楽笑会 つれづれのページ

このページでは、日頃感じたことや気づいたことなどを
特にテーマを決めずに
書いていこうと思います


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 楽 笑 会
 


つれづれ 2023年~24年

EOLECTを実践してみる・・・父の形見早期回想ってすごい!初挑戦♪淡墨桜ご褒美オレンジゴスペル







2024年11月
オレンジゴスペル

11月はオレンジリボン月間です。オレンジリボンは児童虐待防止運動のシンボルです。全国で児童虐待を防止しようとさまざまな団体がキャンペーンをしています。

私は10年余り前からゴスペルをしています。今は月に1回程度練習に参加しています。その関係で、2011年に始まったオレンジゴスペル運動にも参加するようになりました。ニューヨーク在住の打木希瑤子(うちききょうこ)さんが始めた運動です。「合唱が一人で出来ないように、子育てもみんなで一緒に」をスローガンに、ゴスペル音楽を通じてオレンジリボン運動を1人でも多くの方に知ってもらおうと始まりました。1年に1度、打木さんがゴスペルアーティストと一緒に日本に来られて、全国でコンサートをしながら活動されています。私の参加しているゴスペルクワイヤもそこに参加しています。

さて、今年も「しまもと里山認定こども園」(大阪府三島郡島本町)の園長先生のご協力の元、そこでゴスペルのワークショップが開催されました。オレンジゴスペルのテーマ曲になっている「Don't Give Up」を作ったDanny Eason(ダニー・イーソン)さんが12年ぶりに来日されて、この歌を指導してくださり、参加者全員で大合唱をしました。

いつも、オレンジゴスペルではプロの方の歌を聞いたり、ダンスを見たり、ゴスペルクワイヤの歌を歌ったり聞いたりします。それだけではなくて、打木さんがゲストを迎えてオレンジリボンについてトークをされます(こちらがメインですね)。今年ももちろんお話されました。

その中で印象深かった話があります。ニューヨークと日本と、両方で子育てをした打木さんがおっしゃったのは、日本の社会は(ニューヨークと比べて)子ども連れの親に対して冷たい気がする、ということでした。確かに、電車やバスに子連れの方が乗ってくると、うるさくしないかな?などと心配になることがあります。それが、表情や態度に出ることがあるんですね。そうすると、子どもを連れて外出しにくくなってしまいます。

日本では、実の親による虐待が多いのだそうです。子育てが「孤育て」になっている、(パートナーがいたとしても)たったひとりで子どもを育てていて誰にも頼れない、相談する人も居ない、そんな時に気分転換に外に出ると嫌な顔をされる、そしてどんどん追い詰められていく・・・それが虐待につながってしまうのではないか。そんなふうに打木さんは話されました。

「そこでお願いです!」と打木さん。「もし、外出先で子ども連れの親御さんを見たら、にっこり笑いかけてあげてください」と。それだけで、親御さんたちはどんなにホッとするだろう、とおっしゃいます。「子どもに笑いかけるのもいいけれど、お母さん(お父さん)にも笑いかけてあげてね」ともおっしゃいました。それが、私たち一人ひとりにできる「オレンジリボン運動」のひとつなんですね。

私も、このお話を聞いて、心がけようと思いました。児童虐待防止について、これくらいのことなら私にも「できる」と思えたのでした。

また、来年の11月に打木さんは来られるでしょう。次は、皆さんも一緒に参加して歌ってみませんか。












2024年5月
ご褒美

「共の会」で、ある時「自分へのご褒美」が話題になりました。(「共の会」はEOLECT(エオレクト)のフォローの会です)あるメンバーさんは、頑張ったご褒美に旅行に出かけたそうです。行った先で友だちに会ったとか。素敵な旅になっただろうなーと想像します。

1ヶ月ほど前ある百貨店で「フランス展」が催されていました。ワインにチーズ、パンにジャムなどの他、美しい柄のスカーフやアクセサリーなど、所狭しと並んでいました。その中でとてもきれいなピアスを見つけました。

VlumというフランスのメーカーのピアスでDorine(ドリーヌ)さんという女性がデザインしたものでした。一目で気に入ったのですが、買うのに少し躊躇・・・。その時「自分へのご褒美」を思い出しました。ちょうどEOLECT(エオレクト)のコースがひとつ終わったばっかりでした。EOLECTを頑張ったご褒美♪ーー良いアイデアです。

