楽笑会 つれづれのページ
このページでは、日頃感じたことや気づいたことなどを
特にテーマを決めずに
書いていこうと思います。
ようこそ
楽 笑 会
つれづれ 2007年
すっきりしたぁ
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四国地方会
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ドイツの友人
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サンジャックへの道
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ごっこ遊び
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不器用の取り得
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同窓会
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グループでの動き方
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アドレリアン・リフレクティング・ワーク
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過去の自分と未来の自分と
12月
過去の自分と未来の自分と
この間テレビを見ていたら、ある歌手が歌っていました。それは、過去の自分に会ったら、どんなことを話すだろうか、というような内容の歌詞でした。
例えば、20歳の自分に会ったら、私は彼女に何を言うだろうか。まだ、あのことも、このことも経験する前の彼女です。伝えたいことがあるかなぁ?・・・・・・
そう考えてみると、つらいことがあって落ち込んでいる彼女には、「大丈夫だよ」と言ってあげたいと思いました。また、嬉しくて有頂天になっている彼女には、「もう少し周りを見てごらん」と言うでしょうか。そんな彼女や、あんな彼女があってこそ、今の私があるのですよね。それに、そんな彼女の周りにも、あんな彼女の周りにも、いつも支えてくれる人がたくさん居たことにも気づきます。
その歌は、未来の自分へも目が向いていました。過去の自分と会って、話ができたら素敵でしょうし、未来の自分に会えたら、それはとてもワクワクすることですね。過去の自分と今の自分と未来の自分。3人集まって、どんな話をしようかなぁ。
11月
アドレリアン・リフレクティング・ワーク
広島で行なわれたアドレリアン・リフレクティング・ワーク(ARW)に参加してきました。これもグループの動き方の一つで、徳島のUさんが開発されたものです。
ここでは、かたり手(事例を出す人)とたずね手(質問をする人)とたすけ手(たずね手と一緒に質問を考える人々)というふうに役割が決められていて、かたり手に質問できるのはたずね手だけです。質問は、たすけ手と一緒に相談します。その相談している様子を、かたり手は聞いています。
ひとつの質問をするのにも、みんなで一生懸命に考えます。この質問をするとかたり手はどう答えるだろうか?何を知るためにこの質問をしようとしているのだろうか?この言葉を使うよりこっちの方が答えやすいんじゃないかな?こう聞かれると嬉しいかもしれないね?――みんながそれぞれ考えていることや意見を出し合って、その中でいちばん良いと思われる質問を、たずね手が選んで、して行きます。
普段、誰かの話を聞く時に、こんなふうに考えて考えて話を聞いたことはありませんでした。ですから、時間をかけて、相談し合いながら、ゆっくりじっくり質問を考えられるということは、とても良い体験でした。時間の流れがゆったりしていて、そのことが作り出す「場」の雰囲気が、とても心地良く感じられました。ありがとうございました。
9月
グループでの動き方
今、私が気になっていることは、グループの中での動き方です。あちこちのグループで、リーダーとして、またメンバーとして、あるいは
「パセージ」
のリーダーとして、自分の動きを点検する機会に恵まれました。
(「パセージ」は一般財団法人野田俊作顕彰財団 Adler Institute Japanの商標です。)
気づいたことがたくさんありました。例えば、リーダーの小さな言葉やささいな動きが、メンバーさんたちに大きな影響を及ぼすのだと言うことです。ですから、リーダーとして動く時には、不用意に言葉を使ったり、意識しないで言葉を発したり動いたりすると、その後の展開が違ってしまいます。また、メンバーさんたちのお話に、不用意にうなずくと、全体の雰囲気が変わってくることがありました。
