楽笑会 つれづれのページ

このページでは、日頃感じたことや気づいたことなどを
特にテーマを決めずに
書いていこうと思います。


  ようこそ 
 楽 笑 会
 

つれづれ 2015年

メモリアルウォーク身体の歪み「聴く」ということがんばれ!自分でやりたい!「パセージ」カード
モザイク旭山動物園一緒に生きる幸せ洞爺・佐々木ファームステンドグラス作品展初のソロ





(この記事の中に出てくる「パセージ」は一般財団法人野田俊作顕彰財団 Adler Institute Japanの商標です。
 青字は「パセージ」(野田俊作著)からの引用です)




12月
初のソロ

今の先生にゴスペルを習い始めて丸2年を超えました。先日ゴスペル礼拝で練習の成果を発表することができました。今回が3回目です。

月に1回の練習をここ2ヶ月は2回に増やし、10名前後のメンバーさんたちと一緒に頑張って練習をしてきました。今回は初めてソロの一部を担当しました。ソロの練習は基本自主練習に任されています。

私にできるかなぁと思いながら、でもとにかく練習あるのみ!とCDを聞くことから始めました。歌詞は手元にあるものの、聞いても聞いても、どう歌っているのかが分からない部分があります。

先生は、いつも「歌詞を読むんじゃなくて、聞こえた通りに歌いなさい」とおっしゃいます。時には、聞こえた通りにカタカナで書いてみると良い、とも言われます。

でも、カタカナに書こうと思うと、聞こえた音がカタカナにならないといけません。何度も何度も繰り返し聞いては口に出し、また聞き直しては歌ってみます。そうやっているうちに、ある時突然に、はっきりと単語が分かれて聞こえてきました。

あぁ、これは語学の練習と同じだと思いました。学生の頃、ラジオを聞きとる練習をしたことがあります。ざぁざぁと流れていくようにしか聞こえなかった音が、ある時突然単語一つひとつに分かれて聞こえてくる瞬間がありました。

そうなると、あとは何度も口を動かして、口に慣れさせればいいのです。とはいうものの、なかなか口も動いてくれません。それでも、どうにか頑張って覚えた部分を、歌わせてもらいました。ホームページ上では、声をお届けできなくて残念(幸い!)ですが、何とか無事に歌い終えることができました。\(^o^)/












11月
ステンドグラス作品展

大学時代の友だちがステンドグラスの教室をしています。作品展をするというので見に行きました。教室を始めて6年、初の展覧会だそうです。

会場に入ると、パネル状のもの、球体のもの、電気スタンドの笠、時計や鏡の枠飾り、あるいは可愛らしい家の形をしたものなど、さまざまで美しい色の作品がたくさん並んでいました。

季節柄、クリスマスのためのリースやツリー型の電気スタンドなどが集められている部屋もあり、素敵な空間が広がっていました。

私が良く知っているステンドグラスだけではなく、絵付けをしたものや、ガラスの器、円筒形の和風の電気スタンド、またガラスの板に花の形を削ったものなどなど、ガラスの魅力が充分に伝わる作品もたくさんありました。

懐かしい友だちにも会うことができ、ステンドグラスの作り方や工夫などを教えてもらいながら、話に花が咲きました。主催している友だちはもちろんのこと、ここでステンドグラスを習っている皆さんが、本当にガラスが好きなんだということが良~く分かりました。

私もやってみたいと思わないでもないですが、それよりもパッチワークのアイデアがいくつか浮かんできました。パッチワークの技法の中にも、「ステンドグラス・キルト」や「モザイクアップリケ」「リバースアップリケ」というステンドグラスに似たものがあります。

同じデザインで、ガラスと布の作品が並んでいるのもステキかもねぇ、と話をしたことでした。Mちゃん、本当に素敵な作品をたくさん見せてもらってありがとうね。嬉しかったわ。

彼女の教室は「ステンドグラス工房 アトリエ青い鳥」といいます。ホームページで作品を見ることができますので、検索してみて下さい。












10月
洞爺・佐々木ファーム

ドキュメンタリー映画『大地の花咲き~洞爺・佐々木ファーム“喜び”ですべてを繋ぐ~』を見に行きました。岩崎靖子さんという若い監督さんが撮った映画です。

農薬も肥料も使わない人呼んで「ありがとう農法」というやり方で野菜を作っている佐々木ファームの村上夫妻の話です。

最初の映像にびっくりしました。キャベツ畑が映ったのですが、私が今までに見ていた畑とは全く景色が違っていました。広~い野原にいろんな草がいっぱい生えていて、その草をかき分けざくざくと進んで行くと、ここにひとつ、あっちにひとつと大きなキャベツができています。へぇ~、これが佐々木ファームのキャベツ畑なんだ。