Dorineさん直筆のメッセージカードももらい、大満足で帰宅したのでした。(^o^)/

そういえば、私はEOLECTなどのコースが終わると、何かしら記念の物(バッグやアクセサリーなど)を買うことがありました。普段はあまり買わないような物だったり、ちょっぴり高価な物だったり!それはとても嬉しいし、また頑張ろうと思うエネルギーにもなります。

アドラー心理学では、子育ての時に褒美を使うことはお勧めしていませんが、自分へのご褒美なら大丈夫ですね。私たち大人も子ども達も、自分で自分に褒美をあげられるなら、とても素敵なことだと思います。











2024年4月
淡墨桜

岐阜県の根尾谷に淡墨桜という桜の樹があります。日本三大桜のひとつです。(あとの2つは、福島県の「三春滝桜」と山梨県の「山高神代桜」です)

今年は見にいこうね、と去年から予定を立てていました。淡墨桜のある公園の近くに宿を取り、まずは到着した日に歩いて行きました。宿から15分くらいのところです。3月31日、桜はちょうど見頃でした、ラッキー!

もらったパンフレットには「樹齢1500年余り。樹高16.3m。幹囲9.91mにも及ぶ大木です。花の色が散りぎわに特異の淡い墨を引いたような色になることからこの名前が付いたと言われています。継体天皇お手植えの伝説も残り、作家宇野千代女史の小説でも有名です。」と書かれています。

翌朝9時前にもう一度公園に行きました。前日と違って晴れた空に、薄いピンクが映えてとても綺麗でした。何度も修復(治療ね)を重ねているのだそうです。そのお蔭もあって、今でも立派に花をつけています。2代目の淡墨桜も並んで花をつけていました(写真の左奥の樹)。こちらも随分立派です。樹齢は100年ほどだそうで、若い(!)樹だけあって勢いがあるように見えました。

写真では分かりにくいですが、2代目の方が少し早く咲き始めたようで、花の色は初代の方がわずかに色が濃かったです。

公園の入り口付近にはお土産屋さんが何軒か並んでいました。淡墨桜の苗木を買って帰ろう、と夫と相談していたのですが、お店のおじさんに聞いたら、花をつけるのは7~8年先になる、と言うのです。いやぁ、そんなには待てないなぁ。せめて2~3年先に花が咲いてくれたらなぁ、・・・。未練がましく思いましたが、かなりの大きさに育つということも聞いたので、苗木は諦めて帰りました。(うちの小さな庭じゃあ、かわいそうですしね)











2023年8月
初挑戦♪

この5月にサマーセーターを編み始めました。

以前から夫が麻素材のサマーセーター(長袖)が欲しいと言っていました。数年前まではたまにお店で見つけられたのですが、最近はどこのお店にも置いていません。そもそも夏に長袖のセーターなど(特に男物は)需要がなさそうです。麻のカーディガンは時々見るのですけれど・・・。

セーターなら編めるんじゃないか、と言い出したのは夫だったか、私だったか?・・・というわけで、初めてサマーセーターに挑戦することになりました。(編み物は大好きで、冬にはセーターを編んだことがありました)

まずは、麻の編み糸です。手芸屋さんに行っても麻の糸を置いているところがなかなかありません。置いていても、せいぜいコットンと混ざっているもので、麻100%の糸はほぼありません。で、インターネットで探してみました。すると、ありました!値段もそんなに高くありません。早速、色を選んで購入しました。

送られてきたのは、麻(リネン)100%、ひとつのコーンに100g(約757m)巻かれた太さが1㎜程度の糸でした。使用する棒針は0号~1号とあります。うわぁ~、これは大変!こんなに細い糸で編んだことないなぁ~。でも、夏に着るセーターなんだからね、細くないとね・・・。ゆるく編めるように、私は3号の針を使うことにしました。

さて、編み始める前に準備が要ります。まずは、セーターの大きさが分からないといけません。夫が普段着ているセーターを測り、大きさを決めました。次にゲージを取ります。とりあえず50目ほど作って編んでみると、35目×33段で10cm編めることが分かりました。次に、男物のサマーセーターのレシピを載せた本などなかったので、採寸した大きさから目の数と段の数を決める必要があります。これが結構やっかいでした。なるべく簡単になるように、見ごろは直線で編むことにしましたが、襟ぐりと袖は目を減らしていく必要があります。何段で何目減らしていくか、編み物(冬用)の本を参考にしながら考えていきました。最後にデザインです。基本メリヤス編みにしようと思いましたが、単色なので面白味に欠けます。それで、10段に一度ずつ模様を入れることにしました。模様と言っても、10段目の裏編みの時に、時々表編みを入れるくらいのことです。

そうやって、ようやく編み始めました。2ヶ月後にはだいたいできあがりましたが、最後に裾のゴム編みがうまく行かず、やり直したりして、結局完成したのは7月の終わりごろでした。

暑い中、細い糸を編みながら、やっぱり編み物っていいな、と思っていました。同じ麻の糸が、まだまだ余っていますので、次は自分用にベストくらい編んでみようかなと思っているところです。













2023年7月
早期回想ってすごい!