あるいは、自分の言動で、メンバーさんは勇気づけられているのか、勇気をくじかれているのかについても、もっと丁寧に注意深く考えていかなければいけない、と思いました。また、メンバーさん同士も、勇気づけあっているのか、ひょっとしたら勇気をくじかれるメンバーさんが居るのではないかということも、グループに参加する者として、きちんと考えていかなければいけないことだと思いました。
これから、気をつけようと思っているのは、グループに参加する時だけではなく、普段の会話でも、不用意にうなずくのを止めることと、自分が発する言葉を短くして、最後を曖昧にしないで「。(句点)」で終えるということです。まずは、これに注意をしながら、何ヶ月か暮らしてみようと思っています。
8月
同窓会
中学時代の同窓会がありました。このクラスは、5年前に一度集まっています。その時には、30年ぶりだったので、みんなの消息をつかむのに、幹事さんたちはものすごい労力をかけてくださいました。そのお蔭で45名中30名を超える方々の住所がわかりました。そして、5年前には17~8名の方が集まりました。もちろん担任の先生も参加してくださいました。
「また2年後にしようね」と約束したものの、2回目が開かれたのが、5年後の今年。前回は来られなかった方々も何人か来られていました。「えーっと、誰やったっけ?」と一瞬は戸惑うものの、「あー、○○君やぁ!」「♪♪さんやん、せや、せや(そうだ、そうだ)!!」と分かったとたんに、今の顔に35年前の顔が重なります。
担任の先生が中学時代におっしゃった言葉を、今も大事にしている**君の話。私はすっかり忘れているのに、「こんな事してたやろ?」と話をしてくれた□□君。「理科の先生に、すっごい可愛がってもらっててん(もらってた)」と懐かしい名前を口にしていた☆☆さん。
私が覚えている先生のお話は、「あぶない!」の話。これって、英語を話す人にも通じるんですって。“Have an eye!”(ハヴ アンナイ)と聞こえるとか。ちゃんとしたストーリーは忘れたのだけれど、日本語がそのまま通じるなんておもしろいなぁと思い、とても印象に残っていたのでした。
みんなの話を聞きながら、人の記憶っておもしろいなぁ、と思っていました。アドラー心理学では、今のライフスタイルから、あることを思い出す、と習いました。だとすると、今そのことをはっきりと覚えているのは、私にとって大切なことだからなのかな?どうなんやろ?
6月
不器用の取り柄
週に1回テニススクールに通っています。この間のレッスンの時のこと。メインの練習は強いサーブを打ち返す練習でした。生徒同士でもサーブを打つのですが、強いサーブになるように、サービスラインまで出てサーブを打ちました。
メイン練習が終わったら、残りの時間でゲームをしました。ところが、私のサーブはなかなか入りません。今までの練習では、前に出てサーブを打っていたので、同じ調子で打つと、当然ながらネットにかかります。それを修正するためには、トスを上げる位置や高さ、あるいは、ボールのどこを打つのかなど、変えなければなりません。
頭ではわかるのですが、身体が言うことをききません。完全に修正するまでに、いくつフォールトを繰り返したでしょうか。同じように練習をしている他の生徒さんたちの中には、全くフォールトをしないで、次々に良いサーブを決める人もいるのに。ホンマに不器用やなぁ。身体も硬いけど、頭も固いよなぁ。・・・・・・
そういえば、中学校の時に始めたテニスは軟式でした。(今ではソフトテニスというのですね)大学時代体育の授業はテニスでした。そこで初めて硬式テニスをしたのですが、ラケットの握り方から、足の運び方、ラケットの振り方など、まったく違いました。慣れるまでに相当な時間がかかりました。というよりも、大学の体育の時間ぐらいでは、慣れるところまではいきませんでした。
まあ、こんな私ですから、テニスの腕は高が知れています。けれども、この不器用な私に、ひとつ取り得があるとしたら、それは、ずっと長く続けてきたということでしょうか。大学時代に始めたテニスですから、もうウン十年です。まあ、10年前と比べれば少しは進歩しているかなという程度ですが、何とか上達はしているようです。
5月
ごっこ遊び
「かささぎ座」というサイコドラマ(心理劇)のワークショップがあります。今年は岐阜県の長良川近くのホテルで開催され、私も参加してきました。
サイコドラマでは、メンバーさんが出した問題をドラマ仕立てにし、演じます。主人公は問題を出したメンバーさんです。そのメンバーさんが参加者の中から助演者を決めます。例えば、私なら主人公は妻の私、そして夫役をその時の直感で決めます。夫だからといって、男性を選ばないといけない、というわけではありません。私も初めて参加した「かささぎ座」で夫とのやりとりをドラマにしてもらい、長年の思い込みから脱出させていただきました。(あれは、本当に良い体験でした)
