楽笑会 つれづれのページ
このページでは、日頃感じたことや気づいたことなどを
特にテーマを決めずに
書いていこうと思います
。
ようこそ
楽 笑 会
つれづれ 2018年~19年
29歳になりました!
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ゴスペルの醍醐味
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知床半島
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停電
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パソコン壊れた(!)大騒動
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海津大崎の桜
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自治会
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尾瀬
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「順繰り」に勇気づけ!
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ゴスペルの醍醐味2
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(この記事の中に出てくる「パセージ」、「パセージ・プラス」は一般財団法人野田俊作顕彰財団 Adler Institute Japanの商標です。
青字は「パセージ」(野田俊作著)または「パセージ・プラス」(野田俊作著)からの引用です)
19年11月
ゴスペルの醍醐味2
今年も恒例の「オレンジゴスペル」に参加しました。11月はオレンジリボンの月です。オレンジリボンというのは、児童虐待防止運動のことです。「合唱のように子育てもみんなで!」をメインテーマにゴスペルコンサートを通じて、児童虐待防止を啓発する運動です。(詳しくは
オレンジゴスペル公式サイト
へ)
さて、今年もクワイヤとして3曲歌いました。練習も本番も楽しかったのですが、今年は改めて、ゴスペルの醍醐味を感じることがありました。
ゴードンさんというシンガーと一緒に、彼の曲を会場のみんなで歌おう!という時間がありました。彼がキーボードを弾きながら、ソプラノ、アルト、テナーのそれぞれの音を教えてくれます。簡単なフレーズの繰り返しなので、耳から聞いて口を動かしているうちにだんだんと歌えるようになります。
会場のみんなが歌えてきたなぁとなってきた時、会場から一人の男性がキーボードのところへ走って行って、ゴードンさんの代わりに伴奏をし始めました。この人はゴードンさんの友だちで、この日ゴスペルコンサートを見に来ていたらしいです。すると、ドラムの人も出てきて叩き始めます。すご~い!と思っていると、エレクトーンのところにも女性が出てきて伴奏に加わりました。(ドラムの人もエレクトーンの人も、この日の出演者の方でした)ゴードンさんは、舞台の真ん中に出てきて、みんなの歌に合わせて、別のフレーズを歌い始めます。会場は、ずっと歌い続けています。
全ては、この日、この時にアドリブで起こった出来事でした。ゴードンさんの曲を知っていたのは彼一人でした。それを教えてもらって会場が歌う、それを聞きながらアドリブで伴奏をし始める、みんながひとつになっていく楽しさ、嬉しさが心から湧き上がってきます。一人ひとりの力は小さいけれど、たくさん集まるとこれだけのことができる、一人ひとりが自分に出来ることをするとこれだけのことができるということを、体で感じることができたのです。
これが、本当のゴスペルなんだ、と思いました。ゴスペルの醍醐味ですね。
私も、子育て中のお母さんたちとたくさん出会ってきましたが、こんなふうに、子育てもみんなでできるといいなと思いました。お母さんたちに、ひとりじゃないよ、と伝えたいなと思いました。
19年9月
「順繰り」に勇気づけ!