6月18日に大阪で開催された「アドラー心理学カウンセリング講習会」での体験です。講師は中島弘徳さんでした。

午前中はレイチェル・シフロンさんの手法による早期回想解釈の説明とグループワークがありました。レイチェルさんの解釈の特徴は、早期回想の強みと創造的な能力を特定することにあります。早期回想に現れているのは全てその人の強みであり創造的な能力だと考えます。

それは、レイチェルさんが「セラピストの最も重要な仕事、あるいは聖なる義務は、患者が治療中に勇気がくじかれることがないようにすることである。また、すでに勇気がくじかれて治療を始めた患者が、治療とセラピストの助けによって自信を取り戻すことである。」と考えているからです。(講習会資料「シフロンのライフスタイル理解(1)より)

今回私は初めて自分の早期回想をグループで解釈してもらいました。

この日、講義を聞いている時にたまたま頭に浮かんだ早期回想は、次のようでした。

「小学校4年生くらいの時、家族4人(父と母と年長の弟)で旅行しました。電車を降りた時弟が鼻血を出しました。私が自分のハンカチを出したら、母がそれで鼻血を拭いて「もう、これいいね」と言って、ハンカチをゴミ箱に捨てました。そのハンカチは新しいハンカチで、旅行のために初めて持って行ったものでした。私は、あぁ~捨ててしまうんやーと驚いて悲しかったけど、何も言いませんでした。」

書いたものを見ながら、みんなでこの中にある「強み」を話し合いました。例えば、大切なハンカチを弟のために出せたとか、悲しかったのに何も言わなかったとか・・・。また、「家族で旅行したというのも強みだね、電車を降りた時に鼻血を出したのも強みだね、・・・そんなふうに考えてみよう」と中島さんがアドバイスしてくれました。そう考えるとすべての文章がそのまま強みになっているんだと思えます。

グループの皆さんと強みについて話し合っている時、一人のメンバーさんが、「弟さんが良く鼻血を出したこととか病弱だったことが、(あなたの)活躍できる場を作ってくれたんじゃない?」とおっしゃいました。それを聞いたとたん、私の中で弟のイメージがくるっと変わりました。鼻血を出してどよ~んと暗い感じだった弟が、キラキラとしてお姉ちゃんに活躍の場を与えてくれる明るい感じになったんです。不思議でした。

すると、今の暮らしのことが頭に浮かんできました。私の夫はとても世話好きでマメな人です。いつも私のことを気にかけて、あれこれと世話を焼いてくれます。それは、私にとって嬉しいことだし感謝もしてるのですが、時々イライラすることがあります。今までは、その理由が分からなかったのですが、そうか、活躍の場がない感じが嫌だったのかもしれないと気づきました。なるほど~、と納得!

それで、グループでその話をすると、「夫さんが苦手なこととか、できなくて困っていることとかはないの?」と聞かれました。きっと、夫のために役に立つ場を探すのがいいな、と思ってくださったのだと思います。・・・そんな場面を少し考えてみましたが、どれも、あんまりピンときません。そうよね~、と考えてたら、ある人が「“鼻血を出す弟”って要る?」と聞いてくれたのです。

そうか、そうなんだ!子どもの頃は、私が活躍するためには“鼻血を出す弟”が必要で、“新しいハンカチを出す”というくらいのことをしないと居場所がないと思い込んでたということに気がつきました。衝撃でした。

よくよく考えてみると、今の暮らしの中では、もう“鼻血を出す弟”がいなくても、“新しいハンカチを出す”というようなことをしなくても、充分に活躍できているはずです。そのことに気づいて可笑しくもあり嬉しくもありました。子どもの頃の自分が一生懸命に頑張っていたんだと思えて愛おしくなりました。

そのあと、この早期回想と同じストーリーの思い出が次々と出てきて(苦笑)、自分がどのように居場所を作ろうとしてきたのか、それが叶わなかったときにどれほど落ち込んだか、・・・全てがこの早期回想と繋がっています。でも、今はもうそんなに一生懸命に活躍の場を探さなくても大丈夫なんだと、すごくすごく納得し安心できました。

