚痴をこぼしたときにどんな風に聞いてもらったら嬉しいか、みんなで考えてみました。

何はともあれ、「そう、大変だったねぇ~」とか、「それは、腹が立つね!」などと、自分の言葉を否定せずに聞いてもらえると、それだけで気分が和らいで感情もおさまりそうです。「話を聴く」が勇気づけの第一歩だと習いましたが、その通りのようです。

他にも、コンタクトレンズを使い始めた子どもさん(高校生)が心配だというお話や、子どもさん(大学生)が食べずに残していった朝ご飯をどうするかというお話などが出されました。

話を聞いているうちに、「これは、誰の課題かを考えればいいかも?」となり、テキスト
13-L「子どもの課題と親の課題」を読みました。読んでいる間に、くすくすと笑いが起きました。なるほどねぇ~、テキストを読むだけで答えが出るなんて、メンバーさんたちの力に感動です。

今回もいろいろなお話を出してくださってありがとうございました。また、いろんな方向からの代替案や解決策のヒントも出してくださいました。皆さんのご協力、感謝しています。これからもよろしくお願いします。m(__)m


感想

「日常の瑣末なこと」でも、刺さったトゲみたいに気になったりするし、解決できたらすっきりするし。しかもそれでけっこう深いことを学んでいけるのがありがたいです。(大阪:HH)


 前回から昨日まで、出だしは良かったのですが、次第に
「パセージ」に目を通すのも出来てなさすぎてイヤだと思うほど負のエピソード満載だったんですが、今回のもまさに今の私にピッタリな内容でした。
 子どもが前髪を切りたがらず、目にかかっているのがものすごく気になって、目にばい菌が入る、傷がつく、視力が落ちる!ピンで留めるかゴムでくくれと日々争ってたので、コンタクトの話はまさにタイムリー、私の問題も解決しました。明日は前髪どうする?と優しく聞いてみます(笑)。
 あと報告するタイミングを逃しましたが兄弟喧嘩…こちらも、さっきまで微笑ましいやり取りしていたと思ったのに、泣き声がするので見ると喧嘩になっていて、つねったりしているので、黙っていられず口出ししまくる…というふうに完全に逆戻り…。
 親に気に入られようとする子とますます嫌なことをして気を引く兄弟の構図ですね。
 こちらもまた一から。でも、叩く、つねるが結構痛いし、気になるのでなんとかしたい気持ちは変わりませんが、正の注目、課題の分離、感情、気を取直してやってみます。(兵庫:H)


 
「パセージ」が終了して初めての楽笑会でしたが、様々な場面に対してどのルールを当てはめればいいのか、わからないことがたくさんあると実感しました。たとえば、家族が、外で嫌なことがあってイライラした感情や言葉を発する時、どのように対応すべきかと悩んでいましたが、
* 適切な行動を探し、正の注目をする、
* 相手が何を求めているか聞いてみる
* 相槌をうつことで相手への勇気づけができる
など、
「パセージ」のルールに従っていろいろと対応できることがわかりました。
 平日の朝、子どもが「今朝はいらない」といって残ってしまった味噌汁の話も、「飲んでほしい」は親の期待で、残り物の味噌汁をどうするかは、親の課題でした。
「パセージ」のテキストをよく読んでみると、書いてありました。「問題解決の結末が、子ども自身にふりかかるとき、子どもの課題である」と。
 これは、楽笑会の日の朝の出来事で、家に帰ってみると、子どもは味噌汁を飲んで外出していました。ただいつもは自分で洗う食器は洗わずそのままで、「飲んでくれてよかったわ」というと、「だから食器は洗わなかった」みたいに言われました。
 子どもにとっては、「飲んでほしい」の気持ちに応えようとしてくれたのかな、と少しおかしくなりました。(翌日、遅刻しそうで「味噌汁のんでられん~」という捨て台詞で、出ていったのを聞いた時も、私の「味噌汁残さないで~」の気持ちを、これほど重く受け止めてくれているのかと、やっぱりクスっときました。)
 子どもがすべきことを親が手をだしてしまう、というお話も、私にはありがちのことで、そのようなときは共同の課題にできるかどうか、共同の課題にするにはどうすればいいかなど、かなりハードルの高い話でした。一つ一つ場数をこなしていかなくては、とっさには対応するのは難しいな、と改めて思いました。(兵庫:S)


 お母さんが作った味噌汁を飲まない子どもさんの事例はとても興味深く考えさせられるものでした。お話を聞いた途端にお母さんと子どもさんの間に立って戸惑っている「お鍋さん」の困った顔が浮かんできてしまって。「ねぇねぇ、ぼくはどうなるの?」とセリフまできこえてきてしまいました。
 お味噌汁を飲むか飲まないかを決めるのは子どもの課題だとはわかっていても、そのあとにどのように対応したら勇気づけになるのか、さしあたって何をすればいいのかわかりませんでした。でも多くの方法があることがわかりました。
 これはきっと4歳くらいの子どもであっても食べる、食べないを決めるのは子どもの課題なんだろうな。お風呂も、服を着る、脱ぐもそうだけれど、子どもは日々成長して自分でできることや判断できることが増えてきている。子どもの課題をきちんと子どもに返す(?)ことが勇気づけなのかな?と学びの多い日でした。(大阪:M)


 メンバーさんのエピソードで 、学生の子どもさんが朝食のお味噌汁を飲んでくれない時がある話を、課題の分離で「飲む~子供の課題」、「飲んでほしい~親の課題」で解決です。親の課題と呪文のように割りきろうと頭で考えますが、やっぱり 飲んでほしいなぁと引きずったりします。
 今回 他のメンバーさんが 笑顔で明るく課題の分離で…と話されてました。そこがポイントやな と私は思いました。やっぱり笑顔の温かさが大事。あと引くのも 飛んで行ってしまうようです。私も笑って課題の分離に励みます。ありがとうございました。(大阪:M)











10月の楽笑会

今月は6名の方が来て下さいました。いつもの「ミニ講座」で読んだのはテキストの
29-R「結末の体験という勇気づけ」でした。

「行動を矯正することがアドラー心理学の育児の目的ではなく、適切な信念を育てることが目的なんです。つまり勇気づけることが目的なんです。そこからすべてを考えなければね。結末の体験もまた、勇気づけでなければいけないですよ。」と読んで、改めて「パセージ」のすごさを感じました。「パセージ」は、全編が勇気づけですね。素敵なテキストです。

そして、私が好きだなと思うのは、
「じゃあ、他の方法を考えればいい。結末の体験だけが、ただひとつの子育て法じゃないんだから。」というところです。子どもにどう対応したらいいか分からない時、解決策はひとつではなく、たくさんの方法があります。それらは、「パセージ」のテキストに書いてあります。テキストを繰りながら、子どもを最も勇気づけられそうな方法が見つけられるといいなと思います。自分で見つからなければ、仲間たちの力を借りることもできます。

このページを読んだ後、子どもがスポーツの練習に水筒を忘れて行った場合の対応について、結末が何年か先に表れるような出来事について、メンバーさん達から出されました。

いろいろな体験談やどうすればいいかの意見を出し合いながら、やはり子どもを信じて結末を体験してもらうのがいいかなということになりました。もちろん、それ以外にも方法はたくさんあると思います。どの方法であれ、子どもたちを勇気づけられればいいですね。

その後、きょうだい喧嘩の話が出されました。テキストの
17-Lの2にあるように、喧嘩には介入しないことが原則です。介入すると、むしろ子どもの勇気をくじく結果になるかもしれませんからね。