「楽笑会」という自助グループを立ち上げたのは1989年7月のこと。それから、30年経ちました。今、私は楽笑会の他に「えがおの風」「楽喜ママの会」「トコトコ」「風の子ぐみ」の5つのグループに参加しています。その他に、
「パセージ・プラス」
の自助グループとして「草津フォローの会」「楽喜ママプラスの会」「ユニコーン」の3つのグループにも行っています。
こんなふうに自助グループが増えてきたことは、本当に嬉しいことだと思います。また、それぞれのグループのメンバーさん達が、あちらこちらのグループにも参加して、グループ同士の交流ができてきたことも嬉しいし、地方会や学会に参加してくれたり、他のリーダーさんの
「パセージ」
、
「パセージ・プラス」
を受けて下さったり、グループ内だけにとどまらず活動してくださっていることも、とても嬉しいことです。
アドラー心理学について全く知らなかったお母さんたちが、自助グループに参加することで、少しずつラクに楽しく子育てができるようになり、そのうち
「パセージ」
を受けたい、
「パセージ・プラス」
も受けたいと言ってくださいます。
ずっと自助グループをやってきて、すごいなと思うのは、勇気づけられたメンバーさんが、そのうち勇気づける側になっていく、ということです。それは、「順繰り」に起こります、そして、必ず起こります。
例えば、楽笑会に初めて参加して、困ったことを相談して、毎回先輩メンバーさん達に勇気づけをもらって帰って、でも、また次に参加した時には、同じようなことを相談して、また勇気づけてもらって、・・・時に「私ってダメやわぁ、全然でけへん」と愚痴ると、それでもやっぱり「大丈夫だよ」と背中を押してもらえます。
思えば、私自身もそうやって勇気づけてもらっていました。そして、時が過ぎて、ふと気づくと、先輩から言われた勇気づけの言葉を、新しいメンバーさんに伝えている自分がいることに気づきます。
勇気づけって、そうやって「順繰り」になされていくものなのですね。自分が勇気づけられて初めて、人を勇気づけることができるのだと、つくづく思います。
勇気づけられたことを、そうやって「お返し」していくんですね。その「お返し」は、自分を勇気づけてくれた人にではなく、その人とは別の誰かに勇気づけをすることで「お返し」になるような気がします。そうやって、「勇気づけ」が順繰りに、少しずつ広がっていくといいなと、丸30年経って改めて思っています。(少しは広がっていってるよね)
19年8月
尾瀬
今年の夏は、群馬県にある尾瀬沼に行ってきました。尾瀬というと「♪夏が来~れば思い出す~、はるかな尾瀬遠い空~♪」の歌で有名ですね。水芭蕉が見られれば良かったのですが、既に季節は終わっていて、今はニッコウキスゲが満開だとのことでした。
尾瀬に行くのは実は2回目です。中学校の修学旅行で歩いた記憶があります。6月の始めのことで、雪がまだ残っていたので雪合戦をしたこと、水芭蕉が咲いていたこと、お昼に食べたおにぎりが冷たかったことくらいしか覚えていません(笑)。
尾瀬には車は入れませんから、戸倉温泉に車を置いて、シャトルバスで鳩待峠(尾瀬の入り口)まで行き、あとはひたすら歩いていきます。初日に1時間、2日目に約7時間、3日目に3時間ほど歩きました。
2日目に14kmほどを歩くので(しかも少し上りもある)、前もって歩く練習もしました。4~5kmくらいから始めて、最終的には家から11kmの道のりを往復してみました。途中に上り坂も入っていましたし、ある程度の荷物も背負っての練習もしました。それで少し自信をつけて、何とか歩き切ることができました。
尾瀬の自然は今「守りびと」たちの手によって守られています。尾瀬の空気、尾瀬の水を守り、森や湿原を守り、雪から尾瀬を守っています。また、木道、吊り橋なども守られています。詳しくは
こちら
を見てください。
もちろん、私たち観光に行く者も協力しなければなりません。尾瀬にある山小屋ではシャンプーや石鹸を使うことはできませんし、トイレも有料だし、持ち込んだごみは自分で持って帰ります。
そうした方々の努力があって、私たちは美しい自然を堪能できます。今回は、ニッコウキスゲなどの植物も楽しめましたし、いろいろなトンボとも出会うことができました。またすれ違う人たちと「こんにちは!」とあいさつを交わしながら歩く楽しさも味わい、素敵な旅行となりました。
19年7月
自治会
私の住んでいるところにも自治会があります。9つの班に分かれていて「班長」という役割が輪番で回ってきます。昨年度、うちに「班長」が回ってきました。班長の仕事は、月に1回の班長会に出席すること、回覧板を廻すこと(月に2~3回)、自治会内にある公園を掃除すること(年に2~3回)、一人暮らしのお年寄りのためのサロン(昼食会)に参加すること(年に1~2回)、ごみ収集に関する世話をすること、親睦のための行事を企画すること、市の行事に参加したり手助けに行ったりすること、・・・などなどです。