今までも何度か、アドラー心理学の講座やワークショップなどで早期回想を解釈してもらってきました。その時その時で、「あなたには◇◇という私的感覚がありますね」とか、「へぇ~、私ってこんなことを気にして、○○をしてたのかぁ」とか、それぞれに気づきもあったし、良かったこともありました。ですが、自分の行動が大きく変わったかと言うと、そうでもなく、ただ、自分のことが分かった、という感じでした。

ところが、今回は、自分の癖(思い込み)に気づいて本当にびっくりしました。一方でとても納得してもいました。そして、自分の過去も現在も全部ひっくるめて、すごく愛おしくなりました。その上、これからの行動がきっと変わるに違いない、とも思えました。初めてのことでした。それは、きっと、早期回想に現れた出来事すべての中にある「強み」について、グループの皆さんがたくさん話してくださったからだろうと思います。

改めて、この温かくて勇気づけに満ちた解釈法を見つけて教えてくださったレイチェル・シフロンさんに感謝します。ありがとうございました。











2023年4月
父の形見

今私の手元に『牧野日本植物図鑑』(北隆館 発行)があります。これは、牧野富太郎氏が書いた(描いた)学生版の植物図鑑です。初版は昭和24年4月発行で、手元のものは28年10月発行の第十版です。図鑑の「ず」の字も、学生の「がく」の字も旧字体です。ちなみに当時の定価は450円、大きさ18cm×10cm(新書とほぼ同じ)で厚さは2cm、ボール紙のケース入りです。

もちろん私が買ったものではなくて13年前に亡くなった父の形見です。入院中に「これは洋子に」とくれたのでした。2300種以上の日本の植物が収録されていて、全てに詳細なイラストがついています。白黒ですけれど(*^^)v

図鑑の「序」に牧野氏が書いています。「昭和十六年度に朝日文化賞を受理した牧野日本植物図鑑は野外で植物採集のポケット用としては余りにも大冊であった。/そこでこの目的にそうべく今回新にコンサイス型のものを用意したのが本書である。植物図鑑の生命は全く図版にある。いかに詳細な説明文を読んで見るよりも描写された図と実物とをあてはめるのが第一である。本書の図版は牧野日本植物図鑑のままを縮小し説明は新制高校生をスタンダードとして簡潔明解につとめた。学生は勿論一般植物研究者、愛好者、歌人、俳人、詩人、画人等の良きガイドブックであることと信ずる。/著者は今年八十八歳を迎えこの小冊子を新時代を担う人々におくることは深き喜びである。(後略)昭和二十四年三月十日 牧野富太郎」(旧字体は新字体に変更しています)

「説明は新制高校生をスタンダードとして簡潔明解につとめた」とありますが、説明はなかなか難しくて、当時の高校生のレベルは高かったのだと知れます。例えば、バイカオウレンの説明は「山地の半陰地。常緑多年生草。根茎は肥厚。根生葉叢生、長柄。春日花茎直立頂に白色花単生。五萼片花弁状。花弁は蜜槽に変形。多雄蕊。数雌蕊」・・・漢字が難しくて読めない(しかも旧字体です)だけでなく、意味もよく分からなくて何のことやろう?と思ってしまいます(苦笑)。

父は小学校の教師をしていたのですが、専門は理科でした。特に植物にはとても関心があったようで、当時450円も(!)した牧野図鑑を自分のために買ったのだと思います。父が亡くなって以来初めて図鑑を手にしました。そこには、父が書いた植物の分類図が挟んでありました。そして、その図に従って花を分類した説明書のようなものもありました。

そういえば、父の遺品を整理していた時、花や蕾、葉や茎、根などの絵を描き、何ページか描きかけてそのままにしてあるノートが何冊も出てきました。自分なりの図鑑のようなものを作りたかったのかもしれません。それらの絵や説明を見ていると、父もまた植物が大好きだったのだなぁと改めて思います。

今、NHKでやっている朝のドラマ「らんまん」は、この牧野富太郎氏の人生を描いたものです。毎週のタイトルになっている花を、父の形見の図鑑で調べながら見ています。主人公が花に話しかける様子を見ながら、私も一緒になって花のことをもっと知りたいと思ったりしています。とても楽しみに見ているところです。











2023年1月
EOLECTを実践してみる・・・

昨年開発されたEOLECT(エオレクト:愛称「えくと」)という子育てプログラムのコースを、私はこれまでに3コース開催することができました。その時々のメンバーさんがそれぞれにお話してくださったエピソードや、その後の楽笑会などでお話してくださった事例をお聞きする中で、少しずつ私の理解も深まってきた気がしています。