頭では分かっているのですが、目の前で繰り広げられる喧嘩を見て、冷静でいるのは難しそうです。そんな時は、その場を離れるのがいいでしょうか。

また、どちらかが助けを求めてきたら、その子とだけ話をするのがお勧めでしたね。子どもたちは、きょうだい喧嘩からとてもたくさんのことを学びます。その機会を奪わない方がいいと思います。それこそ、「結末」を体験してもらうのがいいのだと思います。

今回も素敵なお話をありがとうございました。


感想


 
風さん、先日もありがとうございました。
 Sさんの兄弟喧嘩の話で皆さんがアドバイスしていたことが、私に対してのアドバイスかのように参考になりました。
 兄弟喧嘩には入らないようにって知っていても、急所を狙っての激しい引っ掻きあい、掴み合い、私の方に逃げてくる下の子を追いかけて来た上の子が、私にしがみついている下の子に最後の打撃!に黙っていられない日々が続いていました。
 泣いてしがみつく下の子は慰めるけど、評価しない、ケンカの最中に入らないを改めて意識していたら、全く違うことをし始めてから、ふと 「ゴメンね する」と自分達で言い始めたり。
 ともかく2週間は頑張ります。また次回報告します。(兵庫:H)

 結末の体験という勇気づけは何となく難しそうで苦手だなぁと思っていました。思い出すのは息子が中学生のころ、休日の部活動に行くときに水筒を忘れていったできごとです。
 
「パセージ」を学んだばっかりで「なぜか届けちゃいけない」と思って棒立ちの私とカラッカラになって苦しんでる(だろう)息子とポツンと置き去りにされた水筒の3点セットの光景が浮かんできます。
 それは一枚の静止画だったのですが、その後の息子がどうだったかを思い出してみると、その後もよく色々忘れものをしていたけど、親のせいにしたり依存することはなかったようです。
 水筒のお茶の代わりに水道の水を飲んだり、交通費を忘れて歩いて帰ったりしていました。忘れていったお弁当を夕食の前に食べることもよくありました。忘れものについて息子と話をしたかは覚えてないです。
 
「パセージ」テキストのページにこんなメモ書きがありました「子どもの行動に対して親がオロオロしてるときは子どもを信頼していない」今思えば腑に落ちます。子どもは自分で考えて何とかする力があったんですね。
 今はもう社会人になっているけどその時の結末の体験が生きていると考えておこうかな?(大阪:M)


 「結末の体験」は、起こりそうなことをこちらがアレコレ説明するよりも、結末を体験するほうが、子どもがより理解してくれるので、うちではよく使っていました。
 でも、テキストに「結末の体験もまた、勇気づけでなければいけない」というのを見て、今までの結末の体験は、勇気づけになってたかなぁと振り返ってみました。(きっと勇気づけにはなってなかったはず、、)すこし乱暴に結末の体験を使っていたように思います。
 こうやってテキストを再読し、みんなで話をすると、いろんなことを忘れてたり、見落としてることに気がつきます。いま一度、自己点検していきたいと思いました。
 また、みなさんから出された事例も、とても考えさせられ、いろいろと気付かされることがたくさんありました。いつもたくさん学ばせていただいてます。ありがとうございます。
 今回は、幼稚園が休みだったので、子どもと一緒に参加しましたが、メンバーさんの温かく優しい眼差しのおかげで、子どもも私に協力してくれて、最後まで参加できました。かぜさんをはじめ、みなさまありがとうございました。(帰りの車ではすぐに寝てしまいました。)(大阪:I)


 今回は久しぶりの楽笑会。いつも個人的な問題に考えるヒントをくださってありがとうございます。
 兄弟げんかに、
「パセージ」を学んでから介入しないように心がけていたものの、無意識の態度が出てしまったことを、指摘してもらいました。
 えこひいきするのは悪いことだとわかっているのに、まさしく私がしていたことは、バイアスかかっていたと、ガーンと頭をたたかれたようでした。
 本当に猛省です。恥ずかしい気持ちでいっぱいでした。お兄ちゃんにかわいそうなことをしていたなと申し訳なさでいっぱい。
 それから数日、「心」が動きました。「~してあげるべき」でパターン化した行動に、「心」と理性が沿うようになったように思います。
 息子とリラックスして会話した後、息子が肩を少し揉んでくれました。
 一番大切なことに、
「パセージ」のおかげで向き合えました。
 先輩メンバーの方々に「わかって、よかったね~」といわれたことを、じわじわと実感しています。(兵庫:S)












9月の楽笑会

今月の楽笑会には、大雨警報の出る中、5名のメンバーさんが来て下さいました。ありがとうございます!!

「ミニ講座」では、
28ーR「選択できない可能性」を読みました。テキストでは、学校へ行き渋っている子どもの例で説明されています。

「自然の法則」あるいは「社会の法則」によって、人間には選択できない可能性があります。それはたとえば、「自分を傷つける」、「人を傷つける」、「物を傷つける」、「社会の秩序を破壊する」、「人に実体的な迷惑をかける」というような場合です。そのような場合には、子どもに「それは選ぶことができません」と伝えるべきでしょう。…とあります。

親が仕事に行く場合と家にいる場合の2つの対応がありますが、家にいる場合にはさらにもう一つの対応も書いてあり、私たちができることは、いつも複数あることが分かります。私は
「パセージ」のこういう所が大好きです。

さて、ここを読んで出して下さったお話です。

子どもが「今日はお風呂に入りたくない」と言った時に「ごめんね、それは選べません」と言えるだろうか?ということでした。これを、テキストにそって点検してみると・・・。

「入浴しない」と、自分を傷つけるか?人を傷つけるか?物を傷つけるか?社会の秩序を破壊するか?人に実体的な迷惑をかけるか?…

いろいろ話し合った結果、この場面で「選択できない可能性」を使うのは、ちょっと難しいかな、という結論にたどり着きました。

次に出されたのは、保育園に迎えに行くと、なかなか子どもが帰ってくれないことがあるというお話でした。保育時間ギリギリに迎えに行くと、延長保育のお子さん達のための軽食の準備が始まっていることがあります。

そうすると「私も(僕も)食べたい!」となってぐずり出し、すんなり帰ろうとしなくなってしまうのだそうです。

軽食は延長保育の子どもしか食べられませんので、ここでやさしくきっぱり「ごめんね、それはあなたは選べません」と言うのがテキストのお勧めです。(「社会の法則」ですね)

軽食が準備される前に迎えに行けた時は、時間になるとすんなり帰れる子どもさんだとメンバーさんはおっしゃいます。

では、軽食がある時とない時と、何が違うのでしょう?軽食があってもなくても、食べずに帰らなければならないというのは変わりませんね。ひょっとしたら親の態度(あるいは、構え)が違うんじゃないかしら?と私は思いました。

親が、「軽食を目の前にすると食べたいと思うよね」とか、「食べたくなるのはしょうがないかも」とか、「食べたいという気持ちは分かるから、少々ぐずってもいいか」とか、そんな風に思いながら対応してるのかもしれません。

「軽食がある」という原因があって子どもの態度が変わるのではなくて、親の態度の変化(微妙な変化)で子どもの態度も変わる、と考える方が分かりやすいし、対処しやすそうです。

軽食があろうとなかろうと時間になったら帰ります、ということが子どもに伝われば、少々ぐずっても帰ってくれるだろうと思います。

もうひとつ出して下さったお話は、高校生のお子さんの塾のことでした。

大学受験のことなどを考えると、親は塾に通って欲しいと思います。でも、高校生になると、それは本人の選択だし、やはり本人から「塾に行きたいのでお金を出して下さい」とちゃんとお願いできるといいなと思います。