佐々木ファームの長女さゆみさんと結婚した村上貴仁さんは、佐々木ファームを継ぐために二人で洞爺に帰ってきます。そこで、新しい農法を手探りで探し始めます。義父のやり方と違うために意見が対立し、うまくいかなくなってやめようと思った時、最愛の息子大地クンが天国へ行ってしまいます。

そこから、畑に来る虫も草も、菌たちも、みんな命なんだと実感して、「ありがとう農法」が出来上がっていきます。農薬を使わないと虫はつく、雑草は生える、病気になる、のですが、でも、その中でもちゃんと育つ野菜もある。

感動でウルウルしながら映画を見て、そのあとのご夫妻の話、監督さんの話を聞きました。

野菜作りは子育てと同じようなものだとおっしゃった村上さんの言葉が印象的でした。村上さんは、農薬や肥料を全面的に否定しているわけではないのです。のびのびと子育てしている親も、子どもがひどい病気になった時には薬を飲ませるし、栄養のあるものを食べさせもします。

それと同じで普段はのびのびと自然に任せて(「ありがとう」と声をかけながら)野菜を作りますが、あまりにひどい病気になったりした時には、農薬のお世話にもなろうと思ってらっしゃるのだそうです。(でも、まだ一度もないそうですが)

こんなふうな農業をしているのは、家族のためでもあるけれど、日本の人々のため、ひいては地球のため、なのだそうです。大きな話だなぁと思いますが、アドラー先生がアドラー心理学を唱えたのが戦争のない世の中にするためだ、とおっしゃったのと、どこか繋がるような気がしました。

今の世の中の常識的やり方に疑問符をつけながら、新しい方法を創り出してゆく人たちが、あちこちで増えてきているような気がします。それは、私たち地球人の未来の暮らしにとって、本当に良いことなんだなぁと思いました。












9月
一緒に生きる幸せ

いつも行っているゴスペルのレッスンの先生が、2016年3月に行われる「東日本大震災追悼記念会」のためのチャリティゴスペルライブをしたいとおっしゃって、メンバーを募りました。東北復興支援のために何かできたらと思い、私も手を挙げました。

8月と9月の2ヶ月の間に6回のレッスンがあります。練習する曲は3曲。1つはすでに知っている曲でしたが、2つは初めての曲です。本番では、他にも歌いますが、それは「歌える人は歌ってね」という感じです。

初めての曲の中に「いっしょに」という曲があります。一緒に居ること、一緒に泣いたり笑ったりできること、一緒に飲んだり食べたりできること、・・・そんな当たり前のことが、どんなに嬉しくて楽しくて幸せか、・・・という曲です。

この曲を歌っていると、私は今の自分の幸せを改めて感じることができます。家族たちと一緒に居られることはもちろんですが、レッスンを始めてから出会えた方々もいらっしゃいます。ここに参加しなかったら絶対に出会えなかった方々と一緒に歌う幸せがあります。

また、私は楽笑会に参加してくださる方々とも出会っています。ホームページを見て参加してくださった方は、メールをくださらなければ出会えなかったわけで、その勇気にも感謝です。また、古くから通って来て下さっている方々にもありがとうと言いたいです。もし誰一人来て下さらなかったら、楽笑会は続かなかったわけだし、一緒に学ぶこともできませんでした。

そんな出会いのことなどを考えながら歌っていると、本当にいい歌だなぁと思えてきて感動します。












8月
旭山動物園

この夏、北海道の旭山動物園に行ってきました。
動物園に行くのは何十年ぶりというくらい久しぶりだったのですが、とてもおもしろく楽しめました。

大人も楽しめた、その理由の大きなものは、動物の見せ方だったように思います。例えば、・・・。

キリンが居るところは、比較的広くてゆったりとしています。上の方から全体を見ることができます。そして、ちょうどキリンの顔の高さのところに餌が置いてあり、草を食べている様子が間近で見られるようにしてありました。それから、下の方へ移動していくと、キリンの足元がガラス越しに見えます。そこは、天井にもガラスが貼ってあって、キリンを下から見上げるように見ることもできました。そんな角度でキリンを見たことがなかったので、キリンの背の高さを実感できました。