今まで親がしていた班長を、今回は私たち夫婦でやることにしました。たいてい各家庭からお一人が出てこられるのですが、私は最初から夫と二人で参加しました。私たちにとっては、初めての班長でした。
自治会については全く知らなかったのですが、今回参加してみて、本当に良かったなぁと思ったことがいくつかありました。
ひとつは、自治会の中に新しい仲間ができたことです。毎月顔を合わせて(時には月に2度も3度も)、さまざまなことを話し合っていく中で、随分と親しくなりました。特に、自治会で企画したお楽しみ会では、それぞれの班長ができることを精いっぱいにやった!という実感があり、企画した私たち自身がとても楽しめました。年度末にみんなで打ち上げをしたのですが、そのあとも女性だけで集まってランチの会をしたり、「チクチク会」と称してパッチワークをする会をしたり、仲良くやっています。
もうひとつ良かったことは、市内にある障碍者就労施設について知ることができたことです。お楽しみ会のお弁当や景品などを、これらの施設から購入しました。それに際して、あちこちの施設に足を運び、お弁当やお菓子などを買って食べてみたり、作品を見せてもらったりしました。また、印刷を頼める施設があることや、庭の手入れ、家の掃除などもお願いすることができるということも分かりました。
さらに、自治会内のサロンの存在の大切さを認識できたことも良かったことのひとつです。うちの自治会は、全体に年齢が上がってきていて、一人暮らしの家も増えています(うちの自治会だけに限らないかもしれませんね)。そういう中で、積極的に動いてくださる民生委員さんのお蔭で、楽しいサロン(昼食会、お茶会)が週に1回開かれています。そこでは、特に何か(体操をするとか、ゲームをするとか、歌を歌うとか…)をすることもなく、みなさんがワイワイとおしゃべりしながらご飯を食べ、お茶を飲んで2時間余りを過ごします。そうする中で、お互いがお互いを見守り合う、という関係ができ、一人で暮らしていても安心できる地区になっているというわけです。これは、高齢者が増えていく社会にとって、良い試みの一つだなと思いました。
たった1年の班長の役割、あっという間に終わってしまいましたが、得難い経験もさせてもらいましたし、良い仲間もできた素敵な1年でした。
19年4月
海津大崎の桜
「海津大崎・彦根・余呉湖 ぐるっと琵琶湖1周!! 桜イイとこどり決定版」というバスツアー(日帰り)を見つけました。なになに?・・・昼は、近江牛のすき焼き御膳やで!お土産もついてるで!・・・よっしゃぁ、申込もう!!
というわけで、夫と二人分を申し込んだのが3月20日のこと。いろいろ考えた末4月5日のコースを選びました。もう1週あとでも良かったのですが、咲いたばかりの花と散りかけの花と、どちらが美しいかと考えた上での選択でした。ところが、ご存知のように今年の春は寒の戻り激しく、桜の開花は予想以上に遅れていました。日が近づくにつれ、桜は咲いているかなぁ、と気になっていました。4月5日と言えば、大阪では5分~6分咲きでしたが、海津大崎はまだ「つぼみふくらむ」・・・。
それでも、バスは出ます。朝早く起きて出かけましたが、やはり、桜はほとんど咲いていませんでした。残念。
ただ、余呉湖では菜の花が満開で、本当は菜の花と桜で美しい~!はずが、菜の花だけの美しさ。それでも、写真をたくさん撮りました。また、彦根城では桜も少し咲いていて、まずまず「良かった」ということにしておきましょう・・・というようなバスツアーとなりました。
さて、その1週間後、「リベンジ!」とばかりに、今度は車で海津大崎まで出かけました。今度はちょうど満開の桜♪ 見事でしたよ。→
この辺りは車を停める場所がないので、近くの駅に車を置いて、自転車を借りました。風が強かったのですが、良いお天気で気持ちよくサイクリングできました。
今年は、4月が寒かったので、いつもより長く桜を楽しむことができましたね。ありがたいことでした。
19年3月
パソコン壊れた(!)大騒動
2018年10月の末頃、パソコンが立ち上がらなくなってしまいました。その前から少しずつ調子が悪くなってきていて、夫に「データのバックアップをとっときや(とっておきなさい)」と言われていたのですが、「は~い」と返事をするばかりで放ってありました。
そしたらある日、本当に壊れてしまったのです。パソコンがないと困るので、すぐに新しいのを買ったのですが、困ったのは無くなったデータです。2年前までの分はバックアップしてありました。問題は最近の2年分です。夫があれこれデータの取出しを試みてくれたのですが、結局どうにもなりません。(トホホ)