塾に行けと言ったのはお母さん(お父さん)だから、お金を出すのは当たり前やん!とか、嫌になったらさっさと辞めてもいいやん!などというのは、ちょっとマズイかなぁと思います。

親としては、自分の判断で決心して、それを親にお願いしてもらえるように勇気づけしたいところですね。

今月も貴重なお話をありがとうございました。



感想


 
保育所での子どもさんとお母さんの事例から多くのことを学びました。お母さんが子どもに納得してもらおうと理由を説明すればするほど不適切な行動に注目してもらえるうれしさを感じて、負の注目のゲームの終わりが見えなくなる感じが想像できました。なんで説明しないほうがいいんだろう?というのが疑問でした。
 その日の夕方4歳の孫と保育園の帰り道の会話です。孫は私の少し後ろをダラダラと歩いていました。上り坂にさしかかると孫は立ち止まって
「疲れたからおんぶ~」
「おんぶできないよ、歩いてね」(ちょっとイラっとしたけどふり返って一言言ってそのまま歩き続けました)
「お熱あるからおんぶしてよ!!」(大きな声で)
「歩いて帰るよ~」(チラッとふりかえったけど歩きながら)
「もう…!ばぁばきらい!」と言って座り込む
私はそのままふりかえらずにゆっくり歩きました。
しばらくするとタッタタッタと足音がして振り返ると孫は走っています。
知らないふりしてゆっくりゆっくり歩いて孫が追いついてきたときに黙って手を出すとニコッとして手をつなぎました。
(全然つかれてないやん!)
「走るの速いね~」と言うとパッと手を放してまた走り出しました。
 この出来事で気づいたのは「おんぶできない」だけ伝えて会話をしないことで孫が自分で気持ちを切り替える助けになるのかもしれないな、と思いました。(大阪:M)


 最初、先日の台風の近況報告でした。北風さんからは、懐中電灯をより明るくする方法や、停電になった時の携帯の電源の取り方なんてことも教えて頂きました。今まで、台風があっても、なんとなく人ごとだったのが、今回の事で、いろんな学びがあったように思います。今まで生きてきた中でも、一番怖い経験でしたが、地球環境の変化で、これからもこんなことは、あるような気がします。
 28-R「選択できない可能性」を輪読しました。色々な事例が出て、やさしく「ごめんね、それはあなたは選べません。」これだけを伝える。相手に有無を言わせない。なるほど、と思いました。良かれと思い色々説明すればするほど、突っ込みどころ満載、だったのですね。
 課題の分離。親はいつでも子どもの為を思って・・・ついつい課題の介入をしてしまいがちですが、どうすることが勇気づけになるのか、やっぱり話を聴くでしょうか。
 あと、親子と言えども、高校生ぐらいになると共同生活をしていくうえで、ちゃんと謝るべき時は謝り、お願いする時はお願いすると言ったことも大切だと言うお話がありました。親子というよりも、共同生活者と言う目線で考えれば、なるほどねと思いました。(大阪:Y)


 今日もありがとうございました。
 夫への勇気くじきについては今朝の出来事だったので、相談しよ!と思ってたんですが、延長保育については解決した話のつもりだったので、風さんから偶然「Jちゃんのところは保育園行くの嫌がったりとかないの?」と尋ねられなければ話す予定ではなく、嫌がるどころか‥‥と28-Rには無関係なつもりで話し始めたんです。
 なのに!28ーRにぴったりハマるネタとなり、子ども達の不適切な行動のスイッチはおにぎり(軽食)じゃなくて私が押しているとわかり、代替案まで見つかって、本当に楽笑会すごいなと思いました。
 一人では見えないことを皆さんの力で教えてもらえて本当にありがとうございます。来月もお邪魔します。どうぞよろしくお願いします。(兵庫:J)


 今回は 保育所に通っておられる子どもさんのお迎えで悩みを聞かせてもらいました。
 開いた質問で 現場の状況が具体的に分かりました。お母さんは 落ち着いて対応されてますが、子ども達は鬼ごっこのように走りまわり お母さんを困らせてます。テキストで優しくキッパリ…と書いてありますが 子ども達は その奥のお母さんの揺れ動いたオーラを読み取ってた!
 凄いですね。
 そこにお母さんは気がつかれました。これからのお迎えが どう変わるか 来月が楽しみです。
 あと 高校生の娘さんとお父さんの関係で間に入ってるお母さんの話で娘から直接 お父さんに伝えたほうがいい話があり、それを お母さんが間に入ってお手伝いする事ができる事。
 娘さんにしたら できたら 避けたい事やけど 一つ大人になれると思いました。私自身この二つのエピソードで 同じ学びができました。ただ日々実践する事は 失敗だらけですが 楽笑会で 反省する事を続けていきます。
 それと 毎回 ケーキを焼いて下さるリーダーの夫様 美味しく頂いております。ありがとうございます♪(大阪:M)













8月の楽笑会

今月のテキスト右ページは
27-R「失敗は勇気づけのチャンス」でした。参加してくださった5名のメンバーさん達と一緒に読みました。

このページは
12-L「失敗した場合にも勇気づけよう」の内容がさらに詳しく具体的に書かれています。子どもが何か失敗をした時に勇気づけるのはもちろんですが、そのあとの「子どもの仕事」が書いてあります。「後始末」「今後の工夫」「傷つけた人がいたらあやまる」の3つです。

具体的なセリフの例も書いてあるのでこのまま使えそうです。
「あら、失敗しちゃったわね。片づけてくださる?」(後始末)とか、「失敗しないために、次からどうしたらいいと思いますか?」(今後の工夫)とか、「ごめんねって言った方がいいと思うんですが」(傷つけた人がいたらあやまる)など、とても丁寧な言葉遣いが素敵です。

テキストを読んだあと、あるメンバーさんからお子さんと一緒にお祭りに行った時の話が出されました。せっかく手に入れたスーパーボールを落としてしまったのだそうです。一緒に探しながら、これからどうするかということについて話し合ったので、お子さんは気持ちを切り替え、お祭りが終わるまで楽しめたのですが、もっと勇気づける言葉はなかったのかな…というお話でした。

テキストには
「勇気づけのことばをかけてもいいのですが、ことばをかけないでいても、子どもは失敗から多くのことを学んでいると思います。」とあります。きっとこのお子さんもたくさんのことを学んだんだろうと思います。それに、気持ちを切り替えられたということは、勇気づけられたからこそですよね。素敵なお話だなぁと思いました。

そのあとは、幼稚園のママ友との付き合いの話やきょうだい喧嘩の話が出されました。孫がいるような年齢になっても、まだきょうだい喧嘩ってするものなのですね。私も経験してるので良く分かります・・。大人げないなぁと自分でも思うのですが、今自分にできることをするしかありませんね。大きなトラブルにならないように、今までより少し距離を置いてみるとか、とりあえず挨拶だけはすることに決めておくとか・・・。そうしているうちに、また何かのきっかけでうまく付き合えるようになるかもしれません。きょうだいですからね。

今回も貴重なお話をありがとうございました。また、次回もお待ちしています。


感想


 
いつものように、「パセージ」のテキストの27Rを輪読し、前回の事例の、その後のお話をお伺いしました。そして何かお話と言うことで、幼稚園のお友達と、その母との付き合い方、結局は、子どもではなく母が勇気をくじかれていると言うお話でした。それから、親兄弟とのかかわり方のお話。こちらは、とてもヒットしました。いくつになっても親子兄弟と言う関係は、続きます。そして、親からの注目関心を勝ち取ると言うことも続くのだということを再確認させていただく事例でした。私には、もう親が居りませんので、子どもに対する付き合い方を考えさせられる事例でもありました。(大阪:Y)