カバがいるところでも、同じでした。陸の上に上がっているカバも、水の中に入っているカバも見ることができました。すごいなと思ったのは、カバがいる水槽を下から見ることができたことです。重そうなカバの体が下から見えます。体の重みでペチャンコになった足の様子やお腹が見えるのでおもしろいなと思いました。

シロクマのいるところに、下から顔を出して(半円のガラスの窓が、ぽこっと出ています)見たり、レッサーパンダが吊り橋を渡るところを見たり、クロヒョウが棚の上に横になっているところを目の前に見たり、チンパンジーが餌を食べているところ(しかも、好きな餌を選んで食べている!)を見たり、・・・。

今まで見られなかった動物の姿をたくさん見ることができました。しかも、「○○ショー」などとは違って、訓練をして見せているというのではないのです。餌を置く場所を工夫したり、見せるための場所を工夫したりしているところが、素敵だなと思いました。












7月
モザイク

「モザイク」を辞典で引いてみると、「ガラス・貝殻・エナメル・石・木などをちりばめて、図案・絵画などを表した装飾物」とあります。古代エジプトの装飾具にも用いられていたそうです。今でも、建築物の床や壁などがモザイクで飾られているものもありますね。

以前にモザイク制作をしている人の話を聞いたことがあります。テレビ番組の中だったと思います。その人は「不完全さこそモザイクの魅力です」とおっしゃっていました。

モザイクは、遠くから見てもモザイクだと分からなければならないのだそうです。つまり、一つひとつの欠片があまりにも細かいと、遠くから見るとただの絵に見えてしまいます。それでは、モザイクの良さがなくなると言うのです。ということは、ひとつの欠片にはある程度の大きさが必要だし、また、その一つひとつの形が違っている方が良いようです。

ひょっとしたら私たち人間もモザイクのようなものかもしれないなぁと思いました。一人ひとり大きさも形も、性格も何もかも違っています。そんな人たちが仲間として集まった時に、みんな違っているからこそ良いんですよね。そして、不完全である一人ひとりが集まってくるからこそ良いんですよね。

私たち一人ひとりの人間も不完全であるからこそ魅力的だし、集まってきた仲間たちのグループも何だか不完全でいるから素敵なんだなぁと改めて思えて、嬉しくなりました。












6月
「パセージ」カード

倉吉のりえさんとひろみさんが作っておられる
「パセージ」カードの話をします。

5月24日に福山で行われた第12回中国地方会で、新しい
「パセージ」カードを購入してきました。中国地方会のスペシャル版です。美しいバラの絵にMemorial Pssage CardとJSAPの文字が入っています。

数年前に学会の懇親会のオークションで手に入れた
「パセージ」カードは、いろはかるたのようになっているものでした。楽笑会で時々使っています。

今回のカードは「いろは」とはなっていませんが、使い方の説明書が入っていました。「このカードは、コースを終了したみなさんが、いつもテキストの言葉を身近に感じていてほしいと願って作りました。いつもあなたのそばでお役に立ちますように…」と願いが書いてあり、遊び方まで丁寧に書いてくれています。

「パセージ」カードは「パセージ」のテキストからの抜粋の文章です。ですから、その一文だけでは不充分なこともあります。楽笑会では、カードを引いた後、テキストのその部分を開いて、全体を読んでみたり、隣のページを読んだりしています。

新しいカードを、自分のために1枚引いてみました。出てきたのは、「仲間を思いだす」でした。
「仲間を思い出してください。電話をかけたり、あるいは学習会に出たりして、体験を報告して、新しい代替案を学んでください。」(39-L 子どもを勇気づける)

改めて思います。楽笑会をずっとやってこられたのは、仲間がいたからだなぁ。それが私のアドラー心理学の学習のほとんど全てだなぁ。学びが深まったのも、仲間たちが優しく勇気づけてくれたからだなぁ、と。

「パセージ」カードはすごいなと思います。その時自分が必要としているカードがちゃんと出てくるようです。












5月
自分でやりたい!