一番困ったのがホームページでした。とりあえずアップされていたデータをダウンロードしてきました。新しいパソコンに今まで使っていたホームページ作成用のソフトをインストールしてみたところ、新規に作ることはできても(ダウンロードした)以前のデータを読みに行くことができません。
最初に「簡単バージョン」で作るか「標準バージョン」で作るかを選択した時に、「簡単バージョン」がいいか、と選んだのが間違いの元。さすが「簡単バージョン」、簡単に作成はできていたのですが応用が利かないのですよぉ。
ホームページを作っているメーカーに問合わせても、最新版以外のサポートはしておりません、と丁寧にお断りされてしまいました。… あ~、そうなのねぇ~、・・・う~ん、どうしたもんかなぁ…とぐずぐずと考えて…、考えて・・・。
それじゃあ、最新版のソフトを買ってみよう、最悪の場合今までのデータを使うことをあきらめてもいいか、と決心するまでに随分と掛かりました。それで、ようやくのこと、ソフトの最新版も買い、それについて説明してある本まで買って、さぁ!試してみよう、と始めました。
ところが、ところが、です。本の説明に従って作ろうとしても、今までに作っていたやり方が邪魔をして、ちっとも思うようにならず、パソコンに向かって「なんでやねん!」と突っ込むことばかり(隣で夫が怖がっていました!(笑))。つまり、この本に載っているやり方は、ホームページを作るのが全く初めての人には向いているかもしれないけれど、なまじっか少し知識があるばっかりに、イライラが募ることになってしまいました。
今までは、ボタン一つでページ同士のリンクが自動的にされていたので、リンクの仕組みが分からないまま、ページだけを作成していたのですが、あちこち触っている間に、なんとなくホームページの仕組みが分かってきました。ようやく、どんなページを、どのように作り、どうリンクすればいいかの目処が立ってきたのです。(どんよりとした風景の中に、やっと光が見えてきたぁ、と思った瞬間でした!)
結局、新しく買った本のやり方は使わないことにして、テキストファイルにしてあった以前のデータを使ってみようと思い直しました。そして、1ページずつ復元していくことにしたのです。表紙のページを作るのにも悪戦苦闘しましたが、それができてしまえば、テキストファイルを貼りつけて、文字の大きさや色を整え、写真を挿入して、ページ同士のリンクも作りました。というわけで、今、ここで読んでくださっているホームページの形になりました。
この作業をするのに、改めて自分の書いた文章を読み直しました。2001年~2018年まで18年分です。1年に1つずつファイルがあります。それが、2011年から1年に2つずつのファイルになり、2016年からは3つずつになりました。かなりたくさんありましたが、読み直すことは苦痛ではありませんでした。むしろ、楽しかったのです。
その当時どんなことを考えていたのか、楽笑会でどんなことをしていたのか、どんな学びをしていたのか、どんな遊びをしていたのか・・・。全く忘れていることもありましたが、懐かしく思い出すこともありました。若いころの日記を読むとか、写真を見るとか、そういう感じに似ていました。
さて、ホームページが片付いてきたので、ぼちぼちとその他のデータも作り直しています。例えば、
「パセージ」
や
「パセージ・プラス」
を受けてくださった方々の住所録(これは、皆さんに記入していただいたものが紙で残っていました!)を入力し直し、自助グループで書いていただいたメールアドレス(これも紙が残っていました)も入力し直しました。また、花の写真(写真は夫のパソコンにも保存してあったので残っていました)の編集もし直しました。それから、楽育ママカレンダーの最新版のデータもなくなってしまったので、それも作り直しました。印刷済みのカレンダーが手元にあったので、それを見ながら文章を打ち直しました。
とりあえずの作業はほぼ完了した感じです。ひょっとしたら、もう復元できないデータがあるかもしれません。でも、それはもう要らないデータなんだと思います。この復元作業は、過去2年分に新たに作ったデータで済みました。2年分で良かったなぁ、とつくづく思います。本当に、もっとこまめにバックアップを取っておかないといけませんね。
【教訓:夫の言うことは、ちゃんと聞くべし!(は~い。- 返事ばっかりじゃアカンよ)】
18年9月
停電
台風21号がやってきました。とりあえずの台風対策はしたつもりだったのですが、予想外の停電になりました。
夕方暗くなってきたころ、各部屋に置いてあった小さな懐中電灯を持ってきて手元を照らし、夕飯を作りました。そして、テーブルの上にろうそくを立てて食べました。(ちょっと非日常で、面白くもある!)