 私の実の兄二人との ギクシャクした関係の話を聞いてもらいました。それぞれが家族を持ち、30年以上たち、親の介護、相続やらの事で 兄達に陰性感情があり、実家でたまに会う、 私が 嫌そうにしているのがありありと 表情にでてしまう事。大人げないのが自分でも嫌でパニックになり 困ってる事。
 北風さんから 兄弟喧嘩やね!と言われて、 とりあえず 兄と会ったら 「用事おもいだしたわ!」と言ってその場を離れる。これなら できる。とりあえず こうしておこうと思います。いろんな問題はぶらさげたままですが、 できる事しかできないんですよね。
 その場から離れるを御守りに 母の介護を楽しくやっていこうと思いました。(大阪:M)













7月の楽笑会

7月の楽笑会には、7人の方が参加してくださいました。いつものように
「パセージ」のテキストの右ページを読むことから始めました。今月は26-R「離婚と片親」です。

このページを初めて読んだとき、
「だから、『かわいそうな子』なんて思わないことだ。離婚後の生活を親子共同の課題にして、たくましく生きていくことだよ。」という文章にハッとしました。そうかぁ、「たくましく」生きていくのね。それは、ステキです!

改めて読んでみて、家族がどんな状況であれ、共同の課題を協力して解決していくんだなと思いました。つまりは、親がそろっているとか離婚したとか、兄弟姉妹がいるとかいないとか、祖父母が近くにいるとかいないとか、そういうことを言い訳にして、○○ができないとか言わないことなんだなと思いました。

あるメンバーさんから、自分のきょうだいが離婚していて、そのお子さん(メンバーさんの甥や姪)のことが心配になるというお話が出されました。子どもたちのことを考えると、ちょっと不憫だわとか、(それこそ)かわいそうだわとか、思ってしまいがちなのですが、自分が彼らの親代わりになれるわけでもなく、伯父・伯母(あるいは叔父・叔母)として、できることをするしかないのですよね。それは、その子たちの親がそろっていても離婚していても変わらない。そのことを改めて確認できて良かったなぁと思いました。

そのあと、ヘルパーとして利用者さんへの声のかけ方の工夫のお話や、赤ちゃんが大好きなのでつい可愛くて触りに行ってしまう我が子に、「触ってほしくないママもいる」ことをどう伝えればいいかな?という(カワイイ)お話なども出て、いろいろなアイデアを出し合いました。ありがとうございました。



感想


 
「パセージ」のテキスト「離婚と片親の育児」の輪読からでした。それから前回出された事例のその後、どうなりましたか?上手くいったりいかなかったりに、メンバーさんからの意見やアイデアが出されました。新たな問題勃発に、メンバーさんからのいろんな意見に、気づかれた事もたくさんあったようで、良かったなあと思いました。(大阪:Y)

 今回、メンバーさんの相談の中で、どのように対応するかのアイデアを出す時に、その都度・その場で対応することばかり考えていることに気がつきました。かぜさんより、会わない間の1週間に何をしてもらうか、何が出来るかの話が出た時に、時間をかけること、長い目での勇気づけを考えることが必要だと改めて教えてもらえました。今月もありがとうございました。(大阪:I)













6月の楽笑会

6月の楽笑会には5名の方が参加してくださいました。

最初に、『子どもの脳を傷つける親たち』(友田明美著 NHK出版新書523 842円)と『子どもの「脳」は肌にある』(山口創著 光文社新書 756円)の本を紹介しました。どちらも、子どもを育てる際にスキンシップが大切だということが書いてありました。衝撃的でもあり、素敵な本でした。お勧めです。

それから、いつものように「ミニ講座」で
「パセージ」のテキストを読みました。今月は25-R「感情的にならないことなんてできるの?」です。

「目標を一致させる」「誰の課題か考える」「どうして解決を作ろうかと考える」という3つのコツに注意すると、「感情がおこらなくなるんです。」と優しく説明してくれています。つまりは、マイナスの感情を使わなくて済むようになるってことですね。

例えば、試験が迫っているのに勉強しない子どもがいたとします。勉強するべきだと分かっているはずなのに、なぜか部屋の片づけを始めたり、「ちょっとお腹の具合が悪い」と言い出してみたり、あるいは、「今回の試験は難しすぎて、どうしよう。手におえそうにないわ」と言ってみたりすることがあります。

「部屋の片づけなんかしないで勉強したらいいのに」と親は思いますね。でも、こんなときイライラしたり怒ったりして(=感情的になって)、子どもに声をかけても逆効果だとは分かります。とりあえず、何が起こっているか考えてみましょうか。

アドラー心理学では、行動や感情には目的がある、と考えます。ということは、子どもは「勉強したくないから部屋の片づけをしている」んですね。あるいは「勉強したくないから、お腹の具合が悪くなる」んですね。(本人は意識していないと思いますが)

ですから、どんなに勉強しなさいと言っても、無理(ムダ?)なんです・・・。じゃあ、どうすればいいんだろう。

「誰の課題か考える」がいいかもしれません。それとも「どうして解決を作ろうかと考える」のも使えそうです。私のお勧めは、子どもに任せて見守る、です!特に子どもの年齢が高くなってくると、どのように言おうと親の言うことは聞かないでしょう。なので、ちゃんとできるはずと信じて、「手伝ってほしいことがあったら言ってね」と伝えておくぐらいがいいと思います。

他に、お孫さんへの対応についてのお話、小学校に上がる前のお子さんの友だち(&そのお母さん)との付き合い方に困っている話や、子どもの歯の矯正をどうするかという話なども出ました。先輩メンバーさん達から代替案やアドバイスをたくさん頂けました。とても参考になるなぁと思いました。ありがとうございました。



感想


 
北風さんより 友田明美さんの本の紹介があり、「暴力や暴言で脳は変形する」「親が変われば子供もかわります」
北風さん曰く スキンシップが大切と。
私も娘にさりげないスキンシップを心がけようとおもいました。
すると次の朝、夫が娘に話を聞いて欲しく、娘の肩をトントンとすると、「お父さん!汚い手で触らんといて!!」と。
成人してる娘には気をつけた方が…と 大笑いでした。
 そして今日娘が陰性感情を消す魔法はないかなぁ~と言ってきたので、早速
「パセージ」に3つの魔法が書いてあるょとテキストをひろげました。とってもタイムリーな我が家でした。(大阪:M)


 今日は25Rの「感情的にならないなんてできるの?」でした。
「そういえば、ちょっとあの時怒ってたかな?」という事例を軽い気持ちで話してみて「ウッ!」と気づくことがありました。
 4歳の孫が絵本を読もうとして、そこへ1歳の孫(従弟)が近づいて行ったので「絵本が破られる!」と思った私と4歳の孫との会話です。
絵本は図書館から借りてきた海の生物の絵本でほかに硬い紙の破れない絵本もそばにありました。
 私「こっちの破れない絵本にしてよ!」
 孫「いやだ」
 私「じゃあ、その本読むんだったらあっちの部屋へ行ってちょうだい!(怒)」
 孫「いやだ」・・だまって後ろを向いて本を読み続ける。
7歳の姉が「私が守ってあげる」と言って1歳と4歳の間に入って守ってくれました。私はだまって引き下がって おしまい。絵本は無事でした。 
 楽笑会のメンバーさんに「あっち行けって言ったの?」って言われてはじめて「ひどいこと言っちゃった!」と気づきました。
 1歳の孫を抱っこすることもできたし、その子の母親に「何とかしてくれない?」と頼むこともできたし、方法は他にもたくさんありました。
何よりも目標は「絵本をやぶらない」ことだけだったので、4歳の孫と「どうやったら破られないかな?」と相談すればよかったんです。
そしたら面白いアイデアを言ってたかもしれないなぁ~。
これからは「目標はひとつで方法は複数」をやってみようと思います。
 楽笑会で話すと自分の事例を人ごとのように感じられるのでとても興味深いです♪(大阪:M)


