昨年開発されたEOLECT(エオレクト:愛称「えくと」)という子育てプログラムのコースを、私はこれまでに3コース開催することができました。その時々のメンバーさんがそれぞれにお話してくださったエピソードや、その後の楽笑会などでお話してくださった事例をお聞きする中で、少しずつ私の理解も深まってきた気がしています。
とはいえ、EOLECTは実践してみて初めて分かることが多いので、私も折に触れて「実践」しています。EOLECTを実践するとは、“「なかま」と「できる」をみつけて知らせる”をすることです。「なかま」は「自分とほかの人との間の肯定的なつながり」のことで、「できる」は「自分の能力や得意なことなどの強み(有用な側面)を知ること」です。
というわけで、私の実践を記してみたいと思います。
私は昨年末からお正月にかけて5日間、夫と一緒に母(義母)の家に行きました。母は耳が遠いですが、大きな声で話すと会話できます。そういう会話はごく普通にできますが、時間の感覚がほとんどない状態です。ですから、時間を追って段取りを考えて行動することが難しくなっています。でも、つまりは目の前で、「次はこれをするよ」と伝えると出来るということです。EOLECTでいうところの「できる」ですね。
さて、お正月のある日、お昼ご飯を食べに行こうということになりました。出かける用意をして、夫がアパートの前まで車をまわしてくれるのを待っていました。車が来たので玄関を出ようとすると、母が薄いひざ掛けを2枚持っています。私は、店に忘れてきたり落としたりすると嫌だなと思って、「これ(ひざ掛け2枚)は置いて行って」と言いました。
ところが、母は「寒いから」と言って、ひざ掛けを離しません。「車の中はあったかいよ」と言ってみたのですが、「足元が寒いねん」と言います。こういう時は、無理強いするとこじれると分かっていたので、ちょっとプンプンしながら(笑)「分かった」と言いました。そこで、引くことができて良かったとは思ったのですが、イラっとする私が居ました。
母は、車の中が寒いと言ったのではなくて、今ここの場所で足元が寒かったんですね。だから、ひざ掛けを離したくなかったのです。後からよくよく考えてみると、それは母の「できる」でした。(でも、その時は気づきにくい・・・トホホ)
そして、私はイラっとしました。ネガティブな感情(マイナスの感情)です。
ネガティブな感情がある時こそ、それを大切にしたいとEOLECTは言います。ネガティブな感情は「何か対処すべきだと警告するアラームのような働きがある」からです。そして、そんな時にやるべきことは、“「なかま」と「できる」をみつけて知らせる”ことです。
私は考えてみました、母の行動の中にある「なかま」と「できる」・・・、しかし、「できる」は何とか見つかりましたが、「なかま」が見つかりません。仕方ないので時間を置くことにしました。頭の隅にぶら下げておこう、そのうち気づくかもしれない、と。
そうして、夜になってから気づいたことがありました。
母の「なかま」は相変わらず見つかりませんでしたが、私のその時の対応はあれで「精いっぱい」だったんだよなぁ・・・、そう思ったら、肩の力がストンと抜けました。力が抜けたら、自分の行動の中にある「なかま」と「できる」がみつかりました。私は、母に無理強いはしなかった(「なかま)」と「できる」)、ネガティブな感情もあったけどちゃんと引くことができた(「できる」)、母の持ち物をなくさないように配慮していた(「なかま」と「できる」)、ネガティブな感情を引きずらずにその後は穏やかに対応できた(「なかま」と「できる」)、などなど。
そうしたら、次に、母は母でいろいろ考えていて(「できる」)、わがままを言おうと思ったんじゃなくて(「なかま」)、自分なりの判断があったんだ(「できる」)、それは、私や夫と一緒に過ごしたこの5日間があって、そこで私たちのことを「なかま」と思ったから、自分を主張できたんだろう(「なかま」と「できる」)と思えてきました。
そして、次に同じようなことがあったら、私のイライラが少しは減るかもしれないと、ようやくに思えてきました。それは、とても嬉しいことでした。
この体験を通じて、私はこういうことがEOLECTの実践なんだろうと思いました。こういうことを繰り返していくことで、相手の共同体感覚の「芽」も育ち、私の「芽」も育っていくのだろう。これは、母への勇気づけにもなっただろうけれど、すごく自分を勇気づけることにもなったと思いました。
EOLECTの良い所は、ネガティブな感情を持つことにネガティブにならないことです。人間ですから、時にネガティブな感情も出てきます。その時に少しでいいから「なかま」と「できる」について(相手の行動の中だけではなく、自分の行動の中にも)考えることができたらいいなと思ったことでした。
追伸:上記の私の実践は未完成です。母の「なかま」と「できる」をみつけるところまではいけましたが、まだ「知らせる」ができていません。相手に知らせる工夫をする必要があります。これもまたしばらくぶら下げていようと思います。まだまだ、途上ですね・・・(^_-)-☆