冷蔵庫の中身が心配の一方で、冷凍食品の解凍ができません。中身は腐ったら諦めよう。解凍は常温の水かぬるま湯で何とかしてみよう。ガスがあって良かったわ。
懐中電灯(LED)に白いビニール袋を被せて簡易ランタンを作り部屋に吊るしました。ぼわぁっとした光で、本は読めませんが、動くのに不自由ありませんでした。あとで、懐中電灯の光の上に水を入れたペットボトルを立てるとランタン代わりになると、テレビで知りました。こういう知識も役立ちますね。
給湯機が使えないのでお風呂に入れません。一日くらいお風呂に入らなくてもいいか、と諦めます。
パソコンはネットに繋がらないので、情報はラジオとスマホからしか入って来ません。関空の連絡橋にタンカーがぶつかったと、メールで知った時は本当にびっくりしました!
スマホは充電が切れると困るなぁ、と夫は心配します。
とりあえずはノートパソコンの充電池を使おう、それが切れたら車から充電しようと考えました。(私はガラケイなので、心配なし\(^o^)/)
その後友だちに聞いてみると、オール電化だったからお湯も沸かせなかった、マンションでは停電で水まで出なくなるんだよ~、エレベーターが使えなくて参った、立体駐車場だから車も出せなかった…、などなど聞きました。また、信号が止まった交差点の恐ろしさも実感しました。
お昼過ぎに停まった電気は翌朝早くには点きましたから、せいぜいが15時間程度の停電でした。今回は、大変というより「良い経験になった」で済みましたが、なんと私たちの生活は脆いんだろうと、つくづく感じた出来事でした。
18年7月
知床半島
知床半島の話をします。
今年の夏、知床五胡を歩くガイドツアーを申込みました。野生の動物(クマやキツネやシカなど)がたくさんいると聞いていたので、そんな動物たちに会えるかな、会えるといいな、と思いながら参加しました。
森に入る前に、ビデオを見せられます。ヒグマがどれだけ危険か、もし遭遇したらどうすればいいかという説明のあとに、「ヒグマの生息地にお邪魔する、という謙虚な気持ちで入るように」と言われました。軽く考えていた気持ちが引き締まりました。
Yさんという男性が私たち10名のグループをガイドしてくださいました。Yさんからは、最近1週間ぐらいの間のヒグマとの遭遇地点の解説があり、もしヒグマに遭遇して危険だと分かれば引き返すかもしれないこと、私たちが遭遇しなくても先に行っているグループからの遭遇の連絡でツアーが中止になることもある、などの説明もありました。
いよいよ森に入っていきます。その前に、靴の裏を刷毛できれいにします。原生林以外の植物(のタネ)を持ち込まないようにするためです。
Yさんは、歩きながら、時々手を叩いたり「ほーっ!」と大きな声をあげたりします。ヒグマに私たちの存在を知らせるためです。そして、周りに気を配りながら、動物のフンや足跡、植物や昆虫について、知床の景観について、説明をしてくださいました。
私たちが歩いている道(土の道だったり、木道だったり)の上にヒグマのフンが見つかります。また、運動靴の足跡のす
ぐ隣に、ヒグマやキツネの足跡が見えます。つまり、つい昨日かそのくらいに、ここをヒグマたちが通ったということです。
私たちのグループは、幸いヒグマに遭遇することなく、知床五胡すべてを回ることができました。お天気にも恵まれ、羅臼岳や知床岳を含む知床連山全てがくっきりと見えました。それだけではなく、連山が湖に映った美しい姿を見ることもできました。
さて、Yさんのお話を聞く中で印象深かったことが2つあります。
ひとつは、野生の動物を野生のまま(動物だけじゃなく植物も)にしておきたいというYさん(たち)の熱い思いです。私などの旅行者は、知床に行って「ヒグマに会ったよ~!」と言いたいために、ヒグマやキタキツネに会いたいと思います。そして、それを写真に撮りたいと思います。それは、動物園に行ってパンダを見て写真を撮るのと何も変わらない気持ちです。