 感情に支配されないためのヒントを学びました。絵本を読みたいお孫さん、ハイハイをするもう一人のお孫さんから大事な絵本を守るための働きかけをどうすべきだったか?ヒントをもとにいくつかのよい働きかけ方があることが、とてもよくわかりました。
 ひとつの問題に対して、どのようにアプローチするか、自分の考え方の癖に陥ると難しい問題も、たくさんの意見を聞かせてもらうと、なるほどと思えます。
 ヒントのうち「誰の課題か考える」では、自分の課題ではないことに介入する必要がなく、したがってイライラする必要もないと、あります。母親は家族の問題の受容者的立場にあるので、そんなものだと思ってきましたが、そうではないこと、それぞれに自分自身の課題を引き受けてもらえばいいことを改めて理解しました。すぐには難しいかもしれませんが、肩の荷を少しずつ下ろしていけたらと思います。(兵庫:S)


 今回は、少人数だったこともあり、それぞれ皆さんが、お話しされて良かったです。
 私も次男の事で、良い報告が出来て嬉しかったです。
 小さい子どもさんへの対応「やさしくきっぱり」に、おーなるほど、孫への対応の参考になりました。ありがとうございました。(大阪:Y)













5月の楽笑会

8名の方が参加してくださった5月の楽笑会。ずいぶんと久しぶりに来て下さった方もいて、にぎやかな会となりました。ありがとうございました!

まずは「ミニ講座」で
「パセージ」のテキストを読みました。今月は24-R「親の課題と教師の課題」です。私はこのページの「大切なことは、『私にはなにができるか』ということを自分に問いかけることだと思う。親は親のできることをし、教師は教師のできることをする。つまり、自分の課題について、しっかり努力する。それを怠っておいて、相手のせいにしていても、なにも解決しませんよ。」という部分が好きです。

好きは好きなのですが、そして、いつも「誰の課題か」「私にできることは何か」と考えることが大切だ!と頭では良く分かっているつもりですが、つい、○○さんがこうしてくれたら…とか、あの人が分かってくれないから上手く行かないとか、愚痴りたくなることがあります。

時に愚痴ってもいいとは思います。でも、そこで留まっていたのでは、何も解決しません。ちょっとしんどいけれど、何か私にできないかなと考えてみることなんですね。できることがなさそうに思う時には、仲間に頼るのもいいでしょう。(楽笑会には、素敵なアイデアマンがたくさんいますので、いつでもいらしてくださいね)

さて、このページを読んでいる時、あるメンバーさんから、授業をしていた時に生徒さんから思いがけない反応をされて困ったという話が出されました。そういう場合、つい“親の教育のせい”にしたくなったりしますね。でも、私たちは誰が原因か、何が原因かとは考えません。

アドラー心理学では、この生徒さんの「目的」を考えます。その反応は、先生に対して何かを伝えたかったのかな、あるいは、そう反応することでクラスのみんなに解ってほしいことがあったのかな、もしくは、もうこの話は終わりにしてほしかったのかな、などと考えてみます。そうすると、次に同じ反応があった時、どう言えばいいかのヒントが探せそうです。

そういえば、
「行動の目的を尋ねると、多くの場合は解決策につながるのです。」とテキストにも書いてありました(2-R)。さすが「パセージ」のテキストですね(^_-)-☆

他には、お嫁さんとのやり取りや、義理の妹さんとのやり取り、成人した息子さんとのやり取りなど、相手が大人の場合の対応についての話などが出されました。相手が大人の場合も「頼まれたことをする、頼まれないことはしない」というのが原則になるでしょうか。そして、彼らとの距離の取り方を考えると、つき合いやすくなることもありそうです。

今月もたくさんのお話をありがとうございました。一つひとつ、みんなで考えることで解決策のヒントが見つかるのが、とても嬉しいです。来月もお待ちしています。



感想


 
私は、こんなにしているのに・・・とついつい自分の価値観を前面に押し出してしまいがちですが、人それぞれに違うんですねぇー。親孝行と言う事ひとつとってみても、親の面倒を見るだけが親孝行ではなくて、親にお世話をかけることが、実は親孝行だったりもするんですね。なかなか一人では気づかないですよね。仲間の力ってありがたいって思いました。(大阪:Y)


 仕事でかかわる人(生徒)との関係
こちらの働きかけに、予想外の挑発的な態度をされ、どうして?と(行動の原因)考え、不愉快な思いもしていましたが、それよりも、その態度の中に、どのような相手の思いがあるのか(相手の行動の目的)、それを読み取って自分のとるべき対応を考えるというアプローチが、アドラーだと学びました。自分自身の言動の中で欠けていた配慮など、新しい気づきかありました。勇気づけることなど、いろいろ試してみようと思います。
 また、相手が望むことへの対応をすることが、正しい援助のあり方だということは、ついついおせっかいを焼いて、子供に「わかってる、もうできる」と叱られているので、「なるほど、ふんふん」と半年余りで学んだことが腑に落ちるようになったなと嬉しく思いました。
 嫁ぎ先の家族との関係で、自分の役回りへの不満、葛藤などの話を聞いてもらいました。
 よく考えてみると、ここでは、私自身が先ほどの挑発する人になっていることに気が付きました。自分はちゃんとしてるのに、評価してくれない、というような。だから、相手との関係を築く気持ちが挫けるのだな、と。自分自身の行動パターンは、人を喜ばせたい方だったので、実際自分がとっている行動との落差に落ち込みますが、それがありのままの自分の姿なのだなと思います。
 「仲良くする」の呪縛にとらわれず「普通にする」でいい、という先輩メンバーの方の助言や「したいこと、したくないことを自分で決めていい」ということ(これはアドラーそのものでした)を心において、自分の行動を決めていきたいと思います。(兵庫:S)


 メンバーさんの話を聞いていて、私にも思いあたることがいくつもありました。
 自分が良かれと思ってしたことに対して、相手の反応が良くなかったり、思った評価を得られないとがっかりしたり、腹がたったり、さみしい気持ちになったり、、
 でも、自分の覚悟ひとつで、そんな気持ちにならなくて済むんだと再度確認できました。
 また、相手や自分の行動には目的があって、感情で反応するのではなく、その目的を考えて、冷静に対応できるようになりたいと思いました。(大阪:I)


 エピソードを話してると 原因をみつけて 物事を考えてしまいがちになりますが、アドラー心理学では 目的を軸に紐といていく事。
気持ち良く シンプルに解決していく様は 感動しました。
そして、メンバーさんの 息子さんから母の日のプレゼント(ケーキ)をお裾分けしてもらいました。美味しかったです。ご馳走さまでした。
そして、10年ぶりのメンバーさんに会えた事。嬉しかったです♪(大阪:M)