去年の12月から1ヶ月に1回高槻市内で自助グループをしています。滋賀の山口育子さんが開発された「楽育ママ」という子育てコースの入門編を受けてもらったメンバーさんたちを中心に集まってもらっています。

ここに集まってくださるメンバーさんのお子さんは2才~3才が中心です。大きくてもせいぜい小学校低学年のお子さんです。いつも、今困っていることを出してもらって、メンバー全員で、どうしたらいいか工夫(代替案)を考えています。

例えば、「自分でやるぅ」と言ってきかなくて困るとか、保育園から帰りたくないとぐずるとか、抱っこできない状況なのに「抱っこ抱っこ」と言って泣くとか、ダメというと余計にやるとか、トイレトレーニングはどうしたらいいかとか、……そんな可愛らしいお話がいっぱいです。

アドラー心理学の子育ても同じですが、楽育ママでもまずは「お母さんは仲間だ」と思ってもらうように対応しよう、自分で考えられる子どもになれるように対応しよう、とお勧めしています。

それを頭に置きながら、どんな工夫ができるかを考えます。みんなの知恵を寄せ合うと、いつも素敵な代替案が出されます。しかも複数の案が出されるので嬉しくなります。

例えば、自分でやりたい(お母さんがやっている料理など)と言ってきかない、という子どもさん。まず思うのは、それは素敵なことだなぁということです。お母さんの方にはお母さんの都合もあります。自分でやってもらうとなると時間がかかりますから、急いでいる時などは任せられないこともあります。また、危険な場合もあったりします。

だけど、子どもが自分でやりたいと思っている気持ちは大切にしたいですし、その気持ちはどんどん伸びていってほしいですよね。ところで、2才のお子さんって、料理のお手伝いをどこまでできると思われますか?お母さんと一緒に料理ができると、お母さんは仲間だと思えるし、自分でできると思えます。また、どうやったらうまくいくか、自分で考えることもできるかもしれません。

ここは、お母さんの工夫のしどころです。プチトマトのヘタは取れるかな?きゅうりを切ることは出来るかな?鍋を混ぜるのはどうかな?卵を混ぜるのはどうかな?・・・などなど。

どんなに小さなお子さんでも、できることはある様な気がします。5才にもなったら、ほとんどのことが出来そうです。是非、一緒に台所に立って、楽しくお料理をしてほしいなと思います。












4月
がんばれ!

映画の話です。アフリカの研究施設に派遣された医師が、過酷な状況の中で患者たちを診る日々。時おり空に向かって「がんばれぇ~!がんばれぇ~!」と叫びます。短期間派遣された病院を離れる時、同僚が「(私に)がんばれと言ってくれないの?」と聞くと、彼は「がんばれは、自分に向かって言う言葉だ」と答えます。つまり、彼はくじけそうになる自分に向かって叫んでいたのですね。

私たちは、「がんばれ」という言葉をよく人に向かって言ってしまいます。それが励ましの言葉だと思っていますし、自分もがんばれと言われてがんばれることもあるからです。

でも、人によってはこの言葉が勇気をくじく言葉になることもあります。阪神淡路大震災の時、「頑張ってと言われて、これ以上どう頑張ればいいのかと思った」という話を聞いたこともあります。

映画を見て思ったのですが、私には「自分に向かってがんばれと言う」という発想はありませんでした。そうか、自分がくじけそうな時、しんどくて嫌な時、きつくてつらい時、自分で自分に「がんばれ!」て言ってみたら、少し勇気が出るかもしれません。

そうして、がんばった自分に「よくがんばったね」と言ってあげれば、少しは良かったと思えるかもしれません。

ひょっとしたら「がんばれ」という言葉でなくてもいいのかもしれません。何か自分自身を勇気づける言葉があれば、それを言いながら、もうちょっとやってみようかなと思えるのかもしれません。そんなことを考えさせられた映画でした。












3月
「聴く」ということ

ドラマの話です。主人公(40代男性)は、ものすごくワンマンで何かというと怒鳴ったり殴ったりする父親に育てられました。それが嫌で、自分の妻や子どもにはとても優しく、妻が苦労しなくていいように努めていました。ところが、妻はそんな主人公を嫌がっていました。外から見ると、何の不満があるんだというような立派な夫なのに、「あなた居ると息が詰まる」「私はお飾りの人形じゃない、私も一緒に苦労したかった」と主人公に訴えます。

つまり、この主人公は妻の希望も聞かず話も聞かずに、自分だけの判断で、良かれと思って妻のためにいろいろなことをしてあげていたのでした。それは、精いっぱいの夫としての愛情だったのですが、結果は、全く自分の思いとは違う方向へ行ってしまいます。