だけど、野生動物であるヒグマやキタキツネが、人間に慣れてしまったらどうなるのか・・・。人間を怖がらなくなった動物たちは人間の住居の近くへやってきます。エサが手に入りやすいからです。もし、その時ばったりと人と遭遇し、人に怪我でもさせたりしたら、あるいは、畑などを荒らしたりしたら、その動物はどうなるのでしょう。きっと「駆除対象」になってしまいます。そう考えると、軽い気持ちで写真など撮ってはいけないのだと分かります。(エサを与えるなど言語道断です)
実は、このツアーに参加する日の朝、集合場所へ向かう道でヒグマに会いました。何もない道に3台の車が停まっており、「何かいるのかな?」と車を降りていくと、ヒグマの親子がいたのです。道からほんの30mほど先で何かを食べています。
私たちも親子ヒグマの写真を撮ったのですが、そこではオジサンがすごく大きな望遠レンズのついたカメラに三脚をつけて、ずっと写真を撮っていました。「こんなに近くにいるんですね」と言うと、「もっと近くでも見られるよ」とニコニコ顔のオジサンたち。
その時は、そうなんだ~、と単純に思ったのですが、ツアーに参加した後では、その人たちは何をするために写真を撮っているのだろうと思ってしまいました。
ツアーガイドのYさんは、その親子ヒグマの情報をちゃんと知っており、母グマが人間を怖がらなくなっているので、観察中だとおっしゃっていました。もっと慣れてしまえば、駆除の対象になってしまうのだそうです。
さっきのオジサンたちは撮った写真をどうするのでしょうね。誰かが高く買ってくれるのでしょうか。それとも単に趣味で撮っているだけなのでしょうか。どっちにしろ、クマたちが人間に慣れてしまうことは避けないといけないですよね。どうか、野生の熊たちを野生のままに暮らさせてあげてほしいと思ったことでした。
それから、もうひとつ印象深かったお話です。
知床には、開拓の歴史があります。バッタの大発生で最初の開拓は失敗に終わったのだそうですが、昭和10年代に入った開拓者は、昭和40年ごろまで住んでいました。彼らは、知床の自然を守るために自らの意思で昭和41年に知床を出ます。
人が開発した場所は、人が出て行っただけでは森に戻ることはありません。それで、今、元の森に戻すために木を植える事業が行われています。木を植えると言っても、ただ植えたるだけではなく、風よけを立てたりして大切に育てている最中です。
きっと長い時間がかかるでしょうが、そのうちまた元のような森に返っていくのだろうと、Yさんのお話を聞きながら思いました。人間は、自分たちの暮らしのために自然を壊すこともできますが、壊した自然を元に戻そうと力を注ぐこともできるのだと思い、少し感動していました。
とても素敵な体験ができた約3時間のツアーでした。Yさん、ありがとうございました。
18年5月
ゴスペルの醍醐味
連休に『Kurt Carr (カート・カー)Gospel Workshop 2018』に参加してきました。2日間のワークショップに参加したメンバーは、3日目のコンサートに出演できる!というものでした。(カートさん&カート・カー・シンガーズのコンサートは本当にすごくて圧倒されたのですが、コンサートの出演については全く楽しくなかったので、ここでは触れません)
ワークショップの参加者は、300人を超えていました。北は北海道から南は九州まで、全国から集まったゴスペルファンたちです。おそらく、地元のゴスペルチームに入っている方が多かったのだと思います。4年前のカートさんのワークショップに参加された方もいらっしゃいました。
私は、今回が初めての参加でした。2日間(1日3~4時間)のワークショップで練習したのは6曲、そのうち1曲は知っている曲で、2曲は前もって知らされていましたが、あとは初めての曲でした。(どの曲も素敵で、今でも聞き続けています)
カートさんのレッスンのやり方は、口伝えです。先にカートさんが歌ってくれて、それを真似して歌います。歌詞は渡されていますが、楽譜はなく、耳だけが頼りです。それでも、私たちが覚えられるように何度も何度も繰り返してくれます。
パートは、ソプラノ・アルト・テナーの3部に分かれていて、それぞれ同じようにして教えてもらいます。各パートで歌ってから、みんなで合わせていきます。