 実は前の仕事を円満退職させてもらって、いろんな就活して、転職しました。研修を経て、今は毎日新たな仕事に行ってます!
 家に一人でいる時間が多くなり、子どもたちのスケジュールも管理しなくなり(笑)、今までの生活を見直しました。これから月曜日は参加ができなくなるので、またホームページ等楽しみにしています。
 岸見先生の本を買って読んでいます。やっぱり私にはアドラー心理学が一番です。何かあるたびに戻れるところがあって、北風さんがいてくれるので前を向いて頑張っていきます。これからもよろしくお願いします。(大阪:U)












4月の楽笑会

8人の方が参加してくださった4月の楽笑会。
まずは、「ミニ講座」で
「パセージ」のテキスト23-R「課題の肩代わりかほんとうの援助か」を読みました。

「その『不安』が<親の課題>ですね。その課題を解決するために、子どもに勉強させようとするわけだ。それが<課題の肩代わり>でしょ。」というテキストの言葉に、ハッとしたメンバーさんも多かったのではないかと思います。

私たちは、「不安」とか「期待」とかいう<親の課題>をいつも抱えているのだなと思います。それは、親だからこそ持てる<課題>ではあるのですが、それを、つい子どもを動かして解決してしまいたくなるのですね。
「しかも、親は『子どもを援助している』って思いこんでしまいがち」と、テキストが鋭く指摘してくれます。

ほんとうの援助になっているかどうかを知ろうと思えば、
「パセージ」の子育ての<行動面の目標>と<心理面の目標>を点検することが大切なんだと改めて確認できました。

その後出された話題です。

ひとつめは、自分の部屋だけではなく家族みんなが使っている居間の片づけをしない子どもさんのお話。自分の部屋は自分で片づけてもらう(もちろん、片づけなくてもOK)として、みんなが使っている居間の方はどうしましょうか。

みんなが使っている居間を片づけるのは、家族みんなの課題ですから、みんなで片づけてもいいですし、誰か気になる人が自分の課題として片づけてもいいのだと思います。

ですから、子どもの持ち物でも、居間にあると邪魔になるのなら、親が片づけさせてもらってもいいでしょう。(片づけていいですか?とひと言聞いておくのが安全ですね)また、「いつ片づけてもらえますか?」とか「手伝えることはありますか?」などと聞いて、共同の課題にするのも一つの方法です。

さて、ふたつめのお話です。1年後に小学生になる子どもがいるが、周りにはひらがなやカタカナ(どうかすると漢字まで)を既に書ける子がいる。書けないままで小学校へ行っても大丈夫だろうか、という「心配」が出されました。

小学校1年生の国語の教科書を皆さんは見たことがあるでしょうか。ひらがなもカタカナも(もちろん漢字も)、何も知らない子どもを想定して作られています。ですから、何も心配しなくても大丈夫です。鉛筆の持ち方から、丁寧に教えてもらえます。

小学校に上がる前に字に興味が出てきて、読んでみたい書いてみたいと、子どもが望めば教えてあげるのがいい(それも、うんと楽しく!)と思いますが、こちらから無理に教える必要はないでしょう。いずれ、漢字も計算も嫌というほど勉強しなければなりません。ですから、幼稚園の間は、幼稚園でしかできないこと、幼稚園の間でないとしないこと、幼稚園児だからこそできることを、沢山たくさんしておくといいなと思います。

それから、朝日新聞の記事も紹介しました。2018年4月7日の夕刊に、「学校に居場所がない」「新学期がゆううつ」と思っている若者へのメッセージが載っていました。そこには、「学校苦手でも悩まないで」とか「学校へ行かないこと、それは才能」というような言葉が書かれていました。

今の日本は、少しはみ出すと居心地が悪くなる場合が多くなっているような気がします。でも、みんなと同じ、みんな一緒、ってつまらないですよね。違っている(はみ出ている)からこそ面白いし、より大きな仕事ができるのだと、私は思っています。

はみ出すことも、学校へ行かないことも、人と違っていることも、みんな素敵な「才能」なんですね。そう思って、家族のことも自分自身のことも見直してみれば、それこそたくさんの「才能」にあふれていることに気づくと思います。



感想


 
今日もタイムリーなハッとするような課題でした。同じくらいの子育てママの意見も、ひと段落した先輩方の意見も両方聞けるのが楽笑会のいいところです。
 そんなに焦らずに、子どもらの力を信じて、今の子どもらのペースを大事にしようと思いました。
 とは言っても、子ども達に要るかどうかは一応聞いて、買ったばかりのひらがなドリルを一緒にやりたいと言われていたので、それはやろうと思います。
 今まではついつい、さっき読めた同じ文字が何で読めないの?とお風呂に貼ってるひらがな、カタカナ表でも「ママしんどくなってきた、また明日にする」 なんて、何度も聞いてくる子どもらの勇気を挫きまくっていたのですが、それもなく、一緒に楽しめる気が『今は』しています。
 結果、どうだったかはまた次回、報告します。(兵庫:H)


 久しぶりに参加させていただきました。
 最近、アドラーの育児からほど遠いことばかりして、親子関係を悪くしていたので、少し気おくれしての参加でした。
 今回、かぜさんが下さった「はみ出すこと、それは才能」の記事を読んでハッとしました。
 発達ののんびりな我が子を見て、できない部分ばかりに気を取られていて、なんとかしようと支配的になっていることに気づいたんです。
 これでは上手くいくはずがないと反省。
 アドラーの基本に戻って、適切なことに注目、勇気づけ、子どもの課題に介入しないとココロ新たに楽笑会から帰りました。
 そして帰ってから、、、私から今までのごめんなさいと、子どもに仲直りのハグをお願いしました。
 子どもは「いいよー!」と寛大な心でハグしてくれました。今回参加したことで親子関係の悪さから、一歩抜け出せそうです。
 ありがとうございました。(大阪:I)


 23-R 課題の肩代わりか本当の援助か
 ずいぶん前から、大学生になった子供たちに、どうかかわればいいのか?と考えていたので、今回はぴったりの内容でした。子供の幼かった頃も思い出しながら、私がどのように援助していたか、振り返る時間を持ちました。子供の特性や、取り巻く環境によっても関わり方が変わってくるので、一概には言えませんが、「子供からいつも援助を求められている」という強迫観念のようなものがあって、気が休まらない子育てだったように思います。自分から要望を言える子には、それを叶えることは簡単ですが、親がすればいいなと思うことをしたくない、と世界を狭めていく子にはどのように接すればよかったかと、感じたり。結果的に無理強いをしたことも…。
 今回の学びの後、この大きくなった子供に対しても、私の援助の癖に陥ってないかな、と意識して生活しています。(兵庫:S)













3月の楽笑会

3月の楽笑会には9名の方がいらしてくださいました。初めての方も来て下さいましたし、他の自助グループの方々の参加もあり、にぎやかになりました。ありがとう♪

「ミニ講座」で読んだのは、
22-R「いつでも選択肢があること」のページです。「アドラー心理学にもとづく子育ての特徴は『どんな場合でも複数の選択肢を子どもに与えること』です。」とあります。テキストには、お風呂に入ってほしい親と子どもの会話が例に挙げられています。

テキストの例では、子どもが「先に入ってくれていいよ」と答えているのですが、これは子どもが一人で入るという前提です。例えば、子どもが幼くて一人では入れない場合は、どんな選択肢が可能かな、と話し合ってみました。

「お風呂に入りますか?それとも入りませんか?」、「今日は誰とお風呂に入りますか?(母、父、きょうだいなど)」、「今ならお母さんとは入れるけれど、どうしますか?」、「いつお風呂に入りますか?(ご飯の前、あと、あるいは寝る前など)」・・・結構いろいろ考えられますね。