このドラマを見ながら、私は昔付き合っていたボーイフレンドのことを思い出していました。デート中、彼は突然立ち止まって、「ちょっと、ここで待っていて」と言って、どこかへ行こうとしました。訳を聞いてみると、自分の用事ですぐ近くの店に行きたかったのでした。私は、訳も分からずそこで待たされるよりも一緒に行きたいと言いました。すると、彼は、前につき合っていたガールフレンドは「そういうのに付き合わせないで」と怒ったとかで、だから、私にも待っていてと言ったのだ、と言います。

彼も、ドラマの主人公と同じでした。私のことを考えて良かれと思ってしたことが、実は私には合わなかったということです。ひと言、「僕の用事であそこに行きたいけれど、君はどうする?」と聴いてくれれば良かったのですよね。

彼らだけではありません。私だって、そうです。自分の思い込みで、相手にとって良いだろうと判断して、何かをしてしまうことが良くあります。

「パセージ」のテキストには「勇気づけの第一歩は、子どもの話に耳を傾け、子どもの考えや感情や意思を理解しようとすることです。」(9-L 子どもの話を聴く)とあります。ということは、「話を聴く」を怠ると、相手の勇気をくじいてしまうことがあるということです。

ドラマに出てきた妻は、そんな優しい夫によって、ものすごく勇気をくじかれていました。「聴く」と書くと、たった二文字ですが、実際に実行しようと思うと難しいなと思うことが多々あります。でも、
「パセージ」でもお勧めの「話を聴く」は、勇気づけの第一歩ですから、改めて実践を心掛けたいと思ったことでした。












2月
身体の歪み

ある日左手(肘から先)が痛くなりました。そういえば、2週間ほど前から左手を机や床につくと、手首に痛みが走っていました。それが、今日はちょっと動かしてもいたいのです。あらあら、どうしよう。とりあえず左手をなるべく使わないようにして1日過ごしました。

次の日には痛みはずいぶんマシになったのですが、念のため鍼の先生のところへ行きました。(夫がお世話になっている先生です)手の方は大したことはなかったのですが(針を数本打ってもらってスッキリ!)、身体が歪んでいると言われました。

そして、背中やら、お尻やら、太ももの裏やらをマッサージしてもらいました。あぁ、それで足の付け根の辺りが痛かったりしたのね、と一人で納得。

私は座布団に座るときに、右に足を出して斜めに座ります。どうやらその座り方の癖も良くないらしいのです。このままいくと膝や腰に負担がかかって痛くなると言われて、やれやれと思いました。

今のところ膝は痛くないのですが、そのうち痛くなると言われるとストレッチなどした方が良いかもしれません。とりあえず、椅子に座るときに右のお尻の方を意識して座るとか、斜めに座るときに今までと反対側に足を出してみるとか、両手を伸ばして右側に倒し身体の左を伸ばすようにするとか、教えてもらいました。

少しずつでもやっていくことにします!












1月
メモリアルウォーク

1月17日、今年もまた「1.17ひょうごメモリアルウォーク2015」に参加しました。毎年この日は阪神芦屋駅からHAT神戸まで約10kmを歩きます。(2km、5km、10km、15kmなど6つのコースがあります)

今年は震災から20年目ということもあり、また土曜日だったということもあり、ここ数年の中では一番参加者が多かったように思いました。子ども連れで参加してらっしゃる方々も目立ちました。簡単な準備運動の後、山手幹線を西へ西へと歩いて行きます。

初めて参加した15年前は、まだ空き地がそこここにありました。今はもう、その頃とはすっかり変わり、震災後に建てられた住居も並んでいます。道路も美しく整備されています。

20年前のあの日のことを思い出しながら歩きました。その後の暮らしのことも思いながら歩きました。アパートは壊れて住めなくなったけれど、食器はほとんどなくなってしまったけれど、幸い家族はみんな無事でした。失くしたものもあったけれど、得たものもそれ以上に多くありました。それまで挨拶くらいしかしていなかったご近所さんと助け合えたこと、友だちから温かい言葉を沢山かけてもらったこと、たくさん助けてもらったこと・・・。

あの震災から得たたくさんの教訓が、これからも生かされていくことを願いながら、今年も無事にゴールできたことを感謝しました。