1日目は、とにかく曲を覚えられるようにと、時々ジョークを交えながら楽しく指導してもらいました。
2日目になると、もう少し細かいところまで指導されました。例えば、英語の発音について、あるいは、音を伸ばしたり止めたりするやり方について・・・。
そして、すごくおもしろいと思ったのが、通しの練習でした。練習するたびに違うのです。最初は1回しか歌わなかったのに、次の時は繰り返してみたり、別の部分が付け加わったり、歌の途中で止められたり、また歌い出したり、・・・。
ゴスペルにはリプライズという繰り返しがあることは知っていました。ライブなどでノッてくると、曲がいったん終わっても、また最後の部分をくり返します。客席も出演者も一緒になって盛り上がります。
カートさんのワークショップでも、それが何度も起こりました。「じゃあ、みなさん、座ってください」と言って、やれやれと腰を落とそうとすると、また始まります。1度など、「座ってください。ブレイク(休憩)を取ります」と言って、カートさん自身も腰かけ、バンドの人たちも休憩しに行こうとした瞬間、またまた始まりました。
その楽しさと言ったら、本当にすごかったです。みんながカートさんの指揮を待っています。音を止めたり、長くのばしたり、転調したり、繰り返したり、次へ進んだり、また戻ったり、・・・、そこにいる全員、しかもあんなに多くの人たちが一つになることができて、これこそがゴスペルの醍醐味だなぁと強く感じました。
長くゴスペルをやっている人も、全くの初心者も、クリスチャンもそうでない人も、すごく上手に歌える人も、私のようにそれなりの人も、ゴスペルの神髄に触れられたすごく素敵な2日間でした。
18年3月
29歳になりました!
えっ!?と驚いた方もいらっしゃるでしょう。--イエイエ、私の歳じゃありません。(そんなこと分かってるって? そりゃあ、そうか(笑)!)・・・私が初めてスマイル(
「パセージ」
→現在「えくと」)を受けてから丸29年が経ちました。つまり、楽笑会も29歳になったということです。30年目の年に入りました。
皆さんのお蔭で、長い長い間続けてくることができました。最初は、3年くらい続けてみて、その先のことはまた考えよう・・・と思って始めた楽笑会でした。動機は、「私が皆さんと別れるのが嫌だから」「皆さんに助けてほしいから」「私が学びたいから」と、あくまでも自分のためでした。
それでも、お世話係をすることで、皆さんからたくさん勇気づけを頂いたし、アドラー心理学のことも、たくさん学ぶことができました。そして、少しは皆さんのためにも貢献できたのだろうなとも思います。
いろいろな講座を受け、ワークショップにも参加しましたが、私の中ではやはり楽笑会での学びが一番大切で大きな部分を占めているなと感じます。仲間がいることのありがたさを改めて思います。
アドラー心理学は、仲間と一緒に学んでいくものだと思っています。その風景は、広い広い野原のようなところで、仲間たちがあちこちに散らばっていて、歩いている人もいれば、走っている人もいる。野原に咲く花を見ている人もいる。座っておしゃべりしている人もいる。立ち止まって空を仰いでいる人もいる。・・・そんな仲間たちが、時々集まって話をしたり、相談したりしながら、それぞれの歩幅で、それぞれの速さで、ある遠い目標に向かって少しずつ進んでいる・・・そんなイメージが私の中にはあります。
そこには、誰が前で誰が後ろというのもないし、誰の方が良く知っているというのもないし、誰の方が上手というのもありません。みんながそれぞれの体験を持ち寄って、ああでもない、こうでもないと話しながら、学び合っているという感じです。
実際、この29年間、私はそんな風にして学んできました。そして、そういう学び方を皆さんにお伝えしてきたように思います。
これからも、きっと同じようにして学んでいくのだと思います。皆さんと一緒に学びたいと思っています。
これまで、本当にありがとうございました。そしてまた、今後もよろしくお願いします。