とはいえ、EOLECTは実践してみて初めて分かることが多いので、私も折に触れて「実践」しています。EOLECTを実践するとは、“「なかま」と「できる」をみつけて知らせる”をすることです。「なかま」は「自分とほかの人との間の肯定的なつながり」のことで、「できる」は「自分の能力や得意なことなどの強み(有用な側面)を知ること」です。

というわけで、私の実践を記してみたいと思います。

私は昨年末からお正月にかけて5日間、夫と一緒に母(義母)の家に行きました。母は耳が遠いですが、大きな声で話すと会話できます。そういう会話はごく普通にできますが、時間の感覚がほとんどない状態です。ですから、時間を追って段取りを考えて行動することが難しくなっています。でも、つまりは目の前で、「次はこれをするよ」と伝えると出来るということです。EOLECTでいうところの「できる」ですね。

さて、お正月のある日、お昼ご飯を食べに行こうということになりました。出かける用意をして、夫がアパートの前まで車をまわしてくれるのを待っていました。車が来たので玄関を出ようとすると、母が薄いひざ掛けを2枚持っています。私は、店に忘れてきたり落としたりすると嫌だなと思って、「これ(ひざ掛け2枚)は置いて行って」と言いました。

ところが、母は「寒いから」と言って、ひざ掛けを離しません。「車の中はあったかいよ」と言ってみたのですが、「足元が寒いねん」と言います。こういう時は、無理強いするとこじれると分かっていたので、ちょっとプンプンしながら(笑)「分かった」と言いました。そこで、引くことができて良かったとは思ったのですが、イラっとする私が居ました。

母は、車の中が寒いと言ったのではなくて、今ここの場所で足元が寒かったんですね。だから、ひざ掛けを離したくなかったのです。後からよくよく考えてみると、それは母の「できる」でした。(でも、その時は気づきにくい・・・トホホ)

そして、私はイラっとしました。ネガティブな感情(マイナスの感情)です。

ネガティブな感情がある時こそ、それを大切にしたいとEOLECTは言います。ネガティブな感情は「何か対処すべきだと警告するアラームのような働きがある」からです。そして、そんな時にやるべきことは、“「なかま」と「できる」をみつけて知らせる”ことです。

私は考えてみました、母の行動の中にある「なかま」と「できる」・・・、しかし、「できる」は何とか見つかりましたが、「なかま」が見つかりません。仕方ないので時間を置くことにしました。頭の隅にぶら下げておこう、そのうち気づくかもしれない、と。

そうして、夜になってから気づいたことがありました。

母の「なかま」は相変わらず見つかりませんでしたが、私のその時の対応はあれで「精いっぱい」だったんだよなぁ・・・、そう思ったら、肩の力がストンと抜けました。力が抜けたら、自分の行動の中にある「なかま」と「できる」がみつかりました。私は、母に無理強いはしなかった(「なかま)」と「できる」)、ネガティブな感情もあったけどちゃんと引くことができた(「できる」)、母の持ち物をなくさないように配慮していた(「なかま」と「できる」)、ネガティブな感情を引きずらずにその後は穏やかに対応できた(「なかま」と「できる」)、などなど。

そうしたら、次に、母は母でいろいろ考えていて(「できる」)、わがままを言おうと思ったんじゃなくて(「なかま」)、自分なりの判断があったんだ(「できる」)、それは、私や夫と一緒に過ごしたこの5日間があって、そこで私たちのことを「なかま」と思ったから、自分を主張できたんだろう(「なかま」と「できる」)と思えてきました。

そして、次に同じようなことがあったら、私のイライラが少しは減るかもしれないと、ようやくに思えてきました。それは、とても嬉しいことでした。

この体験を通じて、私はこういうことがEOLECTの実践なんだろうと思いました。こういうことを繰り返していくことで、相手の共同体感覚の「芽」も育ち、私の「芽」も育っていくのだろう。これは、母への勇気づけにもなっただろうけれど、すごく自分を勇気づけることにもなったと思いました。

EOLECTの良い所は、ネガティブな感情を持つことにネガティブにならないことです。人間ですから、時にネガティブな感情も出てきます。その時に少しでいいから「なかま」と「できる」について(相手の行動の中だけではなく、自分の行動の中にも)考えることができたらいいなと思ったことでした。


追伸:上記の私の実践は未完成です。母の「なかま」と「できる」をみつけるところまではいけましたが、まだ「知らせる」ができていません。相手に知らせる工夫をする必要があります。これもまたしばらくぶら下げていようと思います。まだまだ、途上ですね・・・(^_-)-☆