今年は助演に選んでもらい、時代劇をさせてもらいました。切腹しようとする家老を止める“ばあや”の役だったのですが、とてもおもしろく気に入りました。
ところで、今回実感できたことがありました。それは、人生は全て「ごっご遊び」だということです。このことは、ずっと教わっていたのですが、よくわかっていなかったみたいです。
例えば、サイコドラマで私は“ばあや”の役をしましたが、その役は私が演じているものでした。さて、では、サイコドラマが終わり、観客席に戻ってきた私は、誰なんでしょう?それは、“北風”という自分を演じている私だったんです。友達といる時には“友達”を演じ、家に帰ると“妻”を演じています。仕事場では“塾の先生”を演じ、実家へ帰ると“娘”を演じるわけです。つまり「人生は全てドラマ」、言い換えれば「人生は全てごっこ遊び」ということです。
ということは、どんな役でも演じることが可能です。鬼のような妻を演じることも、やさしく穏やかな妻を演じることも可能なんですよね。そんなの無理!と思われる方もいらっしゃるでしょうか。だって、私は時代劇に出てくる“ばあや”を演じ、家老の切腹を止めました。そんな役まで演じられたのですから、何だってできそうです。
では、私が“私”だと思っているものは一体誰なんでしょう。本当の私って、どんな人なんでしょうね。イエイエ、「本当の私」なんて、きっとどこにもいないんです。私は、“私”の役をずっと演じ続けていくんでしょう。だとすれば、どんな性格にだってなれそうですね。(とはいうものの、そうそう簡単に変えられそうにはありませんが)
4月
サンジャックへの道
大阪にある万博公園の中に国立民族学博物館があります。今、そこで「聖地★巡礼 自分探しの旅へ」という展覧会をしています(07年6月5日まで)。フランス南部の町ル・ピュイからスペインのサンチャゴ・デ・コンポステラ聖堂までの1350kmを歩く巡礼をビデオと展示物で見ることができます。
この展覧会のことを知ったのは、「サンジャックへの道」というフランス映画の紹介が新聞に載っていたからです。その記事の最後に展覧会のことも書いてありました。おもしろそうな映画だと思い、見に行くことにしたのですが、ちょうど万博公園に行く機会があり、それなら展覧会を見て予習をしておくとおもしろいかもしれない、と思いました。
展覧会の方は、巡礼が4回目だというミッシェルさん(67歳)がビデオに出演していて、道のりや宿のことや、巡礼をしている人々のことを紹介してくれます。ピレネー山脈を越え、西へ西へと歩きます。最後にセブレイロ峠(標高1300m)を越えると、スペインガリシア地方。モンテ・ド・ゴソという丘まで来ると大聖堂が見えるのだそうです。モンテ・ド・ゴソとは「喜びの丘」という意味。この道のりを、速い人で40日余りで歩き通します。目的地の大聖堂に着くと、巡礼者のためのミサが行われます。巨大な香炉が揺れます。汗などで汚れた身体を清める意味もあるとか。
という予備知識を仕入れてから、映画「サンジャックへの道」を見ました。ここに出てくる人たちは、決して宗教的な動機から巡礼に加わるわけではなく、あれやこれや結構俗っぽい理由で参加するところが面白かったです。フランス映画らしく、会話が洒落ていて、笑いあり涙ありで、楽しい映画でした。お勧めです。
仕事を引退したら、歩きに行くのもいいかなぁ、と思ったことでした。全行程は無理だけど、100km歩くと証明書をもらえるそうです。
3月
ドイツの友人
ドイツから友人が日本に遊びに来ました。彼女とは、阪神・淡路大震災のあとにできたネットワークを通じて知り合い、文通を始めました。ドイツのハンブルクに住んでいる66歳の女性で、日本語を勉強しているので、文通は日本語でしています。4年前に初めて彼女に会いました。その時には、京都を案内しました。桜が満開でした。
今年彼女は、神戸に滞在しました。震災が縁で知り合ったので、これは是非HAT神戸にある「人と防災未来センター」に行かなければ、と思いました(実は私も初めて行くのでした)。震災の日の映像や焼け焦げたり捻じ曲がったりした物たちの展示には、12年前のことを思い出し、ちょっと胸が痛くなりましたが、あのときの教訓がさまざまな形で生かされていることもわかり、心強く思いました。
それから、阪神高速道路湾岸線を通り、堺市へ行きました。堺市役所の最上階に上ると大山(だいせん)陵古墳(仁徳陵古墳)が見えます。世界一大きな古墳を、是非彼女に見せたいというのは、夫のアイデアでした。それから、おそばを食べたり、堺名物のお菓子を食べに行ったりしました。彼女は好奇心旺盛で、何でも食べてみようとしますし、お箸も上手に使えます。とても60歳を超えているとは思えません。