いつも選択肢を出せるようになるためには、こうやって皆さんと一緒に考えておくのもいいなと思いました。

さて、例会では、子どもさんのお金の話、夫さんとの話が出されました。

子どもが小さいうちは、金額も小さいし、例えば友だちとお金の貸し借りをしたとか、○○が欲しいからお金を貸し、お小遣いから返してもらっているとか、その程度のできごとですが、子どもの年齢があがるにつれて、金額も大きくなり、子どもだけでなく他の人への影響も出てくるような話になってきます。

それでも、やっぱり「子どもの話を聴く」とか、「適切な行動に正の注目をする」とか、「手伝えることはありますか?と聞いて共同の課題を作る」とか、
「パセージ」の基本を実践することなんだと、皆さんと話し合う中で改めて感じました。

また、夫さんとのお話では、皆さんに、夫婦喧嘩したときの仲直りの方法を聞いてみました。小さいころには一方が「ごめんなさい」と謝って、もう一方が「いいよ」と言って仲直りをする、というのが定番ですが、大人同士、特に夫婦の場合は、なかなか「ごめんなさい」と言いにくいし、「いいよ」と言うのもちょっとなぁ…と思ってしまいます。

それでも、一緒に暮らしている以上、きっと仲直りをしているはずです。それは、どんなふうにしているのかなぁと興味深く聞きました。

あるメンバーさんは、どちらかがケンカした内容に関係する提案を「○○するのはどう?」と言って「そうね」と答えることで、仲直りできた感じがするとおっしゃいました。つまり「○○するのはどう?」というのが「ごめんなさい」の合図で、「そうね」というのが「いいよ」の合図です。

また、夜、手を握って寝ることにしているので、手を握りにいくと「ごめんなさい」で、握り返すのが「いいよ」のサインかもとおっしゃるメンバーさんもいました。また、「お茶でも飲む?」と誘って「そうだね(あるいは、今はいい)」と普通に答えると仲直りになる、などのお話も聞くことができました。

皆さんのお宅にも、きっとそういう「ごめん→いいよ」の合図になる行動があると思います。それが、合図だと分かれば、いつまでも仲直りできなくてもんもんとする時間が短くて済むような気がします。また、もしそういう合図がないなと思われたら、仲良しの時に話し合って合図を決めておくのもいいかもしれません。

皆さんの仲直り法を聞くことができて、何だかほんわかした気持ちになりました。ありがとうございました。


感想


 
「パセージ」や自助会には参加していますが、楽笑会は初めて参加しました。どの場もステキな居心地のいい場ですね。
 今日は勇気付けするための「正の注目」の大切さを感じました。子供だけではなく、大人にも。
 どの部分の勇気がくじかれているかを見極め、「正の注目」をし、勇気付けをすることと、いいと思う部分やありがとうの感謝を伝えることで、関係性も良くなるなと思いました。(大阪:K)


 平日版の楽笑会に、初めて参加させて頂きました。22-R「いつでも選択肢がある」を読んで、成人した子どものお金の使い方について、皆さんのご意見やご助言を頂きました。
 私にとってはマイナスなことだらけだったのですが、皆さんからたくさん子どものストレンクスを見つけて頂き、どんな風に子どもと話せばいいのか、大切なのは「話を聴く」でした。そしてどんな選択肢を提示すればよいか、と言うことについて、色んな提案をして頂きました。
 帰って早速、話す機会があったのですが、子どもは「話がある時は自分からするから」と言って会話終了となりました。(自分の思ってること自分の言葉で伝えてくれました。)
 楽笑会では、・焦らない事・いつでも話を辞めてもいい事・と言われていましたので、素直に撤退しました。
 今日も「晩御飯要らないです」と連絡をくれたので「連絡ありがとう。了解です。」と返信しました。今までは、返事せずにスルーしていたのですが、そこは、返事しておこーと思いました。
 少し時間は、かかるかもしれませんが、焦らない事、いつでも話を辞めて良い事、を思い出し、今しばらく様子を見ようと思います。ありがとうございました。(大阪:Y)


 頼み事には選択肢があること。
 日々格闘しています。お風呂に入りたくない娘と片付けたくない息子。できれば、その日中にしてほしいこと。前者は本人の必要に迫られ、翌日にはけりが付きますが、後者は月単位で無視されます。今はその気にならないといって。
 Passageでは、頼みごとをするとき感情的にならないこと、とありますが、我慢の限界がきて、最終的には感情的に接してしまいます。私の中で、普通に言ってもスルーされるという体験の積み重ねがあるからでしょう。理性的に言っても、聞いてくれる成功体験があまりに少ないのです。断ってもいい、という選択肢もありません。その場合どうしたらいいのでしょうか?
 仲直りの合図。
 けんかの後の仲直り。Passageを学んで、「腹を立てるのはそこに目的があるから」と知ってから、相手にも非があるじゃない、と思うような時にも、ここは収めておこうと「言い過ぎてごめん」などと私のほうから折れていましたが、今まで「どちらが悪いか?」ということに注目するほうだったので、「ごめんなさい」なしに仲直りをするの?と少しびっくりしました。黙ることが、話題を終わらせる合図というのは、私の夫も同じで、その合図をキャッチできず、よく衝突しました。メッセージを触覚、視覚、聴覚と受容する感覚が人それぞれだということも、なるほど…と思いました。
 頭ではわかっていても、実際にはうまくできないことばかり。自覚するだけましだと思って気長に家族とかかわりたいと思います。(兵庫:S)


 久しぶりに参加しました。社会人になった息子とどう付き合うか、をじっくり考えることができました。いくつになってもやってることが危なっかしくてハラハラするのは息子ではなく親の課題。私が心配したくてしているだけ。困ったときに親に助けを求めてくるのは信頼してもらっているからなんだなあ。 ・・なんとなくあったマイナス感情をひとつずつ場面にして整理してみると「困った息子」が「ちょっと素敵な息子」に変身しました。(大阪:M)












2月の楽笑会

今月の楽笑会には久しぶりに参加くださったメンバーさんを加えて4名の方が来て下さいました。この日「ミニ講座」では、
「共通感覚と私的感覚」(21-R)を読みました。

「たとえば、ある人が私を見てから、目を伏せたとします。」から始まるこのページのたとえ話が、私は好きです。「そうかぁ、この人は私のことが好きなんだ!」と思うか、「あ、私のことが嫌いだから目を伏せたのね」と思うかで、私の反応は全く違います。

本当はどうなんでしょうね。もしかしたら、好き嫌いに全く関係なく足元に何かを見つけてそちらを見ただけかもしれないし、私をからかおうとしていたのかもしれません。

「でも、私は、さまざまな可能性の内の、どれか一つだと思い込んで、それに反応します。」--つまり、私たちはそういう思い込みの世界に生きているのですね。それが「私的感覚」。そして、その私的感覚は一人ひとり違っている、と分かるだけでも、少しは暮らしやすくなりそうです。

さらに、
「多くの人が共通して持っている意見を<共通感覚>といいます。」と、「共通感覚」の説明のあとに、テキストがお勧めしているのは、「なるべく共通感覚と同じような私的感覚を持っている方が便利なのです(が、・・・)」ということです。「便利」という言葉が使われていることも、私が好きなところです!