湾岸道路を通っている時に、彼女が興味を示したのは、大阪のごみ処理場でした。ちょっと見には、何かのテーマパークのように見えます。キラキラと光る煙突が2本立っているし、壁もさまざまな色に塗られていて、美しく見えます。彼女は、「写真を撮って、友達に見せて、これは何ですか?と聞いてみたい」と言いました。それはおもしろいと私たちも思い、走る車から写真を撮ったのでした。夕飯は南京町で中華料理を食べ、最後にビーナスブリッジへ行って神戸の夜景を見ました。
私は彼女と文通をするようになって、ドイツ語を勉強し始めました。辞書があれば、簡単な物語は読めるようになったのですが、会話は皆目できません。今回も、会話は、日本語と少しの英語と、いよいよ困ったら電子辞書のお世話になり、事足りてしまいました。彼女の日本語は4年前よりバージョンアップしていたような気がしました。「次は、洋子さんがハンブルクへ来て下さい」と言われ、ハグをして別れました。是非、行きたいものですが、いつになることやら・・・。
2月
四国地方会
2月17日に香川県高松市で四国地方会がありました。参加しようかどうしようか、ぐずぐずと迷っていたのですが、やっぱり行くことに決めました。ぎりぎりの参加申し込みでした。
目的は、「アドレリアン・リフレクティング・ワーク」を体験することでした。「15分のワークと10分のシェアリング」を2クール体験させてもらいました。私のグループは5人でした。そのグループで「かたり手」(事例提供者)の話を聴きます。質問をするのは「たずね手」だけ。しかも、口で質問せずに、質問(開いた質問)を紙に書いて渡します。残る3人は「たすけ手」となり、「たずね手」が質問に困ったりした時に、どういう質問をすればいいかを話し合う役割です。
私は「たずね手」と「たすけ手」を体験しました。一つのワークが15分という短い時間だったので、「たずね手」として質問できたのは3つか4つでした。最後の一つの質問は、「たすけ手」さんたちに手伝ってもらいました。そうして、「かたり手」さんは、最後の質問に答えるうちに、とても大切なことに気づかれました。「たずね手」としては、ほとんど何も質問していないのになぁ、という印象です。
でも、これはとても貴重な体験だったと思います。普段カウンセリングをしていても、自助グループなどで事例を聴かせていただいても、私はたくさんしゃべり過ぎていたなぁ、と思いました。そして、言葉を雑に扱っていたなぁ、ということも感じました。
このワークでは、質問をする側にさまざまな制限(役割があったり、開いた質問以外はしない、など)がかけられています。それは一見不自由のようですが、実際に「かたり手」さんの話を聞く練習をするのには、とても良い方法だと思いました。ありがとうございました。
1月
すっきりしたぁ
甥っ子が大学生になるのを機に、私の実家(甥から言うと、祖父母宅)に住むことになりました。自分の部屋がほしくなったようで、その昔私の弟(甥から言うと、父親)が住んでいた部屋に引っ越します。(甥の家と私の実家は歩いて10分ぐらいのところなのですが)
それに伴い、実家に置きっぱなしにしていた私の荷物などを片付けざるを得なくなりました。私の家と実家も近いですから、結婚の時には、とりあえず必要なものだけを持ってきて、あとはそのまま置いてきていました。今年に入ってから、何度か通って片づけたのですが、こんなものまでよく置いていたな、という物がたくさん出てきました。
大学時代に使っていた教科書やノート、レポートの類、辞書、レコードやカセットテープ、コンサートのパンフレット、ポスター、手紙や日記帳、中学時代からつけていたお小遣い帳、ギターやテニスラケット……、本当にさまざまな物たちが、懐かしい物たちが出てきました。
それから、着る物もたくさん出てきました。学生時代に着ていた物は言うに及ばず、中学時代の制服まで置いてありました。サイズが合わなくなったり、流行おくれになったりして、着なくなったものや、使わなくなったバッグやブーツなども、どうして大事にとっておいたのか。きっと、しまっておく場所があったからなんでしょうね。(やれやれ)
懐かしいなぁ、と思いながらも、全て処分することにしました。母は「もったいないなぁ、これ。まだ着れるのに」「これ、誰か使わへんかなぁ」と時々言っていましたが、それに耳を貸すと捨てる手が鈍るので、それには構わずゴミ袋にどんどん放り込んでいきました。
山ほどのごみを前に、とてもすっきりした気分になりました。その気持ち良さにハマって、うちに帰ってきても、今まで片づけずに放ってあった場所にあるものなどを処分したりしています。どうしてこう、物って増えていくんでしょうねぇ。