アドラー心理学を学ぶ前は、みんな同じように感じていて、同じように考えているのだと思っていましたが、「思い込みの世界」に気づけたとき、少し自分の視野が広がったような気がして嬉しかったのでした。

例会では、自己紹介をしながら、近況を伺いました。子どもさんのやりたいことを応援できる親でありたいという話が出たのですが、それには親として覚悟もいるよねぇ、など、その難しさを実感されているお話も聞くことができました。

親の好みでない進路を選ぶ子どもを、心から応援できるようになれたらいいなぁ、と、そう思う親御さんたちを応援し少しでもサポートできる楽笑会でありたいなと、改めて思いました。



感想

 
 
今日は久しぶりに楽笑会におじゃましました。
 皆さんのお話を聞くことが出来て、自分の話を聞いてもらって、北風さんのお話を聞いていて、改めて北風さんの作る居心地良い素敵な場所に来れて幸せだなぁと思いました。
 子どもが自立し、大人に成長するまで、本当にいろんなことがあります。禍福は糾える縄のごとし、といわれるように、良いことも悪いことも半分半分だと思って過ごしていますが、日々迷ったり不安になることが多いです。
 そんな中でも、親として子どもがやりたいと思うことを、たとえそれが自分の思いと違っていてどんなに厳しい道だとしても、全面的に応援したいと思いました。
 子どもを応援できるという幸せをまず感じて、行動したいと思います。子どもの笑顔が私の幸せだからです。ありがとうございました!(大阪:U)


 2か月ぶりの楽笑会、参加4回目の初心者ですが、北風さんやメンバーの方々と場を囲む温かい時間が流れました。ありがとうございます。
 私的感覚を大切に!自分と同じような感じ方、考え方の人と過ごせる心地よい場面ばかりではない、違和感のある人との関係について、特に家族の場合はどうするのか?自分の感覚を否定されるのでも、相手を否定するのでもない声掛け、態度を意識してみたいと思いました。
 家族の中でも、母、妻、嫁、娘と役割だらけの人生、忖度だらけでお荷物たくさん背負って生きてきたように思いますが、自分に求められる役割を、その都度自由に選択してもいいということ(なかなか難しい)、選択するからよろしくね、ということも有りだということが、なるほど、でした。自分の中の「~せねばならぬ」は無意識のうちに相手にも投影してしまうなあという気がしました。
 子供の応援団であること。子供の進路に対して、賛成反対どのような立場をとればいいのか、実はこの会に参加する前からの課題でしたが、今回メンバーの方のお話の中で、子供の意志、判断、行動を尊重することが、子供の本当の生きる力になるということを感じました。応援することに伴うリスクを引き受ける覚悟、子供を信じること、きっとpassege で学ぶ大部分のことを動員して生まれる親の態度なのかなと思いました。
 「応援するしかないでしょ」とこの会を紹介してくれた友人の言葉が、やっと理解できたように思います。
 昨晩から一晩寝かして、前向きな気持ちになれたように思います。
 子育ての真っ最中に、周辺で起こった様々な問題に振り回され、子供と本当に向き合えてなかったのでしょう。
 応援できる母であるように、子育ての技術身に着けたいと思います。よろしくお願いします。(兵庫:S)


 私的感覚と共通感覚のページを読みました。家族でもそれぞれの私的感覚がある。色々ある事。私からみて根性悪いなぁと思っても、その私的感覚をどのようにして貢献的に使うか!なるほど!!と思いました。人を人として…と言うことですね。
 今回も心が軽くなり 人と話すのも楽しくなりました♪ありがとうございます・・・(大阪:M)












1月の楽笑会

2018年最初の楽笑会には4名の方が参加してくださいました。年は新しくなりましたが、楽笑会は相も変わらず、皆さんと一緒に楽しく笑いながら進んでいきました。

まずは「ミニ講座」で
「パセージ」のテキストの右ページを読みました。月に1回、1ぺージずつ読んできて、20-R「頼み方の4つのパターン」までやってきました。主張的な頼み方、非主張的な頼み方、攻撃的な頼み方、復讐的な頼み方、の4つの例が書かれています。

「ひとこと頼んで聞き入れてもらえるなら、誰でも主張的頼み方ができます。けれども、断られてしまうと、非主張的になったり攻撃的になったりしてしまうのです。」とあります。確かにそうだよねぇ。・・・と我が身を振り返りました。

「ことわられても、あくまで主張的に頼むように心がけましょう。」とテキストは勧めてくれますが、なかなかこれが難しそう…。でも、「練習しているとしだいに上手になります。」と勇気づけが上手なテキストでもあります。(^_^;)

ひとつの方法として、頼む前に「ひょっとしたら断られるかも」と心の準備をしておくと、攻撃的になったり復讐的になることを避けられるかもしれませんね。

メンバーさんから出されたのですが、例えば、親の用事で子ども(就学前)を一緒に連れて行く時「静かにしていてね」と頼んで出かけたとします。最初の内は、ちゃんとお願いを聞いてくれているのですが、そのうち飽きてきて、立ち歩いたりおしゃべりを始めたりすることがあります。そんな時はどうしたらいいか・・・というお話です。

そんな時、つい「立ち歩かないで座ってね」とか「約束したよね、静かにしてね」とか、注意をしてしまいがちです。でも、それは不適切な行動に注目(しかも負の注目)をしていることになってしまいます。
「パセージ」では、「不適切な行動には、一切注目しないでおきましょう。」(4-Lの2)と習うのですが、じゃあ、何も言わずに放っておくの?と思いますよね。

いえいえ、そんなことはありません。立ち歩いた時に声をかけるのではなくて、座っている時(=適切な行動)に声をかけるのがお勧めです。別のメンバーさんが、適切な行動に声をかけると静かにしている時間が増えたよ、と経験談を話してくださいました。

テキストにも
「少しでも適切な行動には、決して『あたり前』とは思わずに、正の注目を与えましょう。」(4-Lの3)とありました。“不適切には注目しない”は印象深く心に残るのですが、つい忘れてしまうのが“適切に注目する”の方です。子どもたちはたくさん適切な行動をしているので、それを見逃さないようにしたいなと改めて思いました。

例会では、ちょっとしたワークをしました。「1年の計は元旦にあり」ではないですが、今年1年のテーマをそれぞれ決めていくことにしました。まず、
「パセージ」カードから「お告げ」をもらいました。私が引いたカードは、「も:目標の一致」→「目標が一致しておれば共同の課題は比較的簡単に作れますし、一致していないと、共同の課題は作れません。」(24-L)でした。

メンバー全員がカードをひいてから、次にその文字で始まる言葉を見つけて、それもテーマに加えることにしました。国語辞典やスマホで調べながら、私が見つけたのは、「求める」と「もたらす」でした。今年この言葉を意識しながら暮らしていこうと決心できました。メンバーさん達も「あこがれる」とか「逃げない」とか「選ぶ」とか「変革」などの言葉を見つけることができました。楽しい時間でしたよ!

今年は楽笑会が発足してから、30年目の年になります。よくもまあ、こんなに長くやってこられたなぁと感慨深いものがあります。それもこれも、皆さんが楽笑会に参加してくださり、楽笑会を気にかけて下さり、楽笑会を盛り上げてくださったお蔭です。本当にありがとうございました。そして、これからもどうぞよろしくお願いします。



感想


 今回、かぜさんに『なんとなくそういう対応になったじゃなくて、自分でそうした、自分でコントロールしている、という意識を持つことが大事』と言われたことがとても響きました。イライラしている時のこどもへの対応を少し変えられそうです。
 また先輩がたのいつもさりげない勇気づけが嬉しいです。私も先輩がたのように勇気づけができるよう今年は意識をしていきたいと思います。
 これからもよろしくお願いします。(大